第9話 魔法の宝箱

 ――ギル視点



「――あ、おかえり、ギル!」


 扉を開けた途端に、パッと顔を明るくさせて迎えてくるキメラのガキんちょ。


 こいつが魔物だという確証がなければ、つい心を許してしまいそうになるだろう。

 だが、俺は警戒心を抱えつつも、演技して自然な笑顔を見せてやった。


「ああ、ただいま、セツナ」

「なあなあ、こんな朝早くにどこ行ってたんだ?

 部屋にギルがいなくて、わたしびっくりしたぞ」

「ちょっと確かめたいことがあってな」


 相変わらず無警戒なガキだ。これなら予定通りことを進められそうである。


 俺がいない間に何をやっていたかと部屋の奥をちらと覗き見ると、無造作に絵本が散らばっていた。


 あれは俺の持ち物じゃない。

 たしか昨日こいつがひとりで買ってきたものだ。


 キメラが何を欲するのか調査したいという理由でいくらか金を渡していたが、なんだかんだでこいつが食い物以外のものに金を使うのは初めてだった気がする。


 この分だといつの間にか文字まで読めるようになってても不思議じゃない。

 俺の知らないところで情報を盗まれるリスクが増す前に、やはりこいつは殺しておかなければ。




「――実は、この街には古い言い伝えがあってな。

 なんでも今日みたいな天気の良い日に、人気ひとけの少ない公園の一角にとある宝箱が現れるそうなんだ」


 ここからが俺とヤレイで考えた『作り話』だ。

 不思議そうな顔で見上げてくるセツナに真の狙いを悟られぬよう、俺は平然を装って話し始めた。


「なんでも、その魔法の宝箱には、見つけたやつの望むものすべてが入ってるっていう話でな」

「へ、へぇえ……!」


 食いついてきた。


「そ、それってどんな宝箱なんだ!?」

「えーと、見た目はぼろっちくて、大きくて重い箱だって言われてるな。

 でも開けるのには危険があって、もしそいつが近い将来に大きな嘘をつく運命にあったとしたらその箱は開けたやつの正体を暴いて消えてしまうそうだ」


 ごくり、と生唾を飲み込む音が聞こえてくる。


 ただ単に良いことがあるってだけの話じゃ信憑性が低い。

 適度に損をするリスクも提示してやったほうが食いつきやすい、というヤレイの助言を得てこの路線にしたわけだが、あいつの見立ては正しかったようだ。


 セツナは「欲しいものがいっぱい手に入る……でももしダメだったら……」と、擬態中の自分の体をさすりながら悩みに悩んでいる様子だ。


 いいぞ。ここでもう一押し。


「そういえば、今日の朝方に散歩していたときになんだか見慣れないでかい箱が公園にあったんだが……」

「ほ、ほんとうか!?」

「ま、もし本物だったとしても、昼過ぎのおやつの時間には消えちまうだろうなあ。

 こういう不思議な出来事っていうのは、すぐに通り過ぎてしまうものなんだ。

 今の俺はそんなに欲しいものなんてないから別に興味なんてないけど、でもどうしても欲しいものがあったら今すぐ探しに行っちまうかもなあ……」


 さっきから部屋にかけられた時計の針を見てうずうずとしている様子のセツナを見て、俺はにやりと笑った。


 このくらいで十分か。

 あとは、待ち伏せするだけ。


 役人との打ち合わせの時間をとる必要だけはあるが、その間、例の箱はヤレイが見張ってくれている手はずだ。

 ヤレイが見張っている間はセツナもうかつに近寄れないだろうし、人払いも頼んである。

 あとは安全に獲物の様子を見られるポイントまで役人を案内し、セツナが箱を開ける瞬間を見てもらう――。


 完璧な計画だ。

 いよいよだな。


 心臓の鼓動が早くなったのを感じつつ、ゆっくりと深呼吸。


 今日こいつが正式にキメラだと認められて、それから俺がこいつを殺せば、念願のキメラ殺しを叶えられる。


 いったいどんな暮らしが待っているんだろうな。

 金はたくさん手に入るだろう。そうなったら好きなものを買えるし、うまくいきゃもう働かなくても済むかもしれない。


 そうだ、別の街に行った愛弟子のアイリーンにもちゃんと師匠ヅラしてやれるな。


 こんな俺に教わりたいなんて言うような変わり者の娘だったが、『キメラ殺し』の勲章くんしょうがあればもっとちゃんとものを教えてやれるかもしれない。

 あいつには狩人としての才能があっただけに俺のほうが引け目に感じてしまっていたが、それもすぐに解決するだろう。


 楽しみだな。


 今後の明るい未来を想像して静かに笑っていると、そこで俺はセツナから向けられる視線に気が付いた。


「ん? どうした? セツナ」

「なあギル。

 もしかしてわたしのために、その宝箱を探してきてくれたのか?」

「うん?」


 話の流れが読めなくて聞き返すと、セツナはこちらの様子を伺うように上目づかいで見上げてくる。


「だって、あんな朝早くに外に出かけてたし……

 なんかいまの話し方が不自然だったから……」


 マジかよ。


 冷や汗をかきそうになったが、しかし言動からするに『セツナのために宝箱を探していた』という、こちらにとってなんとも都合の良いほうに解釈してくれたらしい。


 ……それならまあ、問題はないか……。


「いや、別に。たまたまだ」

「……そっか。

 ギルは、優しい嘘をつくんだな」


 別にそんなんじゃないんだがなあ……。


 勝手に勘違いしてくれた様子のセツナから視線を外していると、そいつは突然、明るい声をあげた。


「そうだ、ギル!

 わたし今朝、新しいヴィジョンを見たんだ!

 ギルにも見せてあげたい!」

「……新しいヴィジョンを?」


 セツナからの提案に俺は眉を持ち上げる。


 新しいヴィジョン。

 ということはつまり、新たな未来予知の情報ということだ。


 セツナという一個体に限っては予知内容に願望が混じるせいで役立たず扱いされていたという話だが……。


 それでも興味はある。


「そいつはいいな。それじゃさっそく見せてくれよ」

「わかった!」

「俺はどうすればいいんだ? またベッドに横になればいいのか?」

「ギル、わたしの手を取って」

「なんだそれだけでいいのか」


 セツナの白い両手を握ると、次は目を閉じるようにささやかれる。

 俺はまた食い物の夢を見るんじゃないだろうなと苦笑いしながら、そいつに従って静かに瞳を閉じた――……。










 ヴィジョンは、緑の豊かな公園を歩いているところから始まった。


 やがて俺は……いや、ここではセツナか……。


 セツナは魔法の宝箱を発見し、それを思い切り開け放つと、あふれる銀色の光とともに食べきれないほどの肉とお菓子が目に入ってきた。


 それを歓喜とともに拾い集めているのを、


 遠くのほうからが眺めている……。




 ――宝箱の中に食べ物を入れた覚えはない。

 おそらくこの部分はセツナ本人の願望なのだろう。


 少なくとも箱が開けられることは確定のようだ。

 それにあの男は、このあと来る予定の役人だろうか。


 どうやら未来予知では作戦は成功しているらしい。


 やべえ、笑いが止められない。


 にやける頬を制御しきれないまま、俺はその夢の続きに集中する。






 やがて、役人の男がこちらのほうに歩み寄ってきて、口を開いた。


『私はこの街を管理している者の一人です。

 あなたのお連れの人が、この街の英雄になりました。

 これはたいへん名誉なことです。

 お祝いをしましょう』

『そうか! やっぱりギルはすごいやつだったんだ!!』


 身体が熱くなり、興奮冷めやらぬといった雰囲気で拳を握りしめたセツナがやがて俺の家へと駆けだし。


 そこで俺と合流して食べきれないほどの豪勢な食事をほおばった。


 祭りは一日中続いたようだった。


 俺たちは街の人々とともに歌い、踊り、疲れてからはあの家でぐっすりと眠って、新しい一日を迎えた。

 以前とは明らかに変化した街の人々からの尊敬のまなざしを受けながら毎日を過ごし、

 やがて街にとある狩人の女が現れたが、セツナはそれすらも蹴散らして、そして……――。







 そしてある日、この街は魔物の大群に攻撃された。




 街に上がる黒煙のにおいのなか、セツナは魔物たちに語りかけた。


『みんな、この街を攻撃するな!

 わたしたちは共存できる!!

 誰も殺すな!!』


 怪物たちは言った。


『分かりました、セツナさま。

 我々は引きあげましょう』


 そして異形の者たちは、遠い森の奥へと姿を消していく。




 街には長い平和の時代が訪れた。


 人と魔物が出会うことはなくなった。


 すぐに、魔物の脅威に怯えず街の外を出歩けるようになり、しだいに人々はその化け物の脅威を忘れ始めて。


 そんな世界の片隅で、俺とセツナは穏やかに暮らして――……。










「――どうだ、ギル!

 こんな長いヴィジョンはわたし初めてなんだ!」




 ……頭痛にも似た症状に頭をおさえながら、よろめいて椅子に座った。


 視界は、あの輪郭のおぼろげなヴィジョンではなく、ちゃんとした現実のもの。

 見慣れた自分の家の中で、俺はようやく重い息を吐き出すことができた。




 ――いったい、どういうことだ。


 思考の過半を占めていたのは未来予知の後半部の映像。


 この街に、魔物が攻めてくるのか?


 ヴィジョンを長く見たことによる弊害か、ひどい頭痛が鳴り響く額をおさえながら、俺はようやく口を開くことができた。


「セツナ……。

 この街が。魔物に襲われる場面を見た」

「うん、わたしにも見えたぞ」

「……それを食い止めて、街を救うお前の姿が見えた……。

 ほんとうにそうなのか?」

「うふふ、もしかしたらそうかも!」


 にっと無邪気な笑みを浮かべるキメラの少女。


「これはすごいことだぞ、ギル!

 きっとわたしたちは、二人でこの街を救う運命にあるんだ!

 街のみんなからもっと認めてもらえる!

 もう仲間はずれにされなくてもいい!

 おいしいご飯も、たくさんのお金だって手に入る!」

「…………」

「その最初の一歩が、きっとその魔法の宝箱を開けることなんだ!!」


 とつぜん腹の底に氷塊を落とされたみたいな感覚に襲われた。


 俺が自分で製作して設置したあの箱は、開ければ確実に魔物の正体を暴く銀粉が噴き出す仕掛けになっている。

 万が一にもミスのないよう、確実に作動するよう念入りに調整した仕掛けだ。


 もしそれが開け放たれたら――


「宝箱を開ければ、きっとギルが英雄になれる。

 ヴィジョンでそう見えたんだ。

 だからすぐに行かなきゃ」


 待ちきれない、とばかりに外へと通じる扉へ駆けたセツナが、瞬きした直後にばっと外に飛び出していった。


「それじゃ、行ってきます!」

「ま、待て……!!」


 耐え難い頭痛に苦しみながら発した静止の声もむなしく、

 そいつの小さな背中に、俺の手は届かなかった。


 ――やがて、セツナと入れ替わるように現れたのは、きちっとした服装の男だった。


「ははは、元気のよいお子さんですね。

 さて……あなたがギル・リンドウという名の狩人ですか。

 話は伺っております。

 件のキメラは、いまどこに潜んでいますか?

 魔物の正体を暴く瞬間を見せてもらえるとのことですが」


 現れた役人の男を呆然と眺めたあと、周囲の音が遠のいていくのを感じた。


「大丈夫ですか? 体調がすぐれないようですが」

「……」


 俺は何も言わずに外に出た。


 無言のままセツナの後を追おうとする俺のことを、背後からその役人の男がじっと見据えている気配がした。


「失望は、させないでくださいよ」


 ぼそりと、威圧感とともに発せられた言葉が頭で反響するのを感じながら、役人とともに公園へと向かう。







 道中できっぱりと決断をすることはできなかった。




 迷いだけをひたすら抱えたまま準備していたポイントまで到達してしまい、そこでヤレイと合流。


 二人の視線に促され、なし崩し的に罠の設置場所を見張れる場所で待機することになった。


 言葉につまって使い物になっていない俺の代わりにヤレイが作戦の内容を話してくれたようだった。

 ほんとうだったら標的の嗅覚をごまかすために水をかぶって待機するはずだったが、それは省略されたらしい。

 幸か不幸か、風下になっているおかげで少なくとも匂いで俺たちの存在がバレる心配はなかった。




 俺は、心のどこかであの箱が故障していることを願っている自分に気が付いた。


 あるいはセツナがどこか見当違いな方向に行っていて、一日中あの罠の場所に現れないようにひそかに神頼みしていた。










 祈りは通じなかった。




 セツナは銀髪をたなびかせて公園に現れ、やがて勢いよくあの箱を開いてしまった。

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