第11話 賭け

 王族特務課にて、セライが机の引き出しを開けた。そこに入っている紺碧こんぺき色の押し花に目を落とす。

「課長、未決済の書類をこちらに」

「ああ」

 部下の男が持ち込んだ書類に、セライはそっと机の引き出しを閉めた。

 就業時間が過ぎ、次々と部下が帰宅していく。今日も一人、セライは残務整理に追われた。ようやく仕事を終え、帰宅の途に着く道すがら、セライは王宮外にある官吏用住宅の前で立ち止まった。

「遅くまでお勤め、ご苦労様にございますなぁ?」

「また貴方ですか」

 険阻けんそな表情で淡々と話すセライの前に、にっこりと笑う朱鷺ときの姿がある。

「このような時間帯に訪れても、業務外ですから、許可証の発行など出来ませんよ?」

「ええ、左様な用件で参った次第ではございませぬゆえ、ご安堵あんど召され。私はただ、貴殿と友人になりに参った次第にございまする」

「友人? わたくしと?」

「左様。聞くところによれば、月が世では、勝負事にて友好関係を築く模様。我らが世に於いても、勝負事の後、より一層友情を深めるきらいがございますゆえ、通ずるものはあるかと」

「……それで、わたくしが勝負事で負ければ、スザリノ王女の自室に入室する許可証を発行しろと、そういう了見ですか?」

「いいえ、左様な陳腐な真似は致しませぬ。私はただ、交換視察団として、月が世の要職に就かれる貴殿と、友人になりとうだけにございますれば」

 セライは真っ直ぐに朱鷺を見て、その言葉の真偽を探った。セライが頷きながら言った。

「こうして貴方に付きまとわれるのも面倒です。一層、友人などと反吐が出る建前はなしにして、勝負事で決しましょう。貴方が勝てば、許可証を発行して差し上げます。しかし、わたくしが勝った暁には、今後一切スザリノ王女に関しての許可証は承認しません。わたくしや他の者に取り次ぐこともなさらぬよう、お願いします」

「ああ、流石は役人。話が単純明快で助かりますなぁ。……すべては其方そちらが申し出たこと。如何様いかような結果になっても、泣き寝入りはなさらぬよう、お願い申し上げる。……では早速、勝負事と参りましょうか」

 一対一の勝負事に、二人のスーツ姿の男が向き合う。

 異文化同士の二人が単純明快に勝負を決するには、「やはり腕試しが宜しいかと」そう朱鷺が提案して、腕力にて競うこととなった。

「成程、腕相撲ですか」

「実に単純明快にございましょう?」

「そうですね。では……」

 上着を脱いだセライが右手を出した。

水影みなかげ、そなたが判定せよ」

 物陰に隠れていた水影に、朱鷺が託す。

「まだお仲間はおいででしょう。どこに隠れておられるのやら」

 安孫あそんの存在に気づきながらも、それ以上セライが状況を乱すことはなかった。朱鷺も上着を脱ぎ、セライと手を組む。

「では、いざ尋常に、勝負!」

 水影の発声で、二人の力が同時にぶつかった。互いに押し合い均衡状態の中、ぐぐっと奥歯を噛み締めたセライが訊ねた。

「どうしてスザリノ王女なのです? お近づきの品を献上したいならば、王妃陛下に献上なさるが筋でしょう?」

「私には目的があるゆえ、如何どうしても、すざりの王女とお近づきにならねばならぬのです。単純明快に言わば、愛、にございますよ」

「愛……?」

 朱鷺の言葉に、セライが顔を顰めた。

「腹黒が言う酒池肉林なんかに、愛なんてあるの?」

 物陰に隠れていたルーアンが、同じく物陰に隠れている安孫に訊ねた。

「権力者の特権にございますれば、それがしなどには分からぬものですが、少なくとも主上しゅじょうは、ただ肉欲の為に、天女様方を侍らせたいとは御思いではございませぬ。侍らす御方すべてに、等しく愛を注がれることにございましょう」

「ふーん、腹黒のくせに、誠意ってものはあるようね」

「元より、慈悲深き御方にございますれば……」

 そう言って主を見つめる安孫の背には、数十本ものが担がれている。手に持つ弓を、ぎゅっと安孫は掴んだ。

 力が均衡する中、「ふん」とセライが鼻で笑った。

「愛? 友情? そんな不確かな感情など、反吐へどが出る……!」

 朱鷺が押され始め、ぐぐっと奥歯を噛み締めた。それでも笑みを浮かべる。

「貴殿は、人情ものは、お嫌いですかな?」

「人情など、一官吏のわたくしには、不要な感情ですから」

うですか。であらば、すざりの王女は、私が寵愛して差し上げると致しましょう」

 朱鷺の言葉に一瞬、セライから力が抜けた。一気に勝負を決めようと朱鷺が力を加えるも、寸でのところで、ぐっとセライに力が戻った。

「得体の知れない地球人になど、王女を近づけさせる訳にはいきません……!」

 盛り返すセライに、「私を信用召され」と朱鷺が呟く。目を丸めたセライの背後に、覆面を被った男らが現れた。

「はて、面妖な野次馬ですなぁ?」

「……野次馬ではありませんよ。どれもわたくしに、恨みを抱いている者達ですから」

 手を離したセライが男らと向き合った。男らは手に金属棒を持ち、無言で立っている。

「正確にはわたくしではなく、わたくしの父に、憎悪を抱いている者達ですがね」

 突然襲い掛かってきた男らの攻撃を、セライが避ける。手は出さず、「父への恨みをわたくしで晴らさないで頂きたいっ!」と言葉で説得する。

「ふむ……」

 状況を見極めんとする朱鷺と水影にも、暴漢の金属棒が襲い掛かった。顔色一つ変えず、脇差の鞘で暴漢の腹を突き刺した水影を、「意外とやるわね、変人も!」と物陰に隠れるルーアンが褒めた。その隣にいた安孫が音もなく立ち上がり、弓を構えたその姿に、「あ……」とルーアンは気が付いた。

 自分を狙う暴漢に、ひっそりと朱鷺が笑う。

「――安孫」

 放たれたが、金属棒を振り上げた暴漢の腕に突き刺さった。次から次に箭を放つ安孫の横顔は、百戦錬磨を戦い抜いてきたつわものの表情で、今朝ビビリと揶揄したその姿は、どこにもなかった。そのことに、安孫を隣から見上げるルーアンは気付かされたのだ。

「くそっ……! せめてお前だけでもっ……」

 負傷した暴漢の一人が、セライ目掛けて金属棒を振り翳す。それを受け入れようとしたセライの前で、朱鷺が金属棒を素手で受け止めた。その背中に、セライが大きく目を見開いた。

「折角男同士で友情を深めておったと言うに、野暮な横やりは、無粋ですぞ?」

 暴漢が押しきろうとする程に、金属棒は押し返される。焦った暴漢の覆面に、朱鷺が手を掛けた。

「その素顔、表しあれ」

 覆面が外され、その素顔が明らかになった。

「エルヴァ……!」

 物陰に隠れていたルーアンが立ち上がった。

「おお天女中、そなたの知人か?」

「私が王女だった時の護衛隊長よ!」

「護衛……ふむ、何処いずこで見た顔かと思えば、そなた、今朝すざりの王女の自室前におった、近衛このえではないか」

 ぐっと近衛――エルヴァが顔を反らした。左腕を箭で負傷していて、流血している。それを力一杯に引き抜いた。

「エルヴァ、どうしてあなたがセライを……?」

 ルーアンの問い掛けに、エルヴァは顔を背けたまま言い放った。

「……おれは、貴方だけの護衛です、王女様……!」

 そう悔しそうな表情を浮かべたエルヴァが、負傷した仲間を連れ、その場から退散していった。

「エルヴァ……」

 闇へと消えていった男らに、ルーアンの複雑な声が落ちた。しんと静まり返ったその場で、朱鷺がセライと向かい合った。

「……間一髪でございましたなぁ。大事ございませぬか、せらい殿」

「わたくしを庇うなど、無用な気遣いです。貴方に助けられたなど、屈辱以外の何物でもありませんから」

「おやまあ、随分な言われようですなぁ?」

 水影の冷静な物言いに、セライが小さく吐息を漏らした。朱鷺に背を向けると、「一応、礼は言います。有難うございました」と碧色の瞳だけが向いた。

「なに、礼には及ばず。暴漢に襲われておれば、誰であろうと救うのが、我らちきうの民の性分にございますれば」

 官吏用住宅の前で起きた騒ぎに、いつの間にか多くの野次馬の姿もあった。

「さて、勝負の続きと致しますか。せらい殿、ご準備下され」

 そう言って再び腕相撲の構えを見せた朱鷺に、「もう十分です」とセライが淡々と言った。

「はて、十分とは?」

「勝負は既に決しました。腕相撲は勝負中、先に手を離した方が負け。彼らが現れた時、先に勝負を投げだしたのは、わたくしですから」

「ほう、では宣言通り、許可証の方を?」

「……如何様いかような結果になっても、泣き寝入りは許さないのでしょう? 地球人は」

 険阻な表情を浮かべるセライに、「あの、セライ……」とルーアンが目を伏せた。その姿を見つめるも、ふいっとセライは目を反らした。

「貴方にも責任の一端はあるのですよ、ルーアン元王女。あの者らが父に憎悪を抱くのも、スザリノ王女が、第一王女になられたのも……」

 セライは上着を取ると、しっかりとした足取りで自宅へと歩き出した。その姿を無言で見つめる朱鷺に、「明日また、いらして下さい」と言い残し、去っていった。

「ふむ……」

 状況を見極めんとする朱鷺が、その背中をじっと見つめた。

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