第16話「真に美容を愛する者は健康のことも愛している」
女子100m走の次は男子100m走だ。とはいえ男子の数は多くなく、まだ俺の学年しか居ないので3レースだけだ。1レース目に半須、2レース目に最上さん、3レース目は俺という順番になっている。
「鵠沼ァ、ミスるなよ〜?」
「お前が言うな」
半須の言い草に呆れるが、目の前の勝負に集中しよう。1レース、2レースと終わり、あっという間に俺の番だ。大丈夫、焦らなければ俺が勝てる。練習の様子を思い浮かべながら走り出す。走る、走る……いい調子だ! なんの障害もなく一着でゴールに辿り着いた。
「イエーイ一位~!」
俺がるんるん気分で順位を自慢すると、四着だった半須にぐぬぬ……という顔をされた。ちょっといい気分だ。
「鵠沼さんめっちゃ速……さすが理事長杯リレーに挙手するだけあるな」
二着だった最上さんは素直に感心してくれる。
「だろー? ちゃんと実力発揮できてよかった!」
「その髪とか空気抵抗ありそうなのに」
最上さんは俺のツーサイドアップに束ねたロングヘアを指さす。
「まあそんなのものともしないってことなんだわ」
「うるせーぞ鵠沼……」
半須は尚も悪態をつく。こういう喋り方しかできないんだろうか。
「文句は俺に勝ってから言いな!」
俺は半須と最上さんにひらひらと手を振って先に客席に戻ることにした。
「お帰りなさいませ、鵠沼さん」
日傘をさす瑠璃羽ちゃんに迎えられ、俺は自分の席に腰を下ろす。
「ただいま。一位取ったぜ!」
「ええ、見ておりましたわよ。さすが鵠沼さん、わたくしと二人三脚でペアを務めるだけありますわね?」
「おいおい、最初はあんなに嫌がってたくせによく言うよ……」
「それはもう、許してくださいまし?」
「まあいいけどさ。ところで瑠璃羽ちゃんは、俺のこと名前で呼ばないの?」
「えっ」
「妹居るし、下の名前で呼ぶ方がなにかと合理的かもだぞ。無理にとは言わないけどさ」
俺が提案すると、瑠璃羽ちゃんはしどろもどろになって日傘で顔を隠す。
「……わたくし、あなたに名前で呼ばれるのも恥ずかしかったのに……あなたを名前で呼ぶのもきっと恥ずかしいですわ……!」
「あ、じゃあ別に今まで通りでも……」
「いえ! 呼びますわ!」
「どっちだよ~……」
意気込む瑠璃羽ちゃんを止めるのも違うような気がしたので、苦笑いでやり過ごす。少しの間、瑠璃羽ちゃんの次の言葉を待った。次の種目が始まったのか、客席は応援の声が巻き起こる。
「……ほ、畔……さん」
瑠璃羽ちゃんは日傘の下でぼそりと呟いた。
「なぁに?」
俺がなるべく優しい声を意識して答えると、瑠璃羽ちゃんはぷいと顔を逸らしてしまった。
「……呼んでみただけですわ!」
「はは、そうだよな。意地悪な質問みたいになっちゃってごめん」
ちょっぴり不機嫌になってしまった瑠璃羽ちゃんを宥めようとしていると、背後から影が差してきた。人影だ――誰だろう? 俺が振り向くより先に、その影の主は声を発した。
「ほ・と・り・く・ん?」
一音ずつ区切って俺の名前を丁寧に呼ぶ声。はっと振り向くと、そこには小桃ちゃんが立っていた。小桃ちゃんは太陽の日差しを背に、逆光のなかで俺に笑いかける。
「隣、座ってもいい?」
「え? うん、勿論」
「ありがと」
小桃ちゃんは荷物を下ろして俺の隣――瑠璃羽ちゃんの反対側に座る。
「100m走見てたよ! 畔くん、一位おめでとう!」
「ありがとう。やっぱ一位は嬉しいもんだな」
「小桃は100m走には出ないから、客席で応援してたんだけどね? 畔くん、すっごい目立ってたんだから!」
「ほんと?」
「そうだよ! 髪の毛さらさらで靡いてて……綺麗だったなぁ……」
100m走なのに見た目で目立つのはどうなのだろう、とも思ったが、小桃ちゃんは褒めてくれているのだろう。それに体育祭で目立って全学年に認知されるのは当初の目的通りなので、それが事実ならいいことだ。
「今やってる種目の後は……二人三脚だね。ちょっと緊張しちゃうなぁ。実穂ちゃんの足を引っ張らないようにしなきゃ、文字通りの意味で……」
「リラックスして挑めば大丈夫だよ」
「……」
小桃ちゃんは日傘をさす瑠璃羽ちゃんの方をちらりと見やる。
「……私も、足が速かったら畔くんと組めたのかなぁ?」
その躊躇いがちな言い方に、俺は小桃ちゃんから一回告白されたんだったなぁと当時の心境を思い起こしていた。小桃ちゃんはきっと、俺と二人三脚でペアを組んでいる瑠璃羽ちゃんに思うところがあるのだろう。あの謝罪によって二人の間の溝はある程度取り除かれたが、小桃ちゃんの俺への気持ちが二人の仲を深めるのを阻害するのかもしれないと思うと複雑な気分にならざるを得ない。……まあ、小桃ちゃんと瑠璃羽ちゃんが親友レベルまで仲良しになる必要があるのかと言うと、ないんだけど。それは二人が決めることなのだろうし。
そうこうしているうちに別の学年の種目である大玉転がしが終わり、俺たちも参加する二人三脚の準備が始まった。
グラウンドに上がる前、半地下の待機スペースで足の紐を括りつける。
「瑠璃羽ちゃん、平気? 痛くない?」
「ええ、大丈夫ですわ」
「いつも通りやろう。俺たちならできる!」
「その通りですわ。しっかり実力を見せつけてやりましょう」
瑠璃羽ちゃんと肩を組み、半地下から階段をのぼってグラウンドに出る。一番最初の列には小桃ちゃんと増田さんのペアが並んでいた。二人とも、転んで怪我しないといいんだけど。
スタートの合図で小桃ちゃんと増田さんは走り出す。ぽてぽて……という擬音が聞こえてきそうなほどゆっくり走っているが、息はぴったりみたいだった。最後までそのまま走れますように、と見守っていると、二人は四着でゴールした。ここからでは声は届かないので、後で労おう。
すぐに俺と瑠璃羽ちゃんの出番が回ってくる。ここまで来ると、もう会話はない。どちらの足を先に出すかは決まっている。合図と同時に走り出す――いつも通り順調だ。いける! 一歩目から先行したまま、そのまま誰にも追い越されずに走り抜ける。一着だ!
「〜〜〜っしゃ! 一着!」
「ええ、ええ、そうですわ! 一着ですわよ!」
思わず瑠璃羽ちゃんと手を取り合って喜びを分かち合う。
「やはり一番というのは気分がいいものですわね、畔さん?」
「うんうん、本当に。俺たち最強のペアだったな!」
「その通りですわ。あなたと組めてよかったです」
「ありがとう……こちらこそ、瑠璃羽ちゃんがペアでよかった!」
ゆっくりと歩いて呼吸を整えながら観客席に戻る。計算を終えた実行委員が得点板を更新している様子を見ながら、席についた。
「一時間の昼休憩だな。お腹すいた!」
俺の右隣には瑠璃羽ちゃん、左隣には小桃ちゃん。
「私も一緒にいいかな?」
「実穂ちゃん! どうぞどうぞ〜」
小桃ちゃんの左隣に増田さんもやってくる。
「吉田くんもおいでよ」
「お邪魔します」
増田さんの更に隣に吉田さん。なかなか大所帯だ。
「小桃、畔くんのお弁当見たいなぁ。普段は学食だもんね?」
「俺と閑の二人分の弁当を毎日用意させるのは父さんに悪いからなー。今日は特別に作ってもらった」
「お弁当、お父さんが作ってくれるの?」
「そー。栄養バランスばっちりだぜ」
ほうれん草とツナの卵焼きに、ベーコンとブロッコリーのオリーブオイル炒め。焼き鮭のマスタード和えがメインディッシュといったところか。
「飲み物は……豆乳? 畔くん、豆乳好きなの?」
「美容のために飲んでたら好きになってきたって感じかな」
小桃ちゃんに答えながら俺は豆乳のパック飲料にストローをさしてちゅーと吸う。
「小桃、豆乳って飲みづらいイメージなんだけど……飲めるかなぁ?」
「いろいろな味があるからな。バナナ味とかイチゴ味は飲みやすくて初心者におすすめ。本当は無調整豆乳がいいけど、苦手な味は無理せず」
「けっこう種類があるんだね? 畔くんは詳しいなぁ」
「栄養のこと調べるのも趣味みたいなもんだから。真に美容を愛する者は健康のことも愛している、っていうのが俺の持論」
「そうですわね。極端な偏食や不規則な生活習慣はいけませんし、過度なダイエットもかえって美を損ねてしまいます。健やかさと美しさは似ているかもしれませんわね」
反対側の瑠璃羽ちゃんも頷きながら同意を示す。それに対して小桃ちゃんは少し考えてから、思い切って話しかけた。
「は……灰ノ宮さんは、おすすめの飲み物とかってあるの? 畔くんの豆乳みたいに」
「ええ、そうですわね……朝は一杯の紅茶から……と、言いたいところなのですが。実際に朝一番に飲んでいるのは白湯ですわね」
「白湯? 意外かも……白湯を飲むと何がいいの?」
「冷え性の緩和や、老廃物の排出など、いろいろ効果があるとされていますわ。程よく内臓を温めるのは大事なんです。あと、毎朝飲んでいると、白湯の味の感じ方でその日の体調が少し分かることがありますわね。体調がすぐれない日は、白湯の味もあまり美味しくないように感じるんですのよ」
「へぇ……白湯って確か、一回沸騰させてから少し冷ますんだよね? 今度やってみようかな……」
思ったよりも普通に話せている……。俺は安堵していた。このくらいの世間話ができるだけでも、かなり前進だ。自分のことのように嬉しい。
食べ物や栄養の話題は俺も大好きなのでみんなで盛り上がり、ワイワイ雑談に花を咲かせていると通りすがりの最上さんが「タンパク質を食え、タンパク質」と言いながら生姜焼きをお裾分けしてくれた。美味しかった。半須はチベットスナギツネのような顔をしていた。
午後の部も入れ替わり立ち替わり競技に参加し、なかなか忙しくて賑やかな時間が過ぎていった。現在の花組はなんと一位! 二位の星組とは7点差で競り合っている。どちらの組が優勝してもおかしくない。例え花組がこの後陥落して二位になっても後悔はないほど全力で楽しめてはいるが、どうせなら優勝したい。
昼食を共にしたメンバーでそのまま観戦したり雑談したりしているうちに、最後の種目である理事長杯リレーの準備が始まった。
「俺、行ってくるから」
「行ってらっしゃい畔くん! 応援してるからね!」
「あなたならできますわ、畔さん」
小桃ちゃんや瑠璃羽ちゃんに見送られてグラウンドに出る。現在トップの花組の第一走者である俺は一番内側のレーンの上に立った。一緒に走るライバルは誰だろう、と思って他の四人を見やる。すると隣には――聖海ちゃんが立っていた。
「畔?」
「聖海ちゃん! あれ、理事長杯リレーの参加者だったっけ!?」
「朝練は参加してなかったから」
「あ、ああ……そういえば星組はいつも揃ってなかったわ……」
聖海ちゃんは100m走でも瑠璃羽ちゃんに勝利していた。俺と瑠璃羽ちゃんの足の速さが同じくらいなので……俺は聖海ちゃんに勝てないかもしれない、ということになる。
「……畔、優勝するのが好きなの?」
「えっ? まあ、そりゃあね。ミスコンも優勝したいし」
「だよね。……手加減、してあげよっか?」
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