第10話「俺、かわいい服が大好きなんです」
土曜の午前中、俺は例の喫茶店にやってきていた。普通は電話であらかじめ面接の予約をするのが一般的なバイト応募の流れだろうが、俺はアポなし突撃だ。というのも、電話口で明らかに男性と分かる低い声で「女性用の制服で働きたいのですが」などと言うと人柄を見てもらう前に警戒されるだろうと予想できたからだった。
道路を挟んだ向こうは海という最高のロケーションを前に、しばしその景色を眺めた。喫茶店の「営業中」の札を確かめ、深呼吸をしてドアを押し開ける。
「いらっしゃいませー」
カウンターの奥からよく通る高めの男性の声が飛んでくる。
「一名様ですか?」
すぐにやってきた彼に、ずいと一歩踏み出して俺は思いきって尋ねた。
「すみません、インスタでバイト募集のお知らせを拝見したのですが。まだ募集していたら、面接の予約をお願いできませんか?」
緊張しながらそう言うと、彼は明るい調子で答える。
「あぁ、バイト応募の方でしたか。今余裕ある時間帯なので、そのまま面接もできますが……履歴書はお持ちだったりします?」
「はい」
「はは、準備がいいですね。ではご案内します」
男性に案内されて休憩室と思しきスペースへ通される。
「どうぞおかけください。履歴書をいただいても?」
「はい、お願いします」
履歴書を渡すと、彼はざっと目を通す。
「清花の生徒さんなんですね。じゃあ勉強できるんだ」
「それほどでは……」
「高等部の受験で入れる人はある程度成績優秀だと思いますけどね。では面接を始めていきます。私は店長の萩原です、よろしくお願いしますね」
萩原さんの質問に答えていく形で面接は進んでいく。一通りの面接で定番とされるポピュラーな受け答えを終えると、彼は次にパーソナルな部分にあたる質問をしてきた。
「もしも気を悪くされたらすみませんね。鵠沼さんは、この履歴書によると男性ですよね」
「はい」
萩原さんは、俺の私服がスカートであることを見てその質問をしているようだ。
「ここで働くことになったら、制服はスカートの方がいいですか?」
おや、と思った。その切り口は否定的なニュアンスを含んでいなかったからだ。
「はい、ぜひ。写真の映り込みで、すごいかわいい制服だと思ったんです! グリーンのピンストライプのワンピースがレトロな雰囲気の店内と合っていて……」
「これのことです?」
萩原さんはスマホの画像フォルダを開いて見せた。映り込みでは分からなかった全体のデザインが提示され、俺は思わず身を乗り出す。
「わぁ! そうですこれです! 見たところ透けにくい生地を使っていますよね? それに共布のくるみボタンだ! 手が込んでますね! エプロンの裾のタックも綺麗に入ってるし、ポケットのレース刺繍……これはもしや元町のレース店のものでは……!?」
そこまでいっぺんに言ってからはたと我に返る。萩原さんは目をぱちくりとさせていた。
「すみません、興奮しすぎました……俺、かわいい服が大好きなんです」
「はは、構いませんよ。この制服をデザインした姉も喜びます」
「なんと、お姉さんはデザイナーさんでしたか」
「そんなに熱意のある理由なら歓迎するしかないですね。サイズ合うか分からないので、採寸が必要そうですが」
「それは……採用ってことですか?」
「はい、よろしくお願いします。一緒にお店を盛り上げていきましょう」
「ありがとうございます!」
勢いよく採用が決まってしまった。数拍の沈黙があり、俺は聞かずにはいられない質問を繰り出していた。
「あの……萩原さんは、女装とかに偏見ないんですね」
「え? ああ、世の中にはいろいろな人が居ますからね」
それはそうだし、俺もそう思う。しかし、年代が上がるほどに
「俺の伴侶、男なんですよ」
「……! そうか、この辺りはパートナーシップ制度が導入されているから……」
「察しがいいですね、その通りです。姉のデザイナー友達も女性を好きな女性だと聞きますし、まぁ俺は出会いに恵まれていたのかもしれないです。お陰で異性装とかにも偏見はないので、鵠沼さんもお気になさらず」
「そうだったんですね……俺こそ、萩原さんが偏見ないタイプの方でよかったです」
俺と萩原さんはお互いにちょっと笑い合う。
「まぁ、そういう訳なので制服は用意しますね。一つだけちょっとお願いがあるんですが、いいですか?」
「なんでしょうか?」
「鵠沼さんは少し声が低いようなので……いえ、声優さんとかだったらそのままの声でいいんですけどね。いい声だし。でも、ここは飲食店で接客業なので、威圧感を与えないように少し明るい声色で接客できますか?」
「努力します。『いらっしゃいませ! 二名様ですか?』……こんな感じのトーンで大丈夫ですかね?」
「そのくらいならOKです。制服ができるころにちょうど締め日が来るので、キリよくそこから勤務でお願いしましょうか」
勤務開始にあたっての説明を受け、俺と萩原さんは席を立つ。
「では、これからよろしくお願いします。せっかくなので店内の様子でも見ていきます?」
「はい、お邪魔でなければ」
俺が言い終わらないうちに腹の虫がきゅーと鳴いて存在を主張した。
「すいませんお腹空いてたんです……お昼ご飯食べて行きます、今日はお客さんとして」
「歓迎しますよ。さ、奥の席へどうぞ。窓際からの眺めがいいのが自慢です」
俺は萩原さんに促された通りに窓際の一番奥の席に座る。程なくして水とメニュー表を持って店員が現れた。萩原さんではない。俺はなんとなしに顔を上げた。
「あれ……!? 聖海ちゃん!?」
「畔? えっと……いらっしゃいませ。偶然だね」
そこに立っていた店員は、俺の憧れるあの制服を身にまとった聖海ちゃんだった。よく似合っている。
「今度からここでバイトすることになって……だから、聖海ちゃんと一緒になる日もあるかも?」
そういえば以前放課後に勉強会をしないかと誘った時、聖海ちゃんはバイトがある日は無理だと言っていた。ここで働いていたのか。
「さっき店長が面接してたのって畔だったんだね。当店へのご来店は初めてですか?」
「はい。店員さんおすすめのメニューはありますか? 俺、いまお腹ペコペコなの」
「ランチセットがお得だよ。ペコペコの人にはハンバーグカレードリアがおすすめ、結構ボリューミーです」
「じゃあそれで! 飲み物はアイスコーヒーで」
「お待ちくださいませ」
聖海ちゃんはニコ、と微笑んでカウンターの方へ戻っていった。普段はもっとクールな印象の佇まいなので、あれは接客モードなのだろう。彼女が俺の先輩になるのか。
なんだかいつも教わってばかりだな、と思いながら待っている間に窓の外の景色を眺めた。目の前の大きな道はドライブコースなのか、車が絶え間なく走っている。確かにここを走ったら風が心地よさそうだ。青い空に青い海、という定型文はよく聞くが、実際眺めてみると海の方がエメラルドブルーの色をしていて水平線がはっきり見える。真夏になれば水面が日差しできらめくことだろう。
食後に店を出て、駅中のショッピングモールでひとしきりウィンドウショッピングを満喫してから帰宅した。
「おかえり畔」
リビングで趣味の裁縫に勤しんでいたらしい閑に迎えられた。
「ただいま。父さんと母さんは?」
「夕飯の買い出しに行ってる。畔はどうだった? 押しかけバイト作戦」
「なんかすごい上手くいって採用になった」
「え? 決まるの早」
驚く閑に顛末を話す。
「ご縁ってあるものだね。念願の女子制服も着られるみたいでよかったよかった」
「ホントにね。あと、聖海ちゃんも同じところでバイトしてるんだって」
「聖海ちゃん……勉強会で教えてくれる、あの聖海ちゃん?」
「そう」
「へぇ……」
「……何?」
「別に。いいんじゃない?」
含みのある言い方だが、突っ込まないことにした。
***
土日が明けて月曜の朝、いつものように勉強会をしようと早めに登校した。今日は眠くて起きられないという閑を無理に引っ張ってくる理由もなかったので、俺は先に一人でやってきて特別教室に入った。
そこには小桃ちゃんが先に到着していた。
「おはよ、小桃ちゃん」
俺が挨拶すると、小桃ちゃんは振り向く。
「おはよ、畔くん。今日は一人なんだなぁって思ってたところだったよ」
「なんで分かったの?」
「この窓から、中庭が見えるから。畔くんが来るところ、見えたんだ」
「なるほどね。閑は眠くて起きられないんだってさ。先に二人で始めてよっか」
「うん……」
俺が着席してノートと問題集を開いても、小桃ちゃんは準備を始める様子がなかった。
「小桃ちゃん?」
「畔くん……最近、聖海ちゃんと仲いいよね?」
「え?」
それほどだろうか? と俺は首を傾げた。小桃ちゃんに見える範囲で俺と一番仲がいいのはさすがに閑だろうし、家族である閑を差し引くならその次に仲がいいのは小桃ちゃんだろう。
「私の方が、聖海ちゃんより先に知り合ったし、私の方が畔くんと仲いいよね?」
たぶんそうだろう。だが、肯定するのも聖海ちゃんに失礼な気がして返答に迷った。そうして黙っていると、小桃ちゃんは続けた。
「私の方が、畔くんのこと好きだよ」
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