第25話「世界征服です!」
まだ真新しい真っ白な制服に袖を通し、正面にずらりと並んだボタンをひとつひとつ留めてゆく。リボンタイをセーラー襟の下にくぐらせてスナップボタンを嵌めれば完成だ。
俺は鏡の前でくるりとターンしてみる。軽やかに裾が翻ると、やっぱり幸せな気分になる。
「かわいいよなぁ、この制服……」
「またやってる」
惚れ惚れしていると呆れながら閑が部屋に入ってきた。閑も同じく白いワンピースの制服だ。よく似合ってる。
「なんだよ閑、別にいいだろ」
「いいけど。もう一週間その調子だから」
「噛みしめてんの! あっ閑のリボン曲がってる」
俺はすかざず閑の後ろに回り込んで背中のリボンを結び直してあげる。
「ありがと畔ママ」
「じゃあ行くか」
通学鞄を持って閑と階下へくだると、母さんが玄関で待ち構えていた。
「今日は近くまで用事あるから乗っけてあげる」
「ありがとう!」
「母に感謝」
閑と並んで母を拝む。ということでありがたく母さんの車に乗せてもらうことにした。
「最近暑いからね」
母さんは車を走らせながらそう言う。
「まじでそれ。母さんも職場でちゃんと水分摂れてる? 休憩大事だと思うよ」
「この母に抜かりはない」
「そうでした。でもちゃんと休んでね」
「その通り」
「ありがとう。畔も閑も本当にいい子に育ってくれたね」
「育ちがいいからね」
俺がそう返せば母さんはふふっと笑う。
学校のすぐそばで下ろしてもらって母さんに手を振った。
「いってきます!」
「いってらっしゃい」
***
七月に突入し、テスト期間真っ只中となっていた。山手清花は進学校なので、休み時間でも問題集に赤い下敷きを当てる人や単語帳とにらめっこする人が多い。学校全体がテスト期間の空気に包まれているので、否が応でも勉強をせねば、という気持ちにさせられる。
そんな少しピリピリした日々の中、今日は気休め程度の行事が行われた。七夕だ。山手清花はカトリック系だが、日本っぽい行事も行われるらしい。いいとこ取りということだ。
どこからか調達された笹が中庭に設置され、全校生徒たちが思い思いの願い事を書いた短冊を飾っている。真横に佇む聖母マリア像との奇妙な組み合わせがなんとも日本の風景だ。
願い事を書いて飾るだけのちょっとしたイベントでも、短冊の中から好きな色を選んだり、どんな願いを書くか友達と話しているだけで少し緊張は解ける。そういうわけで、俺も短冊を書くために昼休みの中庭に来ていた。
「畔」
ちょうどそこには閑が来ていた。雪姫ちゃんも一緒らしい。
「閑、それに雪姫ちゃんも。二人はもう短冊書いたのか?」
「こんにちは畔さん。わたし達は書き終わって今飾るところです! 畔さんは何をお願いするんですか?」
「学業成就かな」
「ふふ、今の時期だとそうなっちゃいますよね」
「雪姫ちゃんはなんて書いたの?」
「世界征服です!」
「……世界征服……?」
思いがけない言葉が飛び出してきて、俺はちょっと自分の耳を疑った。
「はい。かっこよくないですか?」
「そうだな。夢はでっかい方がいいよな」
屈託のない笑みを浮かべる雪姫ちゃんからは、その発言が冗談なのか本気なのか読み取れない。俺は一旦受け流しておくことにした。
「閑は?」
「畔がミスコン優勝できますように」
「俺のこと願ってんのかよ。自分の願いを書いていいんだぞ?」
「星にお願いしたいようなことは特にないから。私の夢は自分で無理なく叶えられる程度のものしかないし」
「慎ましいな……そうだ」
俺は大きく四文字で短冊に書こうとしたが、路線変更で八文字書くことにした。
「書けた!」
「見てもいいですか?」
雪姫ちゃんがそう言うので俺はピンクの短冊を差し出す。
『学業成就 家内安全』
「畔さんのお願い事、なんだか神社のお守りの文言みたいですね」
「四字熟語だとそう見えやすいかも?」
「世界征服もですか?」
「それはちょっと……違うと思うけど……」
ふふっと笑い合って和んだ。
「じゃあ飾るか」
「わたしも畔さんの短冊と一緒にお願いします」
「畔、私のも」
閑も雪姫ちゃんも小柄なので俺が代表して三人分の短冊をひとまとめに笹にくくりつけた。ピンク、水色、赤の短冊が並んで揺れる。
「まあわたし、こういう他力本願は信じてないんですけど。有言実行するぞって気持ちになりますから、悪くないなって思います」
「俺も同じ意見かも。結局願いを叶えるのは自分自身だよな」
「なに話してるのっ?」
「! わ、小桃ちゃんか……びっくりした……」
不意にひょこっと顔を出した小桃ちゃんに心臓が跳ね上がった。
「いつからここに?」
「今来たところだよ。……この人は?」
小桃ちゃんは俺の後ろに隠れながら雪姫ちゃんの方を見る。
「涼白雪姫さんです。閑と同じ月組」
「お話しするのは初めて? ですよね? 涼白雪姫です」
「あっ、うん、中等部から居たよね? 同じクラスになったことはないけど……。えっと、親沢小桃です」
「よろしくお願いしますね、親沢さん」
「うん……よろしくね」
「じゃあわたしと閑さんはそろそろ教室に戻ります。畔さんも授業遅れないようにしてくださいね!」
「うん、またね」
雪姫ちゃんと閑を見送ると、俺は小桃ちゃんとその場に残される形になる。
この間の小桃ちゃんのお願い――テストで目標である全教科30点以上をとれたら一緒におでかけしたい、という話――俺はそれを了承した。勉強ができるようになって自分に自信を持ちたいという小桃ちゃんの意思は尊重したい。そのためのモチベーションになれるなら、断ることもないだろうと思った。
「小桃ちゃんは短冊書かないの?」
「えーとえーと……小桃は、教室に持ち帰って、後で書こっかな……って思って……」
「そっか」
「じゅ、授業遅れちゃうね。戻ろっか!」
「うん」
俺と小桃ちゃんが教室に戻ると、ちょうど増田さんと鉢合わせした。
「あれ、小桃ちゃん短冊持ってきたの? 向こうで書いてくればよかったのに」
「あ、実穂ちゃん……! えっと……あの……」
小桃ちゃんは実穂ちゃんの手を引っ張って廊下に出る。
「あのね、実は私……」
「えっ! そっかそっかぁ、そうだったんだね。そんな気はしてたけど……」
「……だから……」
「うんうん。応援するね。頑張って!」
小声で話しているようだが、おおよそのやり取りは聞き取れてしまった。一応なにも知らないふりをして、俺は自分の席に座った。
「またなんか他人の問題に首突っ込んでんのー?」
真横から気だるげな声が投げかけられて、そちらを見た。
「茨咲さん、起きてたんだ」
堂々と枕を持ち込むようになってきた茨咲さんはふかふかの枕の上に派手な黒と紫の薔薇模様のタオルを被せていた。枕に化粧がつくことへの対策だろう。血色感チークがばっちりのっている頬がタオルがけ枕と当たってぷにっとしている。
「鵠沼は世話焼きだね」
「まあそうかもな。いつも閑の面倒見てるし」
「妹ちゃんね。あたしのとこの妹も世話が焼けてさ~」
「茨咲さんちもそうなんだ」
取り留めのない会話をしていると午後の授業が始まった。
***
放課後、俺は自販機で買った二つのスポーツドリンクを手に階段をのぼっていた。階段の行きつく先、扉のドアノブを握ると思いがけない熱さに少し怯む。が、思い切って開け放った。
ラベンダーや紫陽花などの夏の花々が涼しげな色で咲いているが、ガラス張りの屋上庭園はやはり日差しがすごい。
「雪姫ちゃん、いるー?」
ドアの鍵が開いていたということは居るはずだ、と確信しながら庭園の主を呼ぶと、向こうの木陰から声が飛んできた。
「その声は畔さんですね? 今行きます!」
ぱたぱたと小走りで雪姫ちゃんがやってきた。長袖のカーディガンに日傘をさした日除けスタイルだ。しっかりしている。
「いらっしゃいませ、畔さん。これ予備の日傘です、よかったら」
「すげえ助かる」
「ここは暑いですよね、あっちに行きましょう」
雪姫ちゃんに促されるままついていくと、最初に会った時にもお邪魔した東屋の下は日陰になっていた。日傘を閉じて近くに立てかける。
「ちょっと涼しいかも」
「ちょうど周りの地面に打ち水をしたところだったんです。この東屋も断熱性の高い素材を使っているそうなので」
「ちゃんと考えて作られてるんだな。あとこれ、スポーツドリンク。喉乾いてるんじゃない?」
「わあ、ありがとうございます、すっごく助かります!」
ベンチに並んで腰掛け、雪姫ちゃんにスポーツドリンクを渡す。俺も一緒になって自分の分を開けて飲んだ。冷えているので心地いい。
「ふう。ここなら上着はなくても大丈夫ですね」
雪姫ちゃんはカーディガンを脱いで畳む。
「それ暑くない?」
「接触冷感なので大丈夫です。UVカット効果もあるんですよ」
「マジ? どこで買ったの?」
男子と話すのが楽しくないとか、そんなことは決してない。けれど、服や日差し対策の話題で盛り上がれるのは女の子が話し相手のときが多いので、ついつい会話に花が咲いてしまう。
「昼休みに会った時は言い忘れちゃったんですけど。畔さん、やっぱり盛夏服似合ってますね。かわいいです」
「へへ……雪姫ちゃんもよく似合っててかわいいよ。黒髪で色白さんだからよく映えるね」
「畔さんは褒め上手ですね」
「雪姫ちゃんこそ」
「ふふ、褒め合ってたらキリがないですね。そうだ、畔さんってミスマーガレット目指してるんですか? 閑さんから聞きました」
「そうだよ」
「だから学業成就を?」
「まあそんなとこかな。願うだけじゃなくて、自分なりに努力してるつもりだけど!」
「えらいですね。わたしはお勉強はあんまりなので……」
「そうなの?」
「恥ずかしいので、テストの結果が貼り出されてもあんまりじっくり見ないでくださいね?」
「分かった」
成績のことを思い浮かべているのか、雪姫ちゃんはちょっと顔を赤くして目を逸らしていた。髪の隙間から覗く耳まで火照っている。恥ずかしがり屋なのだろう。
「雪姫ちゃんちょっと髪伸びた?」
肩に当たるくらいの長さだった雪姫ちゃんの髪は、鎖骨が隠れるくらいまで伸びていた。
「え? あ、はい、今伸ばしているところで……」
「前は長かったって言ってたもんね」
「はい。それに、畔さんが綺麗な髪だって褒めてくれたので。また伸ばしてみようって思えたんですよ」
「そっか……それならよかった」
トラウマを刺激しただけになってしまったらまずいと思っていたけれど、前向きに捉えてくれているのなら安心した。
「だいぶ汗が引いてきたかも。今日はさ、例の花が咲いてる頃かなって思って来たんだ」
「なるほど、いい読みです。ちょっと待っててくださいね」
雪姫ちゃんは立ち上がり、鉢植えを持ってすぐに戻ってきた。
「じゃーん! 見てください、綺麗に咲きましたよ」
白い鉢植えの中に、アスターの花が咲いていた。赤い花びらを何重にもつけた華やかなアスターは、お行儀よく整ったシルエットで身を寄せ合っている。
「すごく綺麗。これがあのとき俺が届けた種から育ったんだよね?」
「そうですよ。畔さんにいちばんに見せることができてよかったです」
「へへ……」
なんだか気恥ずかしくて頬をかいた。そんな俺をじっと見た後、雪姫ちゃんは口を開く。
「あの、畔さん。畔さんが嫌じゃなければなんですけど」
「な、なに?」
「わたし、畔さんのこと――」
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