第6話 はじめての探検

 ――セツナ視点



 今日は街を探検しに行こうと思った。


 わたしがここに来たのは、人間として生まれ変わるためだ。


 もっと人間のことを知らなければ、いつかどこかでぼろを出して、正体がバレてしまうかもしれない。


 わたしは意気揚々とギルの家を出て、街中に移動し、人混みにまぎれていく。


 こんなたくさんの人間に囲まれても、わたしの正体に気づくやつは誰一人としていない。

 自身の『擬態』の完璧さにほれぼれとしながら、じっくりと街を見て回った。


「こんにちは」

「おや、お嬢ちゃん。

 ちょうどよかった、このアメをもらってくれないか。

 サービスでもらったんだが、正直いらなくてね……」


 じっと背の高いその男を見上げていたわたしは、とつぜんそのアメとやらを渡された。

 食べてみたらとても甘くて、そのままぼりぼりとかみ砕いて飲み込んでしまった。


 もしかしてこの姿なら、ギルにもらった『お金』というやつを使うこともなくお菓子が手に入るのではないか?


 そう思ったわたしは、お菓子の店に入り込んでいった。


「こんにちは」

「……親はどこだ?

 身なりもそんなにきれいじゃないし、お前、さてはスラムのガキだな。

 金のないやつはこの店に入るな!!

 しっ、しっ!」


 わたしはまるで野犬みたいに扱われ、店の外に追い出された。


 ……ふーむ、子どもだからってだけでみんながみんな優しくしてくれるわけじゃないみたいだ。


 じゃあ、ギルに貰った『お金』とやらを試してみよう。


 わたしはもう一度その店に入り込んだ。


「おい! 店に入るなって……!!」

「これでなにかくれ」


 激高して近寄ってきた男は、わたしの手のひらの上のコインを見て目を丸くした。


「お菓子くれ」

「……うむ……」


 男は、気まずそうにコインを受け取って、アメを手渡してくれた。


 わたしはちょっと気分が良かった。


 店の外に飛び出しながらアメをかみ砕き、街の子どもたちがやっていたようにスキップをする。


 なるほど、お金というのは、こんな便利で気分がいいものなのか。

 ならばなおさら、魔物退治をしなければならないな!

 明日が来るのが楽しみだ。


 やっぱり、ここは魔物の巣とは大違いだ。

 あっちはわたしが子どもだからって優しくしてくれないからな。

 勇気を出してこっちに来てよかった。




 ――しばらく歩いてみたけれど、ここのやつらは自分で直接、獲物をとって食べることはほとんどないみたいだ。

 この金というものを使って『買う』らしい。


 別に欲しいものくらい自分で見つけて自分で獲ってくればいいのに。


 人間というのは、とにかく、他のやつとモノとか言葉をやり取りするのが好きみたいだ。


 そんなことを考えながら、わたしは近くから聞こえてくる会話に耳を澄ませてみた。


「やあ、ミケーラ。こんなところで会うなんて奇遇だね。

 一緒にご飯を食べに行かないかい?」

「悪いけど、わたし、他に用事があるから」


 ……なんだあいつ。飯くらい一人で食えばいいのに。


「そんなこと言わずにさ。

 今日は僕がおごるよ。

 実はこれでも、お金に余裕はあるんだ。

 だからさ――」


 あんなうわずった声、わたしでも嘘と分かるぞ。


 みっともなく必死になりながら女を誘おうとしてる男が、あることないことぺらぺらとしゃべりながら女についていくのを見送って、わたしはやがて理解した。


(人間って相手と仲良くなるために、嘘をついてまで飯に誘うのか)





 ……いつの間にかわたしは、きれいな通りからはずれて路地裏に入ってた。


 そこは、表の華やかなお店とは違って、汚くて、薄暗くて、息をするのがなんだか苦しく感じた。


(これは魔物の巣にいたときにも同じのを感じたことがあるぞ。

 弱くて、虐げられてるやつらのねぐらのにおいだ)


 すぐに視界の端に、他の人間たちとは違うぼろい恰好のやつらが力なく座り込んでいるのを発見して、わたしはすぐに自分の直感が正しいものだと理解した。


 なんだ、ここにも序列みたいなものがあったのか。


 ……なんか、がっかりだな。


 人間の街に来れば、ぜんぶが理想通りの暮らしができると思ってたのに。


 空からお菓子が降ってきたり、腹がいっぱいになるまでたらふく食うとかって、そんなに簡単にできることじゃないんだ……。


 魔物の群れと、そんなに変わんない。


 ……。




「……なにか食べよっかな……」


 ギルにもらったお金は、まだちょっとだけ残ってる。


 数が少なくなってきたピカピカの丸いコインを握りしめて、わたしはぼーっとしながら表通りに戻った。




 そこで、人間の家族を見つけた。


 大人が二人と、子どもが一人、赤ん坊が一人の、人の家族。


 そいつらが公園で、仲が良さそうにしているのを見て、

 わたしは立ち止まった。




 ――あれ。


 そういえばわたしはどんな風に生まれてきたんだろう?




 兄弟とか、いたんだろうか?


 母親とか、父親とか、そういうのがわたしにもいたんだろうか?


 分からない。




 ……いちばん古い記憶は、なにかを爪で押さえつけているところだ。


 じたばたと動いていたなにかを動かなくなるまで押さえつけて、それからわたしは立ち上がって、気がついたらこんな風にものを考えられるようになってた。


 生まれてきた瞬間のことなんて覚えていない。


 この人たちみたいに、あんな穏やかな顔をしたやつらに囲まれてたんだろうか。


「……そんなわけないや」


 魔物と人間は、違う。


 誰かが誰かに寄り添うところなんて、魔物の群れのなかでは見たことがない。


 わたしは急に不安になった。


 こうやって人間に生まれ変わろうとしてるけど、うまくいくんだろうか。


 わたしみたいな化け物が人の世界に溶け込める理由なんて、いったいどこにあるだろう?


 ――とつぜん、自分みたいな魔物じゃ憧れていた存在に手が届かないんじゃないかと思って、胸がきゅうと締め付けられた。




「……いいなぁ……。

 ……わたしも、欲しいな……」







 ……そういえば……。




 ギルはどうして、わたしのことを気にかけてくれるんだろう。




 人間の世界でも、見ず知らずの誰かを気にかけることなんて、たぶんそんなにないはずなのに……。




(……そういえば、わたし、ギルのことなにも知らない)







 そこでわたしは、嗅ぎ慣れたにおいが風上から届いてくるのを感じた。


 ギルのにおいだ。

 近くにいたんだ。


 わたしは空腹を満たすことも忘れて、その方向へ歩きだした。


「――ギル」


 曲がり角からそう声をかけると、ギルはびっくりしたように飛び跳ねた。


「うぉっ……。

 よう、セツナ。奇遇だな、こんなところで会うなんて」


 うわずった声でそう話すギルに、わたしは首をかしげた。


 嘘をついてるやつの話し方だ。

 なんの嘘をついてるんだろう。


 いいや、それ以前に、どうしてわたしのことを気にかけてくれるんだ。




 もっと、知りたい。




 ――確か、人間は、相手のことを知ろうとするとき、どう言うんだっけ。




「ギル、一緒にご飯を食べに行こう」

「え? あー、そうだな。

 そうするか」


 困ったように頬をかきながら店の名前を上げ始めるギルを見上げながら、わたしは彼についていった。

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