第41話 金字塔

 朱鷺ときが声高らかに国の転覆を宣言したことで、王宮内には激震が走った。王族も官吏もメイドも、皆地球人が宰相に歯向かったことを恐れていた。

「流石に通告令を兎に食わせんとしたは、やり過ぎかと……」

 朱鷺の自室で、安孫あそんの声が小さくなる。

「なにを! あれ程の威勢がなければ、宣戦布告にはなりますまい!」

 水影みなかげが筆を走らせ、晩餐会での朱鷺とハクレイのやりとりを日記に記していく。昂った様子の水影に、安孫が大きく溜息を吐いた。

「でも本当にあれで良かったのかしら? 私のせいで、お母様にもしものことがあったら……」

「なに、天女中よ。そなたの母御も、必ずや俺が救い出してみせよう。何せ、そなたの母御こそが、俺が理想とした羽衣伝説の天女であられたゆえな」

「お母様が、天女……」

「左様。その天女とかつての帝の子、それがかあや王女であろう?」

「姉様……そうね。だから地球に追放されたのよね。心配だわ。カーヤ姉様は昔から体が弱いから、あっちでもしものことがあったら……」

「不安の種が尽きませぬな」と、筆を止めて水影が言った。

「確かに。あちらが世の情勢も気掛かりであるな」

 朱鷺の発言に、腹の底に父の期待を隠す安孫が目を伏せた。

「では再度、あちらが世と交信出来ぬか、明朝、せらい殿にうこごうて参りまする」

「ああ。頼むぞ、水影」

 一夜明け、水影が中央管理棟へと向かう途中に、安孫が待ち伏せていた。

如何いかがされたのです、安孫殿」

「いえ、せらい殿の下には、それがしが参ります。同じ二世として、一度彼の御方と、ゆるりと話してみとうと、左様に思うておりましたゆえ」

 目を伏せる安孫を、水影がじっと見上げる。ヘイアン装束の懐から顔を出す白兎が、いつにも増して水影に威嚇する。

「……左様ですか。では安孫殿に御託し致しまする」

「は……」

 水影が一礼し、自室へと帰っていく。目を伏せたままの安孫に、水影が立ち止まった。背を向けたまま、口を開く。

「貴殿は、主上しゅじょう瑞獣ずいじゅうが一人、九尾の狐であることを御忘れなきように」

 はっと安孫が顔を上げた。

「……主上は、徳なき御方にはございませぬぞ?」

 そう言って、水影は自室へと帰っていった。安孫は太刀の鞘に目を向けた。そこには瑞獣である証――九尾の狐紋が刻まれている。昨夜、殆ど眠れなかった安孫は、目頭を押さえると、主の希望を叶える為、急ぎセライの下へと向かった。

「――再度、地球との交信をですか?」

「左様にございます。我が主たっての願いにございまして」

「はあ。呑気なものですね。こっちは父を宥めるのに苦労していると言うのに」

「申し訳ございませぬっ」

 安孫が深く頭を下げた。ぐっと目を瞑って、セライの言葉を待つ。

「……貴方には、偉大なお父上がいらっしゃるのでしたよね」

 意外な言葉に顔を上げた安孫を、セライがテラスへと誘った。そこでいつかと同じく、セライが煙草を吸う。懐に見えたドベルト銃の前で、安孫は目を伏せた。手すりに上半身を委ねるセライが、遠く、未開の地を眺める。ドームの外、地平線の先に、一つのピラミッドが、ぼんやりと見える。

「春日さんのお父上は、どういったお方なのです?」

 煙を吐いて訊ねたセライに、安孫は同じ方向を向き、ゆっくりと口を開いた。

それがしの父は、武家の出でありながらも、さきの帝の世に於いて、摂政にまで昇り詰めた男にございます。日の下一の武人としての誉れ高く、腐敗した公家衆を退かせ、武家優位の政を大成させた、正に金字塔。偉大なる父にございます」

 遠い地に見えるピラミッド――金字塔の頂点を、安孫はぼんやりと見つめた。

「へえ、本当にわたくしの父と似ているのですね。あの男もまた、前国王の信任厚く、腐敗していた月暈院つきがさいんの政治家達を次々と粛清し、宰相という今の地位にまで出世したのです。そこに大義なんてものがあったか知りませんが、今では国の中枢をすべて掌握し、寝返った衛兵達をあんなにも無残に……」

 セライが煙草の火を消し、「血も涙もない冷血漢ですよ、わたくしの父は。偉大とは、ほど遠い」と自嘲した。

「お父上が偉大だと、春日さんのプレッシャーも相当なものなのでは?」

「ぷれっしゃあ?」

「重圧、ですよ」

「ああ、重圧……某は嫡男ちゃくなんと言うても、正室の子ではなく、母は位の低い貴族の出でして。正室の子であり、強力な後ろ盾のある弟らからは、嫡男とされた某は、疎ましく思われておりまする。ゆえに、第一王妃から仕打ちを受けておられたと言う、るくなん王女のお気持ちは良う分かるのです。某も、正室であられる北方きたのかた様から、嫡男の座を弟に譲るようにと、幾度となく迫られましたでなぁ。それでも譲らなんだは、我が父が、某を信用下さっておられるゆえで……」

 ぽつりぽつりと紡がれる言葉に、安孫の記憶は、自然と月への出発前夜まで遡っていった――。


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