第19話「『誰も助けてくれなかった』なんて思いはさせたくないんだ」
「……どうしてわかったの?」
やっぱりか……と思いながら、聖海ちゃんに答える。
「表情とか見てなんとなくだけど。『畔に食べてもらえたら成仏する』って聖海ちゃんに食べられたら成仏しないみたいだし。それに、ご飯行こうって誘ったときにちょっと困ってそうな反応だったから」
「畔は賢いね。成績というよりも、人柄として」
聖海ちゃんは淡々と言う。
「そうかな……? ありがとう」
どこまで踏み込むべきだろうか? 答えたくなければ答えなくていい、と前置きをしているのだから、もう少し聞いてみてもいいかもしれない。
「いつから味が分からないの? 生まれたときから?」
「ううん、わりと最近までは普通だった。中学生の頃……僕がまだ水泳をやっていた頃ね。飛び込みで怪我をして……命は助かったんだけど、頭をぶつけたせいで味が分からなくなっちゃった。水泳はそのときやめたんだ」
「そうだったんだ……」
聖海ちゃんが水泳をやっていたという話は初耳だった。でも確かに走るのも早いし、全体的に運動能力が高いのだろう。
「この話、もうちょっと聞いてくれる?」
今度は聖海ちゃんの方から様子を伺ってくれた。あまり明るい話ではないから気遣ってくれているのだろう。せっかく話そうとしてくれているのだから、俺としてもなるべく受け止めたい。
「うん、聖海ちゃんがいいなら」
聖海ちゃんは膝の上で両の掌を組んだり握ってみたりしていた。頭の中で話をまとめているのだろうか。
「僕ね。家族のこと、別に嫌いってわけじゃないんだよ」
その語り口で、大事な話をしてくれようとしているのだろうと悟った。自然と背筋を伸ばして続きを促す。
「だけどね……お父さんが、あんまり……分かってくれる人じゃなくて。『美味しいものを食べてしっかり寝れば元気になる』って考えの人なんだ」
「……」
「僕は食べ物の味が分からなくなっちゃったのに……それは無理。そもそも前提からして、美味しいものと睡眠だけじゃ回復できない痛みだってある。生きていれば、誰にでもね。けど、お父さんは自分自身がそういう人だから。美味しいものと睡眠で切り替えられる性質の人だから。僕のことも、分かってくれなかった」
「…………そっか……」
人にはそれぞれの価値観があって、他人と一致しないなんて当たり前だ。それでもなるべく分かり合えるように思いやりを持って接したり、或いは適切な距離をとってお互いを傷つけないようにする。そうやって軋轢を避けている。しかし、聖海ちゃんのお父さんにはきっと悪気はない。悪気がないから理解しないし、無意識のうちに聖海ちゃんにそれを押し付けている。「悪気がないこと」はときに、「悪気があること」よりも厄介だったりするのだろう。
「それで、同じ食べ物の美味しさを共有できない僕は家族と食卓を囲めなくなって。受験でこっちに一人で引っ越してきたんだ」
「そうだったんだね……」
「でも、僕はまだ恵まれてる方なんだろうね。他県への受験も一人暮らしも反対されなかったから。きっと、それすらも叶わなくてもっと苦しんでる人が、どこかに居るんだろうね」
そう言った聖海ちゃんは俯いていて、両の目には涙が浮かんでいた。
それに気づいた俺は反射的に聖海ちゃんの肩を掴んでいた。
「他人と比べたからって聖海ちゃんが感じている苦しみがなかったことになんてならないんだよ。苦しかったって言っていいんだよ!」
「っ……」
俺が言い終わるのと同時に、聖海ちゃんはその白い頬を涙で濡らした。
「あっ、えっと、ハンカチ……」
予備のハンカチを持っていただろうか、と荷物を探るよりも先に、聖海ちゃんはばっと俺の胸に顔をうずめた。
動揺しそうになるのを抑えて聖海ちゃんを抱き留める。静かに泣く聖海ちゃんの身体は少し震えていたので、そっと背中をさすってあげた。
「大丈夫だよ。俺はちゃんと受け止めるから。打ち明けてくれてありがとう」
目の前に他者からの無理解に苦しむ人が居るのなら、俺は拠り所になってあげたい。昔俺も、誰かにそうしてほしかったように。「誰も助けてくれなかった」なんて思いはさせたくないんだ。
しばらくすると電車がやってきたので二人で乗り込み、並んで座った。その頃には聖海ちゃんはかなり落ち着いていたので、話を切り出した。
「それでなんだけど」
「なに?」
「聖海ちゃん的にはどうなのかなって思って。打ち明けてもらった以上は、知った上で俺がどうするべきか教えてほしいな。その、憶測の気遣いが空回りしたらよくないだろ? どう接してほしいとか、スタンスがあるなら言ってほしい。なるべく合わせるから」
「……畔はどこまでも気遣い屋だね。嬉しいけど……」
夜の闇の中を昼間のように明るい電車が走る。ガタンゴトンという一定のリズムに揺られながら、聖海ちゃんは答えた。
「普段は今まで通りで大丈夫。変に反応すると周りの人も怪訝そうな顔をするし」
「確かに」
「そうだね……事情を知らない人に食べ物の味の感想を求められたら、畔がアシストしてくれると助かるかも。滅多にないだろうけど」
「分かった、それくらいなら任せて」
そうして最寄り駅に着いた俺たちはそれぞれの家へと帰っていった。
***
次の登校日に教室にやってくると、かなりの人数が制服を夏服に変えて登校していた。もう衣替えの季節だ。かく言う俺も夏服を身に纏っている。冬服からの変更点はジャケットがないことと、ブラウスが半袖になっていることだ。パフスリーブの半袖に心ときめかずにはいられない。それからスカートの生地も少し軽やかなものになっている。
「おはよ、畔くん!」
とてとてと小走りでやってきた小桃ちゃんは笑顔で挨拶を投げかけてくれた。
「おはよ小桃ちゃん。小桃ちゃんも半袖で来たんだな」
「畔くんもだね。……畔くんの肘すっごいきれいだね? なにか特別なことでもしてる?」
「この肘に着目するとはお目が高い……。たまにスクラブしてるよ。後でおすすめのやつ教えるよ、まあ小桃ちゃんの肘は充分きれいな気がするけど」
「えっ、えへへ……? そうかなぁ?」
「今のセクハラじゃないからね?」
「分かってるよ! 畔くんに褒めてもらえて嬉しいなぁ」
「人によっては外見のことは褒め言葉でも触れてほしくないって人も居るからね、一応」
「小桃は大丈夫だから! 畔くんにいっぱいかわいいって言ってもらえるように頑張るねっ!」
小桃ちゃんがいいならいいか。俺は鞄を机の横にかけてから不意にお知らせ黒板に貼り出されている紙を見つけた。
「あれ? なんか新しいお知らせきてる?」
「ほんとだ。ホームルームで共有した方がいいよね?」
「そうだな」
小桃ちゃんと二人でお知らせの内容を読む。
『希望者のみ:盛夏服採寸のお知らせ』
「盛夏服! マジで!?」
俺は興奮を抑えられずに声を上げてしまっていた。
「わっ、畔くん声おっき……」
「ご、ごめん小桃ちゃん、つい」
真横の小桃ちゃんが俺よりもびっくりしているので謝る。
「俺絶対盛夏服買う!」
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