第15話「チベットスナギツネってなんですの?」
いつもと違う駅で電車を降りると、なんだかワクワクするのは俺だけだろうか。閑と共にホームへ降り立ち、改札を出た。
今日は体育祭の本番で、会場である総合運動場へやってきていた。一日制服を着る用事はないので、最初から体操着での移動だ。
総合運動場へ向かう道のりには清花の体操着の生徒たちがたくさん居て、みんな行き先は同じなのだなぁと思った。
「本番だね」
「閑は練習とかどうだったの? 自信のほどは?」
「全然。でも、ペアの人も足遅いから、怪我なく楽しくやろうってことになった」
「それはそれでいい目標だな」
総合運動場へ到着し、ぐるぐると階段をのぼって客席に入る。クラスごとに座る区画は決まっているが、常に出場や休憩で人が行き来するのでそんなに厳密に席は定められていない。
取り敢えず一番日が当たらなそうな席を確保すると、そこにやってきた灰ノ宮さんと目が合った。
「おはよう灰ノ宮さん! いい天気だな」
「ごきげんよう、鵠沼さん。隣、よろしくて?」
「え? いいけど……」
他の席も空いているのに、というニュアンスを含ませて答えると、灰ノ宮さんは察して説明をしてくれた。
「あなたと同じ理由ですわ。なるべく日が当たらない席に座りたいのです」
「そっか、愚問だったわ。どうぞ座って」
「ええ」
灰ノ宮さんと並んで座り、持ってきたペットボトルの水を飲んで一息つく。
「おはよう鵠沼さん、灰ノ宮さん」
クラスメイトたちは次々にやってきて思い思いの席を選んで座る。吉田さんから手を振りながら挨拶されて、俺と灰ノ宮さんもそれに手を振り返した。
「二人は日傘持ってきた?」
「勿論ですわ」
「おうよ。見る?」
「見たいな。どんなやつなの?」
吉田さんに促されて俺は手に持っていた日傘を開いて見せた。パッと見だと、白地にピンクのリボン柄を散りばめた普通の傘に見えるかもしれない。
「……日傘に詳しくないからよく分かんないや。鵠沼先生、解説お願いします」
「任せな。まずこの生地は……灰ノ宮さんは分かるよな?」
「一級遮光ですわね」
灰ノ宮さんはさらりと正答する。
「その通り。一級遮光というとカーテンでよく聞く言葉かもしれないけど、日傘にも一級遮光の生地を使っているものがあるんだ。迷ったらまずは商品タグや説明に一級遮光って書いてあるものを選ぶと無難だな。他の布地に比べると日光の遮り方が段違いだぞ」
「へぇ……そういうのもあるんだね。他のチェックポイントは? 裏側が黒いのには意味があるの?」
「いい着眼点だ。裏地が黒いのは、地面からの反射光を吸収するためなんだよ」
「反射光……この間も言ってたね。具体的にはどういうこと?」
「まずは反射光のおさらいからだな。反射光っていうのは、日光が地面に当たって、その地面から反射してくる光のことなんだ。たとえば……そうだな、裏地が黒じゃなかった場合の話からしよう。車のサンシェードに代表されるように、銀色は光を跳ね返す効果がある。じゃあ、傘の内側が銀色だったらどうなると思う?」
「えっと……日差しが地面に当たって、反射して……傘の内側の銀色の部分に当たったら……傘をさしている人にも反射する?」
「その通り! だから傘の内側は光を反射しにくい色の方がいいんだよ。黒は光を吸収するから、裏地が黒くなっているものがおすすめってことだな」
「まとめると、一級遮光で、裏地が黒いものがいいってことだね?」
「うんうん、それで合ってる。日傘選びの参考になったら幸いだ」
話がまとまったのでそろそろグラウンドに出て最後の練習に参加しようということになった。しかし、その流れを遮った者が居た。
「日傘さすとか女みてーじゃん」
おっ、久しぶりに絡んできたな……と思いながら俺は声の方を見る。今到着したらしい半須のウザ絡みだった。
「おー? いつの時代の話してんだ? 日傘は日焼け対策だけじゃなく、熱中症予防にも効果があるんだぞ。男性にとってもメリットいっぱいだぜ」
俺の反論に対して尚も難癖をつけようとしてきた半須の肩を掴んだのは、同じクラスの最上さんだった。彼は確か半須と仲がいいはずだ。
「そういうのダサいからやめろよ」
「けっ! 最上も鵠沼派かよ!」
「灰ノ宮や吉田の顔見てみろよ。チベットスナギツネみたいだぞ」
「うるせー」
最上さんはまだ文句を垂れる半須を引きずって立ち去ってくれた。
「鵠沼さん、チベットスナギツネってなんですの?」
「後で画像見せてあげる。練習行こっか」
首を傾げる灰ノ宮さんと吉田さんと一緒に、俺はグラウンドに降りていった。
***
最終練習を終え、いよいよ開会式だ。なぜ体育祭という行事で歌う聖歌が「あめのきさき」なのだろう、などという疑問を持ちながらうろ覚えで歌い、理事長様が台に上がって各クラスの代表者が選手宣誓を行う。
定期試験ではあまりいいところを見せられなかったので、体育祭ではぜひとも活躍して理事長様に頑張りを見てほしい。理事長杯リレーは負けられない戦いになりそうだ。
最初の種目は女子100m走だ。どうやらこの種目を最初に行うのが恒例行事のようで、「ついに始まったね!」といった会話も聞こえてくる。花組の期待の星と言えばやはり灰ノ宮さんだ。だいたい足の速さが同じくらいの人たちで何列かに分かれており、灰ノ宮さんが並んでいる最後尾の横並びメンバーが最も速い組になる。
「ん?」
灰ノ宮さんの走りを見守ろうと注目していると、同じ列に見覚えのある人を見つけた。ツインテールに束ねた色素の薄い髪――聖海ちゃんだ。金髪碧眼の灰ノ宮さんが同じ列に居るので、遠巻きに見ても華やかな感じがする。あまり他人の外見をとやかく言うものではないが、聖海ちゃんはかなり整った顔立ちの人だった。
しばらくすると最終レースが始まり、合図とともに彼女たちは走り出す。クラスで一番足の速い人たちが集められた精鋭メンバーなので、スプリンターという表現がしっくりくるスタートダッシュだった。全員が競っている。走りのフォームも綺麗で無駄がない。
同じクラスの灰ノ宮さんを応援すべきか、それともバイト先の仲間であり勉強会の先生である聖海ちゃんを応援すべきか――と迷っているうちにあっという間に決着はついた。聖海ちゃんの勝利だ。灰ノ宮さんも惜しいところまで食らいついていたが、二位という順位に収まった。
「お疲れ様、灰ノ宮さん、聖海ちゃん!」
俺が声をかけに行くと、二人はほぼ同時に振り返った。そして名前を呼ばれた者同士、お互いの顔を見合わせて軽く会釈する。
「ええと……初めまして、わたくしは灰ノ宮瑠璃羽ですわ」
「存じております。僕は美魚川聖海」
灰ノ宮さんは聖海ちゃんの僕という一人称に少し引っかかりを覚えたようだったが、俺の無言の目配せで言葉を飲み込んだ。「別にツッコむようなことじゃない」という考えは伝わったらしい。少し前まで灰ノ宮さんは人の気持ちを汲み取るのが苦手な人なのかと思っていたが、想像以上に前後の文脈や表情で察することに長けているようだった。
「灰ノ宮さんは惜しかったけど二人ともすごい速かった! 聖海ちゃんがこんなに足が速いなんて知らなかったよ」
「ええ、わたくしも悔しいですけれど、美魚川さんの走りはお見事でしたわ」
「……ありがとう?」
聖海ちゃんは聖海ちゃんで「噂に聞いていた灰ノ宮さんの印象と違うな……」と思っていそうな表情だ。後で顛末を話しておこう。
「僕、ちょっと喉が渇いちゃったから。お先に失礼するね」
「水分補給はこまめにな!」
立ち去る聖海ちゃんを二人で見送る。すると灰ノ宮さんは俺の体操着の裾をくいくいと引っ張った。なんだか珍しい挙動だ。
「どうした?」
灰ノ宮さんに向き直ると、彼女はちょっと緊張した顔で切り出した。
「……あの。こういった知識に疎くて申し訳ないのですが……」
しおらしいな。何の話だろう。
「……お相手を呼ぶとき……ファーストネームで呼ぶのは、親しさの証なんですの?」
「え? ああ、まあそういうところもあるかな? 俺の場合は双子の妹の閑と呼び分けるためにみんな下の名前で呼んでくるから、呼ばれる分には特別親しい感じはしないけどな。名字で呼ばれる方が
「でも、鵠沼さんは親沢さんのことも美魚川さんのこともファーストネームで呼んでいますわ」
「……えーと、つまり?」
「わたくしのこともそう呼んではくれませんの? わたくし、鵠沼さんのお友達なのでしょう?」
灰ノ宮さんは半分ぷんぷんと怒った調子でそう訴える。今までは孤高の人だったからだろうか、どうやら友達という存在に喜びを感じてくれているらしい。
「灰ノ宮さんはそういうの嫌なのかと思ってた。そっちでいいなら名前で呼ぶことにするよ」
「はい。ではどうぞ、試しに呼んでみてくださいまし」
なんかちょっと上から目線の発言だな、と苦笑しながら俺は言われたとおりにする。
「瑠璃羽ちゃん」
なるべく自然な感じで言ったつもりだったのに、灰ノ宮さん――いや、瑠璃羽ちゃんは急に顔を赤らめ、眉をハの字にして慌て始めた。
「……実際呼ばれてみると恥ずかしいですわ……!」
なんだよそれ、と言いたかったのに、動揺が俺にも伝播してうまく言葉にできなかった。
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