第8話 利用できる弱点

 ――ギル視点



「――で? 

 あの娘っ子はうまく騙せてるのか?」


 緑の豊かな公園のすみで、一緒に罠を運んできてくれたヤレイが問いかけてきた。


「ん、ああ……。

 ……そうだな……」

「どうした?」

「いや、なんでもない……。

 そこだ、そこの木の根元にそいつを置いてくれ」

「了解」


 ヤレイは俺が手作りした特殊な箱型の装置を下ろし、白い息を吐いて天を仰いだ。


 まだ空は青白く、遠くのほうからにじむような赤光が手を伸ばしてくる。

 明け方の肌寒い空気も、すこし体を動かせばなんてことはない。

 朝露で湿った人気(ひとけ)のない公園内で、俺もヤレイと同様に荷物を置き、息をついた。


 ――セツナの正体を暴くポイントとして選んだ公園の一角に、俺たちはいる。


 ここが普段から人が寄ってこない場所だということは確認済み。

 近くにはこの場所を一方的に見下ろせる高台があって、役人さまを無事にエスコートしやすい環境だ。この絶好の場所を探すのにこの一週間のほとんどを費やした甲斐があったと思う。


 しかし。


「あのさ、ヤレイ……」

「うん?」

「この作戦、このままうまくいっちまうのかな」

「なんだよ、怖気づいてるのか?

 もうあと数時間もすれば役人が来るんだぜ」

「……ああ、そうだな」


 俺はヤレイが置いてくれた装置のそばにしゃがみこみ、運んできた麻袋を紐解いた。


「それが、キメラの『擬態』を解くっていう銀の粉か?」

「ああ」

「いったいどういう理屈なんだ?

 そんな、キラキラ光るだけの粉で魔物の正体を暴けるなんて」


 顔を近づけたヤレイが、いかにも健康に悪そうな銀色の粉が舞い上がるのを見て口元を覆う。


 俺も自分の口元に布を固定して、作業を始めながらくぐもった声でヤレイの質問に答え始めた。


「そうだな……。

 キメラってのはいろんな生物の特徴を併せ持つって言われてるだろ?

 魔獣の爪とか、天使の翼とか、火竜の肺とか……。

 そんななかで、やつらが使う『擬態』の能力は、大昔に『人狼』って呼ばれてた怪物の変身能力が元だって言われてるんだ」

「へえ」

「まあ、詳しい原理は日がな一日魔物を解体してる研究者の連中でもなきゃ分からないだろうが……とにかく、その人狼は銀の粉を浴びることで人間への変身が解けるとされていたらしい。

 だから――」

「人狼と同じ弱点をつけば、キメラも正体を現す、ってことか」


 ヤレイは、箱型の装置に注がれてゆく銀粉を眺めて、ぼそりとつぶやいた。


「キメラって魔物は、いろんな化け物の力を取り込んだと同時に、弱点も一緒に取り込んじまったんだな」


 俺は誤って銀粉を吸い込まぬよう、黙ったまま頷いた。


 多少は違っているところがあるかもしれないが、『銀の粉で擬態を解ける』という一点に関しては疑う余地はない。

 なぜなら、これは過去に数多くの狩人たちの犠牲を伴いながらようやく得られた情報だからだ。


 人類が長い時間をかけて発見した、人間とキメラとを見分ける唯一の方法。

 それがあるからこそ、こうして『キメラ殺し』の算段もつけられている。


 ただ……。


「しかし、本当にもういよいよだな。

 確認なんだが、たしか役人が来るのはこの後の昼過ぎだったよな?

 そこでちゃんとあの娘っ子がキメラだと証明されて、お前がその剣であのガキの魔物をぶっ殺せば……。

 ああ、待ちきれないなあ!!

 今までお前を下に見てた連中が、いっせいに目の色を変えるんだ!

 街の連中もようやくお前の価値を理解して、その余波で、いままでずっと報われなかった若い狩人のやつらも日の目を浴びるようになってさ!」


 ヤレイは、興奮を抑えきれない様子でその場をぐるぐると歩きまわり始めた。


「オレ、今までいろんな狩人に仕事を紹介してきたけど、もうほんとろくでもねえやつらばっかりが上にのし上がっていくんだ。

 それが心底嫌で嫌で……。

 だからさ、ギル、お前みたいな優しいやつが世間から認められれば、きっとこの世の中はちょっとだけでも良いもんになる気がするんだ。

 その手伝いができるなんて、ほんとうに光栄だよ」

「……ああ……そうだな……」


 俺はぼんやりとしながら、ふたを閉めたその箱に水をかける。

 標的に俺がやったと気付かれないためのにおい消しの作業だったが、それすらも忘れそうになっている自分にはっと気が付いて顔を振った。


「なあ、さっきから様子が変だぞ。

 なにか悩んでることでもあるのか?」


 そういって不安そうに肩に手をかけてくる友人に、俺はうつむいた。


「……ヤレイ。

 俺、この選択でほんとうに間違ってないのかな」


 目の前に、すべての準備が完了して鎮座する罠の箱を収めながら、俺は振り絞るように声を出した。


「どういうことだよ、ギル」

「……昔、アンサングスのやつらがキメラ殺しを夢に描いてたのってさ、そりゃ、金と名声のためってのもあったんだろうけど、でも一番は街の連中を守るためだったと思うんだ」


 遠くのほうから次第に聞こえてくる、喧噪。

 街が目覚め始めているのを、公園の緑に囲まれながらなんとなく察知していた。


「俺さ、小さいころは盗みとかやってどうにか食いつないでてさ。

 最初は街の連中なんか大っ嫌いだったんだ。

 でも、アンサングスのやつらに拾われて、この街にも良いやつらがいるって知って。

 魔物退治をして戻ったらさ、みんな喜んでくれたんだよ。

 こんな俺に、みんな優しくしてくれたんだ」


 朝日はほとんど顔を出し切って、あれだけ赤かったはずの朝焼け空がもう白くなっているのに気が付いて、俺は立ち尽くした。


「……もしあのキメラのガキを倒したら、たぶん俺はこの街の英雄になれる。

 でも、なんていうか、あの娘を生かしておいたほうが、もっとたくさんの人を救えるような気がして……」

「馬鹿言うなよ、ギル。

 相手はキメラだぞ。魔物だ。

 何があったか知らないけど、やつが危険な存在であることに変わりはないんだ」

「……」

「それにな、もっとたくさんの人を、なんて言うがな、ギル。

 今ここでそいつを殺しておけば、いつか近い将来やつに殺されてしまうかもしれない連中は確実に救えるんだぞ!

 そのうえでお前の立場だって良くなるんだ!

 何を迷う必要があるってんだ!」


 背中をドンと叩かれて、俺はのけ反った。


「しゃきっとしろ!!

 いざって時に迷ってたら自分の身すら守れねーぞ!!

 身体張って生きてる狩人なんだろ!? 集中しろ!」

「あ、ああ……悪い」

「ほら、この装置はオレが見張っといてやるから!

 さっさと敵をおびき出してこい!」


 もう一度乱暴に背中を押されて、俺はその場を離れるほかになくなった。


 迷いを抱きながらも公園内を進んでいた自分の足が、次第に早くなり、やがてその足取りは以前のようなしっかりとしたものへと戻っていく。




 ――そうだ、俺はいったい何を考えていたんだ。


 狩人が獲物に魅了されることなどあってたまるものか。


 あいつは狩られる側の存在で、俺は狩る側の存在。

 その構図を崩してしまえば、ヤレイの言った通り、自分の身を守ることすら難しくなるだろう。


 危ないところだった。

 友人からの叱咤に心の中で感謝しながら、頭を切り替えていく。


 幸い、まだ取り返しはつく。

 このあとに必要なのは、あのガキを準備した場所へ誘い込むための作り話だ。

 これは事前に考えてあるので、あとは頭の中に用意した台本通りにそれを聞かせるだけでいい。

 うまくやつを誘導できるか保証はないが、そこは俺の話術次第だろう。

 失敗はできない。


 公園を抜け、人が増えてきた大通りを足早に抜けて行く。

 俺は何度も今後の展開をイメージしながら、獲物が待っているはずの家へと急いだ。

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