第二章

第5話 ヴィジョン

 ――ギル視点――



 夢を見ていた。


 食い物がたくさんあって、空から甘いお菓子がたくさん降り注いでくる夢だ。


 自分はそれらをたらふく食って、ふくれた腹を満足げにさする。



 ……いや、なんだこれ。

 俺はいつの間にこんなガキみたいな夢を見るようになってしまったんだ?



 やがて俺は、星空でいっぱいになった丘をひとり占めして、悠然と横になっていた。


 視界にはこぼれるほどの夜のきらめきが広がっていて、全身がリラックスしているのが分かる。


 気分を変えて上体を起こしてみれば、

 すぐそばの街から、たくさんの人間たちがやってきて。




 そして、こんな自分を優しく受け入れてくれて――……。







「――んあ?」


 瞬きした瞬間に現れたのは、見慣れた天井の景色。

 身体を包むベッドは温かく、窓のすき間から鳥の鳴き声がこぼれてくる。


 重たい腕を持ち上げて、気だるい頭で思考を始めた。


 もう朝か……。


 まぶしい視界を手のひらで覆い、ため息をついて首を傾けたその時だった。





 ――銀髪の少女がだらしなく口を開けて眠りこけていた。


 俺の寝間着に、たっぷりのよだれを垂らしながら。


「……むにゃ……もうおなかいっぱい……」

「……」


 視界のすみに映った、床に散乱した砂糖菓子の数々と、悲惨な自室の荒れ模様。


 その原因であるこの娘は、こちらが不機嫌になっていることにも気づかずに寝言を垂れていた。


「わたしは……もう戻らない、から、な……」

「こいつ……。

 おい、セツナ! 離れろ!」

「……うぅ……?」


 眉をしかめてまぶしそうに顔を歪ませた少女が、むくりと上体を起こした。


「おはよう、ギル……」




 ――朝っぱらから冷や汗をかきそうだった。


 こんな無害そうなガキが、最強種の魔物であるキメラだなんて誰が信じられようか。


 こうして密着された状態でやつの『擬態』の能力が解けたら、あらわになった魔獣の爪がすぐさま俺の内臓を貫くことだろう。冗談抜きで命がけの目覚めである。


 眠たそうにとろけた赤と青のオッドアイをこすっているキメラの少女――セツナにどうにか離れてもらって、俺はようやく一息をつけた。




 昨日の夕方にこいつと遭遇してから、一日。

 門兵とのやり取りを経たあと、急に『すみかが欲しい』と言ってきたので、自分の家に案内してやった。


 どうせこいつを監視する必要はあったし、何より、へんぴなところにあるこの家ならいくらこいつが騒いでもバレることはないだろう。

 万が一戦いになったときも一般市民への被害は抑えられる。

 不便な立地のこの家がこんな形で役に立つとはな。


『死んだ仲間たちと買った家にキメラをあがらせるなんて』と迷いはしたが、苦肉の策だ。

 キメラ殺しの夢を叶えるためならきっとあいつらも許してくれることだろう。


「どうしたんだ? ギル」

「いや、何でもない」


 早くも目が覚めてきた様子のセツナに返事を返しながら、改めて狭い部屋の中を見渡した。


 敵であるこいつに見られて困るものはないはず……。


 現時点ですでに、俺が魔物を退治する狩人だということや、

 一年前にキメラの王――セシュヴァラってこいつは呼んだっけか――と戦ったチームの一員だったことはバレている。


 正直、こいつにとって俺は『敵』のひとりだと思われててもおかしくないはずなのだが、いまだにセツナは友好的な態度を続けている。


 かなり不可解な行動だが……まさか本人に直接聞くわけにもいかない。

 ここは追々、探っていく必要があるだろう。


「ギル、わたしおなかが空いた!」

「はいはい……飯作ってやるから……。

 あと床に落ちた菓子は食うんじゃない……」


 幸い、言葉はいちおう通じる相手だ。

 焦る必要はない。

 少しづつ……時間をかけて着実に、こいつを倒す準備を進めていけばいい。


 その第一段階として、今日は、協力者を呼んである。









「――ということだ、ヤレイ。

 手、貸してくれるだろ?」

「おい待てよギル。

 あの娘っ子がキメラだってのか?」


 自宅に招いて話を聞かせていたヤレイが、外で遊んでいるセツナのことを信じられないと言った風にのぞき見た。


「……キメラって、あの、火竜の肺に、天使の翼、呪いヘビの尾に、魔獣の大爪を持つっていう、あの?」

「そうだ。もう確認してある」


 何度も何度も念を押すように聞いてくるこの数少ない友人のひとりに、俺は自信をもって答えてやる。

 直接キメラとしての姿を見たわけではないが、状況から見てもう確定だろう。


 やがて、俺の顔と、窓の向こうで遊んでいる小さな娘を交互に見たヤレイは、声を潜めて身を乗り出してきた。


「……ちょっと窓閉めていいか? 念のため」

「ああ。

 閉め方分かるか?」

「大丈夫だ」


 席を立ったヤレイによって、きぃ、と音を立てて閉められる窓。

 それでも安心できなかったのか、ヤレイはわざわざ窓から離れた位置まで俺を移動させて、ささやくように顔を近づけてきた。


「危険じゃないのか?」

「平気さ。あいつ、まだガキだ。

 知能もそこまで発達してない。

 万一俺たちの会話を聞かれたとしても、とぼけてればどうにかなる」

「な、なるほど……」


 落ち着かない様子で座り直すその友人に対し、俺は常備している武器を見せて安心させてやった。


 ヤレイは狩人じゃない。


 あくまで俺たち狩人に仕事を斡旋する立場の人間で、どちらかというと一般人の枠内にいるのだ。


 いくらやつが人間のふりをしているっていっても、ここまで近くにいる状況じゃ怖くもなるだろう。


「……それで、オレにしてほしいことってなんだ?」


 俺はにやりと笑った。


「役人を呼んできてほしい。

 やつがキメラだと公的に証明してくれる存在が必要なんだ。

 俺とお前の証言だけじゃ弱い。

 やつが本当の姿を現す瞬間を見てもらえれば、正式にやつの討伐許可が下りるはずだ」


 この街は、人間の世界である。


 管理のされていない無人の荒野とはわけが違うのだ。

 ただ外に出て、魔物の首をとってくるってだけで済む話じゃない。


 獲物が人間の姿に化けている以上、街を収める側の連中に認めてもらえないことには『キメラ殺し』は始まらない。


「別に役人なんか呼ぶ必要あるのか?

 さっさと殺しちまえば『擬態』は解けるんじゃないのか」

「……それが分からないから、念には念を入れるんだ。

 もしも殺したあとで人間への『擬態』が解けなかったら、俺はただの人殺しとして捕まっちまう」


 ここは正直、難しいところである。


 自分が知ってる限り、『擬態』状態のキメラを殺した狩人はいない。

 もしかしたら過去に一人くらいはいたのかもしれないが、表には上がってきてないのを

 考えるとただの殺人犯として捕まってる可能性がある。


 もし獲物を殺しても人間の姿のままだったら、俺は英雄どころか罪人として扱われてしまう。

 そんな危ない橋は渡れない。


『キメラ殺し』の目的を叶えるためには、まず、やつがキメラだと客観的かつ確実に証明する必要があるのだ。

 ……なんとも面倒くさい話だが。


「そう簡単にはいかないってことか……」

「だが、これでも十分大チャンスだ。

 相手はただのガキだからな。

 準備を整えて、殺しちまえば……あとくされは何も無い」


 言葉の途中で、なぜか、胸にチクりと痛みが走った。


 脳裏に浮かんだのは、死んだ仲間たちの笑顔――ではなく、昨日のセツナの小さい背中。


「どうした、ギル?」

「……いや、なんでもない」


 誤魔化すように返事してから、俺たちはその後の段取りを話し合った。







 ――作戦を聞いて行動を始めたヤレイを見送ったあと、俺は考え始めた。


 役人が来るまではおよそ一週間かそこら……。


 それまでにやることはたくさんある。


 まず、『擬態』解除の罠の製作。

 これは偉大な先人たちが数多くの犠牲をともないながら見つけた情報をもとに作成する。

 一度の起動で確実のやつの『擬態』が解けるように、調整を重ねる必要があるだろう。


 そして、その罠の設置場所の探索。

 標的がそのポイントを訪れやすく、かつ戦闘能力皆無の役人さまが安全にその様子を観察しやすい場所を探す。


 そしてもう一つ……。


「今日はずいぶん機嫌がいいな、セツナ」


 俺は、ずっと一人で遊んでいたキメラのガキに声をかけた。


 諸々の準備の合間に、少しでもこいつに関する情報を得ておきたい。


 何の目的でこの街に来たのか、何が弱点なのか、何がこいつの気を引けるのか。


 使える武器は、すこしでも多いほうがいい。


「ギル!

 ふふふ、今日は久々に夢を見たからな。

 わたしの未来はとても明るいぞ。

 すごいことがたくさん起こりそうなんだ!」


 こちらの思惑などつゆ知らず、無邪気な笑顔を見せてくるキメラの少女に俺は苦笑いしてしまった。


 いっそのことこのまま、凶悪な大人のキメラにならずにいてくれたら話は簡単なんだがな……。


 軽く息をついてから、俺は会話に乗ってやることにした。


「それって、星空でいっぱいの丘をひとり占めしたり、空からお菓子が降ってくるとかか?」


 思い出していたのは、今朝に見たガキっぽい夢のこと。


 こいつが見たら喜んでそうだな。

 なんて、夢の内容を振り返りながら何気なく視線を戻した、その時だった。




 ――セツナはなぜか、ハッとしたように固まっていた。


 謎の沈黙が浮かび、とつぜん反応が途切れたやつの様子に、俺は嫌な予感を覚えた。


「も、もしかしてわたしの『ヴィジョン』を見たのか!?」


 その予感は的中し、すぐさま、確かめるようにセツナは詰め寄ってくる。


 ――ヴィジョン? なんだそれは。

 早朝に見たあの子供っぽい夢のことか?


 しまった、と思った。


 もしかしたらまだ俺たち人間が把握してないキメラの能力のひとつだったのかもしれない。


 それを知られたとなったら、どうなるか……!?


 俺は必死でごまかそうとした。


「そ、それはだな」

「――そっか、ギルにも見えたんだ。

 わたしのヴィジョンが」


 が、予想に反してこいつは嬉しそうな笑顔を浮かべる。


 今までのような元気のある感じではない。静かに喜んでいる様子の彼女に、危険性はないように感じる。

 そこで俺は、深呼吸をしてから意を決して聞いてみることにする。


「……セツナ。

 その『ヴィジョン』ってなんだ?」

「未来を予知する力のことだ。

 セシュヴァ……えっと……わたしの……先生……?

 が、教えてくれたんだ。

 わたしの一族には、そういう力があるって」


 俺はようやく合点がいった。


 ――だからいつも人間側俺たちは勝てなかったのか!!



 なぜ、キメラが最強種の魔物と呼ばれ、いつも人間を上回るのか。


 魔獣の身体能力に、人間並みの知能。

 それらに加えて未来予知のような能力が備わっているのなら、倒せないわけだ。


 これはものすごい情報だぞ。

 ひょっとしたら役人連中はおろか、狩人連盟の本部すらも知らないことかもしれない。

 仮にこいつを殺すのに失敗しても、この情報を証明するだけでそれなりの報酬は見込めるだろう。


 切れるカードが増えてきた。


「でも、わたしのヴィジョンは役立たずだって言われた。

『お前のヴィジョンには願望が混じってる』って」


 そこで、俺は思い出したようにセツナのほうへ視線を戻した。


「わたし……あの世界には、もう戻りたくない」


 眉間に浅いしわを寄せて、拳を握りしめながら、見えない何かをにらみつけるように佇む彼女の姿に、俺は違和感を覚えずにはいられなかった。


 どういうことだ?

 キメラ種ってのは、魔物の社会における絶対的な支配階級のはずだ。


 生まれながらにして成功が決まっているような、そんな王族の種族であるこいつが、なんで古巣のことを思い出してこんな顔をするんだ。


 ……ここはもっと時間をかけて探っていかなければならないな。


「別にいいじゃないか、願望が混じってたって。

 どうせ未来のことなんか分からなくて当然なんだ。

 見たいものを見ようとして何が悪い?」


 俺はこいつの機嫌を取るべく、同調するような言葉を並べてやった。

 すぐに、赤と青のオッドアイを嬉しそうに向けてくるそいつの単純さに、俺は呆れを通り越して笑いだしてしまった。


 こちらの笑顔を都合よく解釈してくれたのか、一緒になって愉快そうに笑っているそいつの姿を確認してから、俺は視線を外して考えを巡らせた。




 ……となると、早朝に見た夢は、未来についての予知の一部ってことになるのか。


 本人の願望が混じってるならあまりあてにはできないだろうが、それにしてもおめでたいやつだ。空から菓子が降ってくることなどあるものか。


 ほかに夢で見た内容は、飯がたくさんあって腹いっぱいになっているところと……星空でいっぱいの丘をひとり占めしてるところと……。


 あとは、人間に受け入れられようとしてるところか……?




 ……いや。


 まさかな。


 キメラが人間と共存したがるなんて、あり得ない。


 仮にそれがやつの望みだったとしても、どうせそのうち忘れてくんだ。


 いつかこいつもすぐに凶悪な大人のキメラへ成長してしまう。

 生物としてこの世に存在している以上は、その流れは誰にも変えられない。


 迷うな。


 相手は、キメラだ。

 そもそもが人間ですらない。


 根本的に理解も共感もできない存在なんだ。

 人と同じ価値観を期待するなど、馬鹿げている。


 ――その日の夜は、何の夢も現れなかった。

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