第11話「先のことに思いを馳せるより、今は目の前の日々を大事に積み重ねよう」

「……えっ」


 それは思いがけない言葉だった。


「……こんなに静かな教室だから、聞こえなかったっていうのはナシだよ、畔くん。私は、畔くんのことが好きなの。最初に会ったときから憧れてたけど、錬成会のミサのあと……畔くんに勇気づけられて、私は本当に救われたんだよ。あのときから畔くんのことが好きだったの!」


 小桃ちゃんは震える手を胸の前でぎゅっと握りしめながら懸命に伝えてくれる。

 ……確かに、小桃ちゃんの好意に気づかないわけではなかった。彼女は俺と会えば必ず嬉しそうな笑顔を見せてくれていた。錬成会のとき、暗い場所が苦手なはずの小桃ちゃんがわざわざ肝試しに参加したかったのは俺と一緒に行きたかったからだろうというのは想像がついていた。

 それに気づいていて、現状維持を望んで見て見ぬふりをしてきた。だが、正面から言われてしまっては、もうはぐらかすわけにもいかない。上手に伝えられるだろうか、俺は深呼吸をしてから話し始めた。


「……まずは、ありがとう。好いてくれるのは嬉しい」


 もうこの言い方で何かを察したのか、小桃ちゃんは悲しげに目を伏せる。しかし中断して、話をなかったことにはできない。


「だけど……俺から言うのもあれだけどね。困っているときに助けてくれた人に好意を持つのは普通だと思う。小桃ちゃんが、俺に助けられたから俺のこと好きって思ってくれているなら……それは、恋愛の好きって気持ちじゃないかもしれないと思わない?」

「……」

「それは、感謝とか、友達としての好きとか、もっと言えば『自分にとって役に立つ人だから好き』とか、そういう恋愛以外の感情かもしれない。だから、それをうやむやにしたまま、『じゃあとりあえず付き合おうか』って言うのは違うと思う。仮にそうなったとして、上手くいかなかったとき、俺は小桃ちゃんの心に一生残る傷になりたくないんだよ。……最終的には保身みたいでごめん。……俺の考え、伝わった?」

「……」


 小桃ちゃんは俺の考えを受け止めようとしてくれている。急かさずに待つしかない。

 やがて予鈴が鳴る間際、小桃ちゃんは口を開いた。


「……うん。分かった。ちょっと、考えてみるね。自分の気持ちのこと」

「……ありがとう。苦しい思いをさせてごめんね」

「ううん……あの、畔くんは今まで通り接してくれればいいから……。ほんと、気にしないで……」


 気にしないのは無理だ。けれど、そういう風に振る舞う方がお互いのためかもしれない。


「一年間学級委員の仕事はあるし、勉強会もあるから、一緒に頑張ろう。改めて、これからもよろしくね」

「うん」


 俺と小桃ちゃんは、少しぎこちない握手をして教室に戻った。


***


「ホームルームを始めます! 今日の議題は来月初頭に来たる体育祭について!」


 俺と小桃ちゃんの間に事情があろうと、学校行事は待ってくれない。その日のうちに体育祭に関する話し合いをしなければいけなかったのだ。

 周囲に悟らせると余計に気まずくなるので、俺はいつも通りを装って議題を進めることにした。


「えー、体育祭での全員参加種目は玉入れと二人三脚、選択種目は大縄跳びと綱引きと100m走のうちどれかに必ず参加。脚力に自信のある希望者は理事長杯リレーに参加できます、これは各クラス一人まで!」


 俺が言うと、そっと控えめな挙手があった。吉田さんだ。


「あの、おれが出るわけじゃないんですけど。理事長杯リレーって何ですか?」

「はい、小桃ちゃん説明お願いします」


 小桃ちゃんに振ると、彼女はちょっとびっくりしてから説明を始めた。


「えっと、理事長杯リレーというのは、中等部一年から高等部三年までの全学年から参加者を6人集めて行うクラス対抗リレーです。一位になったクラスには、理事長様からトロフィーを渡されます」

「説明ありがとう! ということで、我こそはという人が居たらこのホームルームが終わるまでに立候補してほしいです。まず先に選択種目の希望をとります」


 黒板にそれぞれの選択種目の名前と定員数を書き、挙手制で希望をとる。高校生にもなるとそこでゴチャゴチャとした言い争いには発展しなかった。


「はい、決まりね。次の体育の時間までには大縄跳びの回す人を決めておいてくださいねー。綱引きは実際やりながら並び順とかは決めといてください! 後は二人三脚のペアを組んでもらいます、五分以内でどうぞ!」


 今度はそれなりに話し合いが各所で起きた。進級組の女子たちの殆どは気心知れた相手と組むらしくすぐに決まったが、受験組は誰と組むか迷っているようだった。


「小桃ちゃん、私と組もう?」


 そう誘ってきたのは増田さんだった。


「え? 小桃でいいの?」

「うん、小桃ちゃん足遅いんでしょ? 私もなの。同じくらいの人が相手の方がやりやすいよ」

「あはは……その通りです……。よろしくね、増田さん」

「実穂でいいよー」

「うん。ありがと、実穂ちゃん」


 小桃ちゃんに友達が増えるのはなによりだ。

 懸念が消えたので今度は自分のことを考えなければいけなかった。


「えー、俺も組む相手が居ないんですが、誰かまだペア決まってない人居る?」


 そう募ってみたが、相手は見つからない。


「36人クラスだから誰も居ないってことはないと思うんだけど……」


 クラスメイトたちがちらちらと一人の方へ視線を注ぐので、その人物はもう観念するしかなかった。


「……わたくしですわ」


 灰ノ宮さんの忌々しげな名乗りようを見ると、さすがにうわっ、と言いそうになった。すんでのところで言葉を飲み込む。


「……まぁ、このクラスは女子が27人、男子が9人だからな……奇数だから余るのは分かってたよ」


 だからってよりによって灰ノ宮さんなのか? 足をくくって肩を組んで走る二人三脚を灰ノ宮さんと? ダメだ、絶対に何か文句を言われる。めんどくさすぎる。


「ちなみに灰ノ宮さんは足の速さは……」

「勿論かなり早い方ですわ。ほかの教科に比べると体育は苦手な方ですけれど」


 この言い方だとトップクラスと言っているようなものだろうな。


「まあ……他に相手も居ないし、よろしく」

「…………」


 灰ノ宮さんは自分をペアにしたがらなかった他の女子たちを恨めしそうに睨んでいた。女子たちは怯えるわけでもなく、いい加減灰ノ宮さんの相手をすることに飽きた様子だった。彼女らの輪の中心には――茨咲さんが居た。実はあの一件――廊下での灰ノ宮さんと茨咲さんの一触即発――以来、茨咲さんはクラスの女子から支持を集めている。なにかと声を荒らげては問題を起こす灰ノ宮さんに対してうんざりしていた彼女らは、本音を代弁してくれる茨咲さんに好感を覚えたらしいのだ。茨咲さんは欠伸をしてから灰ノ宮さんに言う。


「自業自得だね〜。徳が足りないよ、徳が」


 茨咲さんは「灰ノ宮さんが嫌いな相手と一緒に二人三脚をしなければならない」という状況に対してそう言っているようだ。だが、俺と組むことが罰ゲームかのように言われるのは若干おもしろくない。


「なんですって!」

「聞こえなかった〜? もう一回言ってあげよっか〜?」

「こら、喧嘩はよしなさい。これで二人三脚のペアは全員決まったな? 次回の体育の授業から練習が始まるのでそのつもりで! 強制はしないけど、体育祭まで朝は校庭を自主練用に解放しているので各自使ってください」


 俺が強制的に話を進めたので灰ノ宮さんと茨咲さんはスンと静かになった。あと、決めなければいけないことは――。


「それで、理事長杯リレーの参加希望者は居ますか?」


 立候補者は出ない。それなら……。


「じゃあ、俺が出てもいい?」


 自分を指しながらそう訊いてみると、反対者は出なかった。


「……他に居ないなら俺が出させてもらいます。ありがとう。以上でホームルームは終わりです!」




 帰り支度をしていると、小桃ちゃんから話しかけられた。


「畔くん、理事長杯リレーに出るんだね。足、早いの?」


 小桃ちゃんはいつも通りに接してくれているようだ。いずれ彼女の中で感情が定まったとき、俺はまたその気持ちに向き合う必要が出てくるかもしれない。けれど、もしかするとその頃には俺の小桃ちゃんに対する気持ちも変化しているかもしれないのだ。先のことに思いを馳せるより、今は目の前の日々を大事に積み重ねよう。


「うん、それなりに自信ある。でも、参加したいと思ったのはそれだけじゃないんだ」

「なにか考えがあるの?」

「ミスマーガレットコンテスト優勝に必要な要素は、大きく分けて三つ。学業の成績、普段の素行、人望だ。人望はいわゆる人気投票とも言い換えられる部分だけど、有利になる手段がある」

「有利になる手段?」

「そう。それは、ずばり『鵠沼畔という人間の知名度を上げること』だ!」


 小桃ちゃんはちょっとピンと来ていない表情なので、更に説明を付け加える。


「ミスコンのエントリー者の中に、知ってる人や、仲のいい人が居たらどうする?」

「え? それは、他の候補者の中に知ってる人が居ない場合ってことだよね? うーん……名前しか知らないような人の中に知り合いや友達が居たら、とりあえずその人に投票するかな?」

「そういうことなんだよ。人気投票で大事なのは浮動票! ミスコンに対して特にこだわりがない人が適当に票を投じるなら、『知っている人、比較的仲がいい人』になる。そういう人たちにとっての『とりあえず知ってる人』になるためには、全校行事で人前に立つことがすごく重要なんだ」


 そこまで説明すると、小桃ちゃんは納得がいったというふうに頷いた。


「あ、そっか……『体育祭の理事長杯リレーに出てた人』って印象を残せれば、ミスコンでも有利になるんだね!」

「そういうこと! ……だからこそ、学園の日のミサの聖書朗読をやりたかったんだけどな……。全校生徒が俺の朗読に注目するなんて、またとないチャンスだろ?」


 学園の日は体育祭の少し前、五月の末に行われる。もうすぐだ。


「そっか……。でも、聖書朗読をする機会は学園の日だけじゃないから、また次頑張ればいいと思うよ! 小桃、畔くんの優勝を応援するから!」

「ありがと。期待に応えられるように頑張るよ」



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