第3話 だっさい兎
ルーアンは仕事を終えると、薄暗い自室へと向かった。既に夜も更け、より一層闇が辺りを包む中、照明を点け、自室がある地下へと階段を下っていく。
――地下牢。かつてそう呼ばれた場所が、ルーアンが寝起きし、本来、素顔を明かせる唯一の場所であった。鉄格子が外されたそこは木板で扉を作り、石造りの床や壁が、ひんやりと主の帰りを待っている。だが今宵、扉を開けたそこに、男らはいた。
「ちょっと! ここで何してるのよ……!」
「待っておったぞ、天女中。いや、王女よ」
「王女って、私はもう王女なんかじゃないわよ! ていうか、どうしてここが私の部屋だって分かったの?」
「なに、ちぃとばかり、擽りをのう」
その手つきから、王宮に仕える誰かに朱鷺と水影が口を割らせたと、容易に想像が出来た。
「どうやら、月の民は擽りに弱いと見える。容易に口を割ったでな。それで……」
朱鷺がルーアンの手首を取り、石造りの壁に押しやった。
「ちょっと! 離しなさいよ! 壁ドンなんかしたって、アンタなんかにはトキメかないんだから!」
「口を口で塞がれたくなくば、
ぐっと口を噤んだルーアンに、「良い子だ」と朱鷺が頷く。その後ろには
「るうあんとやら、そなたは王女らしいな。つまりは姫、やんごとなき身分の御方が、
「それはっ……! アンタに教えるワケないでしょ!」
ぷいっと顔を背けたルーアンに、「ふむ」と朱鷺は顎に手をやり、考察の構えを見せた。
「……
想像とは思えない考察に、ルーアンは言葉が詰まった。「どうしてそんなことっ……」と大半を言い当てた男から顔を背けた。
「ほう、
「なっ……! 最初から知ってたのね! ていうか、誰に口割らせたのよ! 交換視察で来てるくせに信じられない!」
「目的があると言うたであろう。目的の為ならば手段は択ばず。如何なる手を
熱く語る朱鷺に、ルーアンは深く吐息を漏らした。
「それで? 私に何をして欲しいワケ?」
「察しが良いのう。流石は元王女。そなたには、俺の目的完遂に向けての
「はあ? 援者?」
「左様。俺は
「サイッテー!」
鼻息荒く語った朱鷺に、ルーアンが軽蔑の眼差しを向けた。「はああ」と深く溜息を吐く安孫と、「ほう」とルーアンの態度に興味を示す水影。
「最低なものか。あちらが世では、権力者は皆一様に、酒池肉林に興じておるでなぁ。無論、俺も
「はあ? アンタ、何言ってんの? 帝って……」
「我が主はあちらが世に於いて、時の帝にあらせられる御方にございます」
「うそ……」
水影の説明に、ルーアンが信じられないと言わんばかりに朱鷺を見上げる。
「ああ、俺が帝であることは内密に頼むぞ。本物の帝が月にいると知れたら、
「じゃあ、向こうにいる帝は、偽物?」
「偽物と言えば偽物だがな。俺より良う働く男ぞ? それで、そなたには俺の援者として、天女らが俺に惚れるよう、仕向けてもらいとうてな」
「天女って、スザリノとルクナンのこと? 宴で分かったと思うけど、あの子達はアンタには絶対なびかないわ。だってその格好、ものすごくダッサイもの!」
「だっさい、とな?」
「さいってー、だっさい……
「水影殿?」
常に無表情である水影が、
「だっさい、とは何ぞ?」
「ふん。イケてない、かっこわるい、傍に寄られるのも虫唾が走るってことよ!」
「成程」
朱鷺と水影が同時に頷いた。
「俺は月が世では、野暮であると言うのだな。……良う分かった」
朱鷺が哀愁の表情を浮かべ、ルーアンから手を離した。
「帰るぞ、水影、安孫。邪魔したな、るうあん元王女」
部屋から出て行く朱鷺に、「あ……」とルーアンの心が軋む。扉の前に立った朱鷺が、表情無く言った。
「もし俺が、そなたが言う、だっさいではのうなったら、俺の援者となってくれるか?」
「それは……まあ、いいけど」
「そうか。ならば、明日を楽しみにしておくが良い――」
翌日、
「昨晩は絢爛豪華な宴を催して頂き、恐悦至極にございました。されど、左様な席に、我らが不格好な姿で現れましたること、この場にてお詫び申し上げまする。あれより後、すうつなる装束の着方、我ら三名、夜を徹して指南書通り着付けられるよう、修錬を積みましてございます」
そう言うと、三人はその場にてヘイアン装束を脱ぎ捨てた。
「きゃあ!」
思わず顔を隠した二人の王女。固唾を飲んで見守るルーアンも視線を外すも、「まあ!」と黄色い歓声を上げた王妃に、三人の娘らは、恐る恐る若者らに目を向けた。三人とも、きっちりとスーツを着こんでいる。
「このねくたいとやらには、
それでも指南書通りにネクタイを結んでいる。朱鷺は背中に突き刺さる視線に振り返ると、「ああ、この冠は不要でしたな」と不敵に笑った。
彼らのいで立ちに、二人の王女も、ようやく地球よりの視察団に興味を示した。
「――どうだ、だっさい兎が、
朱鷺が自室で鼻高々に言った。
「まあ、昨日よりはマシになったんじゃない?」
「ならば天女中よ、約束通り、俺の援者となってもらうぞ?」
「言っとくけど、私には何の力もないのよ? 協力出来ることも少ないと思うけど?」
「良い。落ちぶれた王女であろうが、我が悲願の手駒にはなろう。それに、目的が達成された暁には、天女中――そなたの望みも叶える手助けをしてやるでな」
ドクンとルーアンの心臓が高鳴った。慌てて表情を隠し、つんとした態度を取る。
「アンタってホント、見た目倒しで腹の中真っ黒ね。今日から腹黒って呼ぶことにするわ!」
「はらぐろ……!」
水影の瞳が輝いた。この異境の地にて何かに目覚めた水影と、天女らとの戯れに野望を燃やす朱鷺。そんな二人に安孫は、ただただ溜息を吐くばかりだった。
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