第3話 だっさい兎

 ルーアンは仕事を終えると、薄暗い自室へと向かった。既に夜も更け、より一層闇が辺りを包む中、照明を点け、自室がある地下へと階段を下っていく。

 ――地下牢。かつてそう呼ばれた場所が、ルーアンが寝起きし、本来、素顔を明かせる唯一の場所であった。鉄格子が外されたそこは木板で扉を作り、石造りの床や壁が、ひんやりと主の帰りを待っている。だが今宵、扉を開けたそこに、男らはいた。

「ちょっと! ここで何してるのよ……!」

「待っておったぞ、天女中。いや、王女よ」

 朱鷺ときはルーアンから顔布を取ると、意地悪く笑った。

「王女って、私はもう王女なんかじゃないわよ! ていうか、どうしてここが私の部屋だって分かったの?」

「なに、ちぃとばかり、擽りをのう」

 その手つきから、王宮に仕える誰かに朱鷺と水影が口を割らせたと、容易に想像が出来た。

「どうやら、月の民は擽りに弱いと見える。容易に口を割ったでな。それで……」

 朱鷺がルーアンの手首を取り、石造りの壁に押しやった。

「ちょっと! 離しなさいよ! 壁ドンなんかしたって、アンタなんかにはトキメかないんだから!」

「口を口で塞がれたくなくば、しばし大人しく俺の話を聞け」

 ぐっと口を噤んだルーアンに、「良い子だ」と朱鷺が頷く。その後ろには水影みなかげ安孫あそんの姿もあって、主の言動を黙って見守っている。

「るうあんとやら、そなたは王女らしいな。つまりは姫、やんごとなき身分の御方が、何故なにゆえ女中などという身分にまで落ちたのだ?」

「それはっ……! アンタに教えるワケないでしょ!」

 ぷいっと顔を背けたルーアンに、「ふむ」と朱鷺は顎に手をやり、考察の構えを見せた。

「……大凡おおよそ、月が世を統べる王が崩御した折、為政者が第一妃であったそなたの母御を、僻地へと追放したのであろう? そして、残された二人の王女の内、姉は我が世へと追放され、妹は謀反が起きぬよう、女中として人質にされておる、左様なところか?」

 想像とは思えない考察に、ルーアンは言葉が詰まった。「どうしてそんなことっ……」と大半を言い当てた男から顔を背けた。

「ほう、の者は真実を述べておったのだな。擽り、絶大なる効力よ」

「なっ……! 最初から知ってたのね! ていうか、誰に口割らせたのよ! 交換視察で来てるくせに信じられない!」

「目的があると言うたであろう。目的の為ならば手段は択ばず。如何なる手を使つこうてでも、我が目的を完遂させるまでよ!」

 熱く語る朱鷺に、ルーアンは深く吐息を漏らした。

「それで? 私に何をして欲しいワケ?」

「察しが良いのう。流石は元王女。そなたには、俺の目的完遂に向けての援者えんじゃとなってもらう」

「はあ? 援者?」

「左様。俺は此度こたびの交換視察に於いて、互いの世の文化交流及び平和的国交の再開など、如何どうでも良いのだ。俺の目的はただ一つ、天女らと酒池肉林三昧の日々を送る、ただそれだけだ!」

「サイッテー!」

 鼻息荒く語った朱鷺に、ルーアンが軽蔑の眼差しを向けた。「はああ」と深く溜息を吐く安孫と、「ほう」とルーアンの態度に興味を示す水影。

「最低なものか。あちらが世では、権力者は皆一様に、酒池肉林に興じておるでなぁ。無論、俺もうするつもりであった。だが、親王、東宮、帝、人が世の頂にまで君臨したと言うに、その願いだけはついぞ叶わんかった……」

「はあ? アンタ、何言ってんの? 帝って……」

「我が主はあちらが世に於いて、時の帝にあらせられる御方にございます」

「うそ……」

 水影の説明に、ルーアンが信じられないと言わんばかりに朱鷺を見上げる。

「ああ、俺が帝であることは内密に頼むぞ。本物の帝が月にいると知れたら、みなが混乱するであろうからな」

「じゃあ、向こうにいる帝は、偽物?」

「偽物と言えば偽物だがな。俺より良う働く男ぞ? それで、そなたには俺の援者として、天女らが俺に惚れるよう、仕向けてもらいとうてな」

「天女って、スザリノとルクナンのこと? 宴で分かったと思うけど、あの子達はアンタには絶対なびかないわ。だってその格好、ものすごくダッサイもの!」

「だっさい、とな?」

「さいってー、だっさい……何故なにゆえか、背筋がぞくぞくする言葉にございますなぁ?」

「水影殿?」 

 常に無表情である水影が、恍惚こうこつの表情を扇の内に隠す。

「だっさい、とは何ぞ?」

「ふん。イケてない、かっこわるい、傍に寄られるのも虫唾が走るってことよ!」

「成程」

 朱鷺と水影が同時に頷いた。

「俺は月が世では、野暮であると言うのだな。……良う分かった」

 朱鷺が哀愁の表情を浮かべ、ルーアンから手を離した。

「帰るぞ、水影、安孫。邪魔したな、るうあん

 部屋から出て行く朱鷺に、「あ……」とルーアンの心が軋む。扉の前に立った朱鷺が、表情無く言った。

「もし俺が、そなたが言う、だっさいではのうなったら、俺の援者となってくれるか?」

「それは……まあ、いいけど」

「そうか。ならば、明日を楽しみにしておくが良い――」

 

 翌日、朝拝ちょうはいの為に、三人が王妃と二人の王女の前で立礼した。ヘイアン装束を身に纏い、頭にはかんむりを被っている。彼らの様子を昨日同様、ルーアンが二階の物陰から窺った。その視線に気づき、そっと朱鷺が笑う。

「昨晩は絢爛豪華な宴を催して頂き、恐悦至極にございました。されど、左様な席に、我らが不格好な姿で現れましたること、この場にてお詫び申し上げまする。あれより後、すうつなる装束の着方、我ら三名、夜を徹して指南書通り着付けられるよう、修錬を積みましてございます」

 そう言うと、三人はその場にてヘイアン装束を脱ぎ捨てた。

「きゃあ!」

 思わず顔を隠した二人の王女。固唾を飲んで見守るルーアンも視線を外すも、「まあ!」と黄色い歓声を上げた王妃に、三人の娘らは、恐る恐る若者らに目を向けた。三人とも、きっちりとスーツを着こんでいる。

「このねくたいとやらには、いささか手を焼きましたが」

 それでも指南書通りにネクタイを結んでいる。朱鷺は背中に突き刺さる視線に振り返ると、「ああ、この冠は不要でしたな」と不敵に笑った。

 彼らのいで立ちに、二人の王女も、ようやく地球よりの視察団に興味を示した。

「――どうだ、だっさい兎が、一端いっぱしの男になったであろう?」

 朱鷺が自室で鼻高々に言った。

「まあ、昨日よりはマシになったんじゃない?」

「ならば天女中よ、約束通り、俺の援者となってもらうぞ?」

「言っとくけど、私には何の力もないのよ? 協力出来ることも少ないと思うけど?」

「良い。落ちぶれた王女であろうが、我が悲願の手駒にはなろう。それに、目的が達成された暁には、天女中――そなたの望みも叶える手助けをしてやるでな」

 ドクンとルーアンの心臓が高鳴った。慌てて表情を隠し、つんとした態度を取る。

「アンタってホント、見た目倒しで腹の中真っ黒ね。今日から腹黒って呼ぶことにするわ!」

「はらぐろ……!」

 水影の瞳が輝いた。この異境の地にて何かに目覚めた水影と、天女らとの戯れに野望を燃やす朱鷺。そんな二人に安孫は、ただただ溜息を吐くばかりだった。

                   

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