第三章

第12話 愛弟子の登場

 ――ギル視点




 つまずきそうな木の根を踏み越え、茂みのすき間を縫うように駆ける。


 肌がひりひりするような緊張感は、狩人ならば日常的に接する感覚。

 不快に火照った全身とは裏腹に脳は涼しいほどにさえわたり、鮮明な視界と聴覚がまわりからの情報を貪欲に取り込んでくる。


 鼻につくほど青くさい森のにおいを浴び、堅い地面をかかとで蹴って前進。


 こちらが草やぶから姿をさらした途端に、追っていたはずの獲物がいきなり踵を返し、生温かい口腔を突き出してきた。


「――ッ!」


 激しく脈打っていた心臓が氷のように固まり、剥かれた鋭い牙が頬をかすめる。


 無理な体勢のまま身をよじって回避した俺は、土埃にまみれて地面を転がり。

 擦り切れた頬にまなじりを歪ませながら顔を上げた瞬間、こちらに向けて助走をつけている魔物の姿を認識した。


 間に合わない……――!


 と思った直後、視界を切り裂くように現れた一線の残像。


 どこからともなく飛んできたそれは、ビタリと地面に突き刺さって震える、矢だった。


「――ふっ!」


 魔物が矢にひるんだその一瞬の隙を狙い、疲労のよどむ右腕で剣をなぎ払った。


 ずず、と刃が毛皮を切り裂き、肉を削いで、骨を断ち切る感触が上半身に伝わってくる。


 確かな手ごたえとともに剣を振り抜き、背後で倒れた敵に視線を落とした。


「……討伐完了、だな」


 ふうっと息をつき、剣を鞘に納めた。

 腰に手をあてて、乱れた呼吸を整えていく。


 周囲にほかの魔物の気配は無い。

 あとは、討伐完了の証をこの魔物の死骸から丁寧に切り取って持ち帰るだけだ。


 そこで俺は、たたたと軽快に走ってくる音を耳にした。




「――ギル、大丈夫?」


 振り返ると、森の奥から現れたのは小柄な娘。


 以前よりも伸びた銀髪はきれいに結われており、半袖の服装と相まって動きやすそうな印象を与える。


 片手に弓を携え、もう片手で矢筒を背負いなおした彼女は、澄んだ赤と青のオッドアイを心配そうに向けてきた。


「怪我してない?」

「ああ。

 助かったセツナ。

 もう弓の腕も上達したな」

 ありがと。でも最後のは外しちゃった」

「あれはわざと外したんだろ?

 良い牽制だった」

「なんだ分かってたんだ」


 くすくすと笑うセツナが、人懐っこそうに近づいてくる。


 ここ最近はとくに、年頃の娘らしい言葉使いもできるようになってきた。

 以前は完全にガキみたいな話し方しかできなかったのに、この成長速度には毎度驚かされる。




 この華奢な娘が、魔物の最上位種であるキメラであるなどと勘付くやつはそうそういないだろう。


 半袖からのぞく腕は人間の娘のそれのように細く、その整った容姿もかんがみればそんな疑問を抱くことさえ憚られる。

 だが事実として、このセツナという娘は世にも珍しい『人間に友好的』なキメラなのだ。


 数か月前、俺は『キメラ殺し』を叶えるために役人とともにこいつがキメラであると証明しようとしたが、すんでのところでそれを中止。


 こいつがヴィジョンと呼ばれる予知能力で見せてくれた未来のために、この人間のふりをしている魔物を生かすことにしたのだ。


 いつの日かやってくる、街の危機……。

 他の魔物たちによる大規模な侵略を、このキメラの娘が食い止めるというヴィジョンの内容を信じて、俺はこいつを人の社会に匿っている。


「それにしても、わたしに魔物を殺させないなんて変な方針だね。

 わたしだってその気になればちゃんと急所に当てられるのに」

「ほんとうならこんな仕事させるつもりはなかったからな」

「だってギル一人に危ない目に遭わせるわけにはいかないもん」

「それはこっちのセリフだ。

 まだまだ弓の腕が未熟すぎる。

 まだ……お前の姿を魔物に見られるわけにはいかない。

 しばらくの間は、今までみたいに隠れて援護を続けてもらうぞ」

「はーい」


 つまらなそうに弓を背中にくくりつけるセツナ。


 ――どうにかして、こいつが魔物退治に来ないようにできればいいんだがな……。


 いつか、セツナが魔物たちを説得して街を救う可能性があるだけに、こいつに同族殺しをさせることにはどうしても抵抗がある。


 とりあえず弓矢を教えて、隠れて戦ってもらうという方針でごまかすように魔物退治に同行させてもらっているが……


 このままでいいのかと思うところはある。




 ただ、助かっているところも無いわけではなかった。




「狩人のギル・リンドウだ。魔物を倒して戻ってきた。

 門を通してくれ」

「……ちっ」


 露骨に嫌そうな表情で舌打ちする門兵。

 以前セツナと出逢ったときにいたような意地悪な門兵ではなかったが、それでも似たような反応だ。


 いまだに慣れない居心地の悪さを感じながら沈黙をやり過ごしていると、やがて相手は面倒そうに道を開けてくれる。


 どうやら仕事に対してはちゃんと真面目に取り組んでくれる門兵だったらしい。


 顎で促されて、無事に街のなかに入る。


 ほっと息をつきながら歩いていると、やがてセツナが口を開いた。


「なんなのあいつ! ギルにだけいっつもあんな態度でさ!

 一回くらい魔物にボコボコにされちゃえばいいのに!」


 背後を振り返ったセツナが舌を「べ」と出しているのを見て、俺は頬が緩んでしまった。


 セツナは変わらず、俺の味方をしてくれている。

 それだけでも十分ありがたいことだった。

 先の役人の件もあって、ただでさえ自分には味方が少ないのだから。


 何気に借金はまあ残っているしセツナのぶんの食い扶持ぶちも稼がなければならなくなったので経済的にはなかなか厳しいが……それでも、こんな愉快に日々をしのげているのはひとえにこいつのおかげである。


「落ち着けセツナ。

 どうせ今だけの辛抱だ。

 お前がヴィジョンで見せた未来がくれば、きっと俺たちは二人で英雄になれる。

 そうなりゃ、あいつらだって手のひらを返すさ」

「……うん、そうだね」


 怒りを飲み込んでくれたらしいセツナが、パッと表情を切り替えた。


「それじゃ、わたしは買い物に行ってくるから」

「ああ、俺も依頼完了の報告をしたら家に戻る」

「また後でね」

「余計なもの買ってくるなよ」

「もう、そんなことしないってば」

「はは、今日の料理当番はお前だろ?

 期待してるぞ」



 任せて、と弓を背中にくくり付けたまま街の人混みに消えていくセツナを見送ってから俺は歩き出す。






 俺がセツナの正体に気付いていることを、セツナ本人はまだ知らない。


 いや、もしかしたら向こうもうすうす勘付いてはいるのかもしれないが、そのことを話題に出したりはしてこない。


 何しろあの成長速度だ。

 すでに年頃の娘らしい言葉使いを覚え、日常のふとした仕草や癖にも人と変わらぬものを垣間見せるセツナが、いつまでもこちらの嘘に気が付かないなんてことはないだろう。


「こんな、お互い誤魔化してるような状況のままでいいのかね……」


 そんな風にひとりつぶやきながら、目の前の建物のなかに入って行く。


 狩人たちが集まる支店のひとつで、魔物退治の証となる体組織の一部を提出し、いくつか報告用の書類に記入する。


 そんな傍らで、嫌でも耳に届いてくる会話に眉をひそめた。


「おい、あの男だ。

 拾った孤児に狩人をさせているギル・リンドウってやつは」

「へえ……あいつが……」


 へいへい、俺がそのギル・リンドウですよ……。

 孤児という名のキメラ娘を危険な目に遭わせてすいませんねえ。

 ま、その孤児って肩書はでっちあげだが。


 心の中で悪態をつきながら報告を済ませ、金を受け取る。


 報酬が数えられている間に、別のところから聞こえてきた会話に耳を澄ませた。


「なあ、知ってるか?

 遠い別の街で『キメラ殺し』を果たした狩人がこのクォリックに来てるんだってよ」

「まじかよ、どんなやつなんだ?」

「女の狩人らしい。それも、線の細い女さ」

「はっ、冗談はよせよ。それでどうやって獣よりも力強い魔物を殺せんだ」

「マジだって!」

「だいたい『キメラ殺し』を果たせるようなとんでもねえ狩人さまが何だってこんな街に来るんだ?」


 俺は受付のカウンターに寄りかかりながら息をついた。


『キメラ殺し』ね……。


 俺も数か月前は、その名誉を求めてセツナを罠にハメようとしていたものだ。


 もしあの時セツナがキメラだと証明されて、俺が自分の手であいつを殺していたら、いまここで囁かれているように話題をかっさらっえていたのだろうか。


 馬鹿な話だな。

 俺はもう『キメラ殺し』なんて眼中にない。


 セツナを殺すよりも生かしておいたほうが街を救えると、俺は賭けたのだ。


 きっとすぐに、魔物の軍勢がこの街にやってくるはず。


 その未来のために数か月間、セツナの正体を誰にも気づかせないように――。


 そして俺自身も気が付いていないふりをして、ここまでやってこれたのだ。


 このままこれが続けば、問題はない。




「……でも、アンサングスのみんなには恨まれるかな……」




『キメラ殺し』の夢を描いていたかつての仲間たちの視線を感じたような気がして、俺はうつむいた。




 ……いいや、きっと『より多くの人々を魔物の脅威から救う』という理想のためなら……あいつらは納得してくれるはず……。







 そこで、俺は異変に気がつく。


 急に、まわりの話し声が聞こえなくなったのだ。


 視線を上げれば、くだんの凄腕狩人さまの話題で囁きあっていたはず他の狩人たちが突然声を潜めて、入り口のほうに意識を向けている。




 開かれた扉から入ってきたのは、二対の剣を腰に携えた線の細い女。



 物腰からしてただ者ではない。

 平然としているようでいて油断なく室内を見渡しており、細かな動作の一つ一つに隙がない。





 どうやら、あれが『キメラ殺し』を果たした凄腕の狩人さまのようだ。


 確かに、あの佇まいは歴戦のそれを思わせる。

 顎をさすりながらそいつのたたずまいを吟味していた、そのときだった。




 あれ? あいつ、見覚えが――







 瞬間、その女と視線が交わった。




「先生!!」


 やがて、その油断なく顔を引き締めていたはずの女狩人が、顔を輝かせて近づいてくる。


「え、お前まさか、もしかして……!」


 困惑が、次第に確信に変わってくるのを俺は自覚した。


 流れるような金髪に、それと同じくらいまばゆい黄金の瞳。


 そう、それは俺がセツナと出会うよりもずっと前……

 アンサングスの連中が生きていたころからの、数少ない味方の一人。


 その娘の名は――。


「お久しぶりです、ギル先生!

 私のことを覚えてますか?

 アイリーンです! 先生の一番弟子の!

『キメラ殺し』を果たして、無事、この街に戻ってまいりました!」


 彼女は、そう言ってキラキラした目ではにかんだ。




 ――そう、この女は、俺がアンサングスに所属していたときに技を教えた――。


 アイリーンという名の、俺の愛弟子だった。

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