第14話 人のふり
――セツナ視点
買って来た食材を台所に広げ、少し悩んでから、まず下準備に野菜を切ることにした。
色とりどりの食材からひとつずつ掴み、刃をスッと入れていく。
包丁の使い方にはもう慣れてきたと思う。
最初は指を切ったりしてずいぶん苦労したけど、練習したかいがあってギルから料理を任せられるくらいにはなってきた。
「ご飯なんて食べられればそれでいいや」と雑に作っていた数か月前が懐かしい。
あの時はギルも引きつった顔をしてたっけな。
なんだかんだで、普通の人としての暮らしはできている気がした。
自分の正体が気付かれることはなく、ギル本人にすらそれは気付かれていない。
文字だって読めるようになったし、本を読むことも苦じゃない。
器用に読書しながら料理を進めていると、玄関ががちゃりと開く音が聞こえてきた。
足音だけでも誰かはすぐに分かった。
私は台所から玄関に向かって顔をのぞかせた。
「おかえり、ギル」
「ただいま、セツナ。
うまそうなにおいだな」
きっとお金が入っているのであろう財布袋を手にしたギルをねぎらいながら、出来あがったばかりのご飯を机に並べる。タイミングはばっちりだ。ギルが装備を置いたり、上着を脱いだりして落ち着くころを見計らって、二人で椅子に座った。
「――そういえば今日、久しぶりに弟子と再会してな」
ご飯を食べながらいつも通りの会話をしていると、ギルはそんな風に話題を切り替えてきた。
「弟子って、狩人の?」
「ああ。
たぶんセツナと会うよりも二年くらい前かな……。
俺が直々に教えていたやつで、ずっと別の街に行ってたんだ。
それが今日こっちに戻ってきてたみたいでさ」
ギルはいつもより嬉しそうにしながら話していた。
仲の良い人なのかな。ギルのこういう表情はあまり見たことがない。
自分の知りえない時間や景色を想像しながら、わたしは野菜を口に運んだ。
「遠い街で、魔物のなかでもとくに強いやつを討伐した英雄になってやがった。
先を越されちまったよ」
「へえぇ……」
とくに強い魔物かぁ……。
わたしが知ってるのだとアシュタロスとかシャドナベイルとか、そのあたりかな。
あいつら生存力高いから歴戦の個体になりやすいんだよね……。
わたしは最上位の魔物であるキメラだったはずなのに、まだ幼かったからいつもあいつらに馬鹿にされてたんだっけな……。
ま、もう関係ないけど。
「わたしたちも負けてられないね」
「……ああ」
時間をかけて煮込んだお肉を口に入れたギルが、ゆっくりと咀嚼してからこちらに視線を戻した。
「明日は、昼過ぎから魔物退治に行こう。
午前中は久しぶりにあった弟子と話がしたいんだ」
「うん、いいよ。
わたしがいたらきっと邪魔だもんね。
……ねえ、午後の魔物退治にその弟子の人って来るの?」
「いいや。
もし向こうから提案されても断ろうと思ってる」
その言葉を聴いてわたしはちょっとホッとした。
いくらギルと仲の良い人でも、優秀な狩人だというならわたしの正体に勘付くかもしれない。
もしキメラだとバレたら、間違いなくギルとの関係性も危うくなってしまうだろう。
わたしが『人』でいられる唯一の居場所。
それが失われることだけはごめんだった。
……それにしても、ギルのお弟子さんって、いったいどんな人なんだろう。
イメージでは幼い男の子だけど、予想外に屈強な大男だったりするのかな。
そんな人物がギルに頭を下げているなら、一度くらいは見てみたい気もした。
「じゃ、おやすみ」
夕飯を食べ終えてしばらくしたあとは、二人それぞれの寝床につく。
わたしのベッドは以前までギルが使っていたものを借りている。
ギルのほうは昔死んでしまったという仲間の布団を使っているみたいだった。
やっぱり、見知らぬ相手に使わせるのは抵抗があったんだろうなと勝手に考えてる。
……そういえば、ギルのかつての仲間はキメラの王さまに殺されてしまったんだっけ……。
……同じキメラ種のわたしが、ここにいてもいいのかな……。
突然、しばらく目を背けていた疲労感がどっと押し寄せてきた。
「……そうだ、もう三日経ってるんだった……」
眠気に抗いながらじっと耳を澄ませ、ギルが眠ったのを確かめてから、気怠い身体を持ち上げた。
寝床から出て、静かに、音を立てないように注意深く忍び歩き、扉を開けて外に出る。
なんとなく屋根にのぼり、満点の星空のもとで周囲に人がいないことを念入りに確認し『擬態』を解除。
月光の下に、魔物としての姿が露わになる――。
研ぎ澄まされた五感が、世界へと広がっていく解放感に深く息を吐いた。
「……やっぱり、これを続けるのは疲れるなぁ……」
この街で実際に何か月も暮らすことでようやく気が付いた。
わたしの『擬態』の持続時間。
三日。
それが、人の姿を保てる限界だった。
今みたいに定期的に『擬態』を解いて魔物の姿に戻らないと、身体がもたない。
「……はぁ……」
ゆっくりと伸びをして、月夜の空に腕を伸ばす。
やっぱりだるいなあ。
運動とかで感じるのとはぜんぜん違う異様な疲労感を、ゆっくりと息にこめて吐き出してゆく。
風が涼しい。
肌に触れる空気の細やかさが『擬態』してるときとぜんぜん違う。
本来の自分を取り戻したかのような解放感。
にもかかわらず、いまの自分の姿を見る者がいないかという恐怖でかすかな風の音にも反応してしまう。
……自分がまだ、ギル以外の人との関係を築けていないことの理由でもあった。
わたしは膝を抱えて空を見上げた。
かつてヴィジョンで見た景色は、この世界には見る影もない。
空からお菓子が降ってくるわけではなく、
街の人々から無条件には受け入れてもらえるわけでもなく、
そしてわたしたち二人はいまだに英雄扱いされてない。
いったい、どこで間違えたのか。
「……たぶん、あの魔法の宝箱のときだろうな……」
あの宝箱は本物だった。
でなければ、あの瞬間、自分のキメラとしての姿が露わになることなどあっただろうか。
あの宝箱は間違いなく本物で、にもかかわらずわたしは何かをしくじった。
ちゃんとしてれば、わたしも、ギルも、ヴィジョンの通りの未来を歩んでいたかもしれないのに……。
――いいや、まだだ。
ギルだって、「うまくいかなくてもそれが当たり前」って言ってた。
ここからだ。
だってまだ数か月しかたっていない。
最初だけうまくいかないこともあるって、もうすでに学んでる。
これから、なんだ。
そう自分に言い聞かせて、暗闇の地平線から赤光がにじんでくるのをじっと眺めた。
――――――――――――――――
時は少しさかのぼり……
真夜中にセツナが擬態を解いた直後。
とある宿の一室から、窓が開かれた。
夜の冷気に金髪をのぞかせたのは、休んでいたアイリーンという名の女狩人。
キメラ殺しを果たした彼女は、その名に恥じぬ鋭い視線を外に送った。
「――今の気配……。
誰かが『擬態』を解いたみたい……?」
彼女は、金色の瞳をスッと薄めて、遠い闇の向こうを見渡した。
じっと耳を澄ませ、肌に触れる微細なシグナルを感じ取り、嗅覚すらも総動員して……。
やがて彼女は確信した。
「……間違いない……。
この街にも、キメラがいる」
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