第9話 殴るメイド

「――何故なにゆえだ!」

 朱鷺ときが自室で不満の声を上げた。

如何いかがなされました、主上しゅじょう!」

 ペチンと鼻先を扇子で叩かれ、「つう!」と傍に控えていた安孫あそんが痛みに悶えた。

「俺の名は?」

「うう、都造みやこのつくりこ朱鷺様に、ございます……」

 首尾良く事が進まない状況も相俟あいまって、不機嫌な朱鷺が影を落とす。そこに、朝食を運んできたルーアンが入ってきた。

「あら、アンタもここにいたの、ビビリ」

「びびり?」

「臆病者、と言う意味にございますよ」

 ルーアンと一緒に入ってきた水影みなかげの解説に、「それがしはびびりではございませぬっ!」と安孫がいきり立った。

「おやまあ、左様に大声で反論せずとも聞こえておりまする。それとも、びびりという自覚が御有りゆえ、動揺されておいでか?」

「ぐぬぬっ……」

 一段上から見下ろすような水影の目つきに、安孫は苛立つ拳を握った。

さぬか。共に俺の瑞獣ずいじゅうならば、手と手を取り合い、仲良うせい」

「心得ておりまするが、如何どうにも水影殿とは昔から馬が合いませぬ!」

「私も、安孫殿が如き武骨な方とは、心通ずるものがございませぬなぁ。そもそも、此度こたびの交換視察の件に於いても、乗り気ではなかった御様子にございますれば、最初から朱鷺様を御護りするつもりなど、毛頭なかったのではございませぬか?」

「なっ……! 左様なことがあるはずもなかろう! 某は日の下一の武人にございまするぞ!」

「真に日の下一と誉れ高きは、貴殿の父君にございましょう? 父君の高名により、その御身分を安堵された貴殿が、大層な口ぶりでございますなぁ?」

「貴殿とて、たかが名門の御家に生まれただけではございませぬか!」

「止さぬか、みっともない!」

 朱鷺に制止され、水影と安孫が互いに顔を背けた。

「よく分からないけど、ビビリは大物武将の二世ってコト?」

「ほう、二世。それは新たなけなし言葉にございまするか?」

「貶してるってワケじゃないけど……世間では偉大な親の七光りで、自らもスポットライトを浴びているってイメージね」

「偉大な親の、七光り……」

 そう呟いた安孫が目を伏せた。そこに「はあ」と朱鷺が溜息を吐く。

「左様なことは如何どうでも良い。今は現実問題を解決せねばなるまいて」

「はあ? 現実問題?」

 羽衣装束を身に纏うルーアンに、朱鷺がずんずんと迫り寄った。

「ちょっと何よ!」

「……何故だ?」

「はあ?」

「何故そなたら女中や女官らは羽衣装束を召しておるのに、王妃と王女は未だにしるくどれすなのだ!」

「知らないわよ、そんなコト!」

 王宮内では朱鷺の「かわいい」発言と宣伝ポスターの効果により、多くの女官やメイドらが羽衣装束に袖を通している。しかしながら、肝心な王族が未だシルクドレスのままだった。

「正直、天女らとの酒池肉林三昧に於いて、一部の女官を除き、大半は我が悲願には関わりのない者ばかり。やはり我が隣にて寵愛すべきは王族、その中でもすざりの王女は、何を措いても欠かせぬ天女よ」

 首尾良く現実が動かない様に、朱鷺は顔をしかめた。そんな朱鷺に、「わ、わたしも一応、王族だけど……」とルーアンが照れながらも言った。

「そなたか……そなたは乳がないからのう」

 興ざめと言わんばかりの眼差しに、さっとルーアンが表情を消した。

「なっ! 何故殴る!」

「アンタなんて、こっちから願い下げよ!」

 拳で朱鷺の頬を殴ったルーアンに、「ほう!」と水影の瞳が輝いた。

「朱鷺様っ! 大事ございませぬか? るうあん殿、主の御顔を殴るのは、御遠慮願えませぬか!」

「今のはっ……! 今のは如何どういう心持ちの変化にございまするか!」

「もう! ウルサイわね、アンタ達! さっさと朝食を済ませてちょうだい! そうじゃなきゃ、私の仕事がいつまで経っても終わらないでしょ!」

 ふん、と不機嫌なルーアンが、朱鷺の自室から出て行った。


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