第13話「これは、僕なりの反抗なの」

「鵠沼さん」


 体育祭まであと少しという頃の放課後、俺は灰ノ宮さんに呼び止められた。あの二人三脚以来、授業中に関わるときは以前よりもお互いの態度が柔らかくなってきたと思っていたが、こうして話しかけられるのは珍しい。

 少し身を固くしている灰ノ宮さんに、なるべく優しい声色を意識して発する。


「灰ノ宮さん。どうしたの?」

「あっ、あの……体育祭まで、あと少しでしょう? ちょっとくらい、朝練にでも参加しようかと思ったのですが……鵠沼さんは、どうですの? 参加する気はありますの?」


 確かに俺は朝の勉強会を優先していたので、授業以外で自主練に出ることはなかった。本番も差し迫っていることだし、参加してもいいかもしれない。


「いいよ。明日の朝から体育祭までの間、校庭に集合でいい?」


 灰ノ宮さんはほっと安堵のため息をつく。断られたらどうしよう、とか考えていたのだろうか。


「よかった。では、よろしくお願いしますわね?」


 話は終わったかと思ったのだが、灰ノ宮さんはその場から離れず、ちょっともじもじしている。


「なにか言いたいこととかある?」


 こちらから促すと、灰ノ宮さんは通学鞄からスマホを取り出した。


「あの。……いろいろと必要になると思うので、連絡先をいただいても?」

「え? ああ、そうだね。交換しよっか。LINEやってる?」

「はい。どうやって連絡先を追加するのかしら」

「それはここを押してQRコードを……」


 画面を覗き込んで指示しながら連絡先を追加する。


「よし。これで送れるから、何かあったらLINEしてね」

「ありがとうございます。では、本日のところはこれで失礼しますわね」

「うん、また明日」


 ぺこりとお辞儀をして灰ノ宮さんは先に帰っていった。


「畔くん」


 灰ノ宮さんと入れ替わるようにしてやってきたのは小桃ちゃんだった。


「あの、灰ノ宮さんとの二人三脚、どう……? なんかひどいこと言われてたりしない?」

「心配してくれてありがと。なんとかやれてるよ」


 いきなり和解しました、というのも小桃ちゃんの心情的にどうだろうかと思ってぼかした。灰ノ宮さんだって急に態度を柔らかくするのは難しいだろうし、無理やり二人を近づけようとするのはよくないだろう。俺と普通に関われている様子を見せて、自然に馴染んでいってくれたらベストだと思う。


「あと、今の話ちょっと聞いちゃった。明日から朝練に出るの?」

「うん、相談せずに決めちゃってごめんね。一週間ちょっとだから、その間は体育祭の練習に力を入れておこうかなと思ってるよ」

「そうだね。小桃も練習したかったし、実穂ちゃん誘ってみる。あと、もういっこ……」

「もういっこ? なに?」

「……もういっこ用件があるんだけど……。小桃とも、LINE交換してくれない?」

「そういえば交換してなかったっけ。いいよ、QRコード出せる?」

「うん!」


 小桃ちゃんはウキウキとスマホを取り出し、QRコードを見せる。


「スタンプ送っとくから、何かあったらここによろしくね」

「かわいい鳥さんのスタンプだ」

「俺が描いたやつだよ」

「えっ! これ畔くんが描いたの!? かわいい〜! 畔くん、絵を描くのも上手なんだね!」

「まぁちょっとしたものだけどね。じゃあまた明日、小桃ちゃん」

「うん。また明日!」




 小桃ちゃんと別れた後、足早にバイト先の喫茶店へ向かった。


「お疲れ様です!」


 元気に挨拶しながら事務所へ入ると、既に着替え終わった聖海ちゃんと出くわした。


「お疲れ様です、鵠沼さん」


 お仕事モードなので敬語で苗字呼びだ。


「美魚川さん、明日の朝の勉強会のことなんですけど。体育祭までは自主練に出ることになったので、一週間くらいお休みってことになりました」

「分かりました」


 更衣室で喫茶店の給仕服に着替える。シンプルでありながら個性的な斜めの白い襟がかわいい。それを眺めながら首元のボタンを留めるとちょっと気分が上がる。鏡の前で身だしなみチェックをし、出勤のバーコードを通してホールへ出る。


「いらっしゃいませ!」


 平日でもこのお店はそれなりに混んでいる。昼前の開店からランチタイム、ティータイム、ディナータイムとずっとピークが断続的にあるので、意外と休む暇がない。


「鵠沼さん、これを5番テーブルにお願いします」

「はい!」


 店長の指示通りに注文の品を5番テーブルへ運ぶ。よく見かける常連のお客様が、同年代のお友達と思しきご新規さんを連れて来店してくれたらしい。


「お待たせいたしました、クリームソーダのお客様」

「はい」

「アイスコーヒーのお客様」


 初来店のご婦人は軽く手を挙げつつ俺の方を見た。


「はい、私です。つかぬことをお聞きしますけれど、あなたって男性の方?」

「? はい」


 俺はなんでもない風を装いながら、内心では身構えていた。この聞き方をする人は大抵の場合、批判的な意見を述べることが多いのだ。


「まあ、男性なのにスカートなんて履いちゃって。変だと思わないの?」


 いえ、別に……と飄々とした口ぶりで返そうとしたのだが、常連の方のご婦人が食い気味に反応した。


「あら、いまどきは男性でもスカートを履くのよ? 知らないの? うちの姪っ子のとこの中学なんか、男女どっちでもスカートもズボンも履ける制服なんですってよ」

「そういうものなのかしらねぇ」

「時代遅れの化石にならないように気を付けることね」

「言うわねぇ。ごめんなさい、引き止めちゃって」

「あ、はい。ごゆっくりお過ごしくださいませ」


 俺は他のお客様にするのと同じように丁寧なお辞儀をしてその場を離れた。

 カウンターの中に入ると、聖海ちゃんがさりげなく近づいてきて耳元に囁いた。


「大丈夫? 変なこと言われてた?」

「平気。それほど強く言われなかったし、常連さんの方が制止してくれた」

「そう? ならいいけど」


 私的なやり取りを短く終えると、店長から指示が飛んできた。


「美魚川さんは2番にサーブ、鵠沼さんは7番にオーダー伺いお願いします」

「はい!」


 俺と聖海ちゃんはそれぞれに渡された指示をこなしに向かう。


「お待たせいたしました、ご注文をお伺いします」


 メニュー表から顔を上げた彼女とばちっと目が合った。


「あれ、茨咲さん? いらっしゃいませ」

「鵠沼じゃーん。なんだ、ここでバイト始めたの?」

「うん、茨咲さんのアイデア通りインスタで調べて来ました。制服がかわいかったのが決め手です」

「あは、鵠沼っぽ~い。あたし結構常連だよ~、ここのクリームソーダ美味しいよね。ってことでブルーベリーのクリームソーダください」

「かしこまりました」


 いくつかの作業を終えて茨咲さんの注文の品を届ける番になった。


「お待たせしました、ブルーベリーのクリームソーダです」

「ありがと~。写真撮っても?」

「どうぞ、他の人は写らないようにお願いします」

「当たり前じゃ~ん。ネットリテラシーくらいあるもんね」

「それならよかった。茨咲さんはブルーベリー好きなんですか?」

「目にいいからね~」

「確かにね。ごゆっくりどうぞ」


 俺が立ち去ろうとすると、茨咲さんに呼び止められた。


「ちょい待ちなされ。鵠沼、さっきおばさんに絡まれてなかった?」


 声に出してはいそうですとも言えないので頷く。


「あのままエスカレートするなら、あたしが出ていって一発しばいたろうかと思ってたわ」

「暴力はおやめください……気持ちはありがたいんですが……」

「ま、鵠沼のためってわけじゃないよ。そういうバカみてぇな奴が許せないだけ」


 茨咲さんってめっちゃ口が悪くて面白いな。しかし、現実に茨咲さんは俺に突っかかっていた灰ノ宮さんにもキレていたので、多様性への無理解に思うところでもありそうだ。


「世界を変えてやりてぇよな~。分からず屋の世の中をさ……」


 茨咲さんはクリームソーダを写真に収めながら独り言のように呟いた。窓の向こうの夕陽のオレンジ色が、紫色のソーダに射し込んできらめいている。


「まだ変われる部分は多いと思うけど、ちょっと前より世の中は優しくなってるんじゃない?」


 常々思っていることを口に出して言ってみると、茨咲さんはふ、と笑って答えた。


「だといいんだけどね~」


 俺は改めてお辞儀をして、カウンターへ戻った。


***


 本日の業務を終えて帰路につく。


「お疲れさまでした。お先に失礼します」

「はい、お疲れ様です」


 店長に挨拶をして店を出る。


「途中まで一緒に帰ろうか」

「うん」


 俺は聖海ちゃんを誘って一緒に帰ることにした。今までは閑や両親が迎えに来てくれたり、聖海ちゃんが帰りにどこかに寄って帰ったりしていたので、こうして駅まで一緒に歩くのは初めてだ。

 等間隔に歩道を照らす街灯の明かりを辿りながら歩いてゆく。


「畔は」

「ん?」


 不意に切り出した聖海ちゃんに、相槌で続きを促す。


「畔は、よく言われる? 男なのに、とか、服装のこと。……この話題、苦手だったら無理に答えなくていいけど」

「あー。まあそれなりに言われるかな。年齢の高い人とか、ふざけ半分のクラスメイトとかに……」


 ふざけ半分のクラスメイトというのは主に半須のことだ。灰ノ宮さんの態度が軟化した以上は、次に辛辣に当たってくるクラスメイトを挙げるなら彼になるだろう。


「でも、これは自分らしく生きることを諦めないって決めた以上は避けられないことだから。批判されるのは覚悟の上だよ。まぁ、俺は自分が批判されるようなことやってるって認識じゃねぇけどな」

「うん。畔はすごいね。でも、頑張って乗り越えなきゃいけない壁ばかりじゃないと思うから。時には逃げることも大事だよ」

「それは分かってるつもり。ある程度なら軽くあしらえるし」

「……じゃあ、僕が心配することもないか」

「気にかけてくれるのは嬉しいけどね」


 駅まで辿りつくと、聖海ちゃんは俺と一緒のホームまでついてくる。同じ方面なのだろうか。


「南浦和行き?」

「うん、横浜駅で乗り換え」

「じゃあ俺と同じだ」


 帰宅ラッシュの時間帯を過ぎ、電車の中はわりと空いている。横浜駅で乗り換えると、聖海ちゃんはまだ一緒に乗ってきた。あまり遠くからの通学は大変だろうし、案外俺の最寄り駅と近いのかもしれない。

 一日の疲れを全身で受け止める人々が脱力して座席に腰かけている。静かな電車の中、聖海ちゃんと並んで座った。うたた寝している乗客の頭越しに見える深い暗色の空の中に、建物の明かりが浮かんで見える。もうすっかり夜だ。


「……僕も、言われることがある」

「え?」


 静まり返った電車の中で、聖海ちゃんは小声で言った。


「さっきの話。僕も、言われることがある。どうして女の子なのに僕っていうの、って」

「あ……そうなんだ。居るんだね、そういうこと言う人」

「うん。でもね、僕も畔と同じなんだ。譲れないから、僕って言い続けてる」


 静寂に吸い込まれて消えそうな聖海ちゃんの声が、やけに俺の胸に直接すっと入ってくる。


「これは、僕なりの反抗なの」


 俺の真横で、聖海ちゃんは微笑む。


「そろそろ降りなきゃ」


 車内アナウンスが天王町駅への到着を告げる。


「待って、俺もなんだけど」



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