第9話「その花が咲くころに、また見に来てもいい?」
まずは彼女を落ち着かせるために、近くの
「わたし……小さい頃からずっと、ロングヘアにしてたんです。周りの人も綺麗な黒髪だねって褒めてくれたので、それが嬉しかったんです」
「うん」
指先で涙を拭う彼女に、俺はハンカチを渡す。
「でも……中学生の頃まで通っていた塾があったんですけど。そこで一緒だった男子に、ふざけ半分で髪を切られて……」
「え!」
ふざけ半分で他人の髪を勝手に切る? 憤りのあまり話を遮ってしまった。俺は話を続けるように促す。
「……それで、切られたところだけ短いのは変だったから……全体の髪の長さを揃えるために切ったんですけど。こんなに短くなってしまって……」
ボブカット自体はかわいい髪型で、その長さがちょうどいい、と考えている人にとっては普通の長さだろう。現に灰ノ宮さんはちょうど同じくらいの長さだし似合っている。しかし、ロングヘアを気に入っていた人が他人の悪ふざけで短くせざるを得なかった、というなら短すぎると感じるのも無理はない。
「それ相手のこと訴えた方がいいよ! 普通に暴行罪だろ!」※状況により諸説あり
「無理ですよ……未成年でしたし」
「法律が許しても俺が許せねぇよ……。俺だってこの自慢のロングヘアを他人に勝手に切られたらブチギレる自信があるわ。ハサミ突き出して『次はお前がこうなる番だな』って言ってやりてぇもん」
「ふふ……そう言えたらよかったですね」
俺としては真剣に怒っていたのだが、彼女は少し笑って見せた。……面白かっただろうか?
「すみません、ここまで名前も知らないまま聞いてもらってしまって。わたしは高等部一年月組の
やはり彼女が涼白さんで合っていたらしい。
「俺は鵠沼畔。同じ高等部一年で、クラスは花組だよ」
「鵠沼……ってことは、鵠沼閑さんの双子のお兄さんですか?」
「あれ、知ってた?」
「風の噂程度ですが。本物と会うのは初めてなので、なんかちょっとした感動ですね。芸能人に会ったときみたいな?」
「いやぁ俺は一般人だよ。モデルにスカウトされたことはあるけど」
「すごい! 引き受けなかったんですか?」
「後ろ姿で女の子だと思って声かけたらしいから」
「もったいないですね」
なんだか和やかな会話に発展してしまい、はっと思い出した。閑と小桃ちゃんを待たせているんだった。俺が居ないからといって勉強に支障はないだろうが、発案者が集まりをほったらかしにするのも良くはない。
「そうだ、これって涼白さんの落とし物?」
俺は花の種が入ったクリアファイルを涼白さんに差し出す。
「あ! そうです、ないなぁって思ってたところだったんです。ありがとうございます……これを届けるために来てくれたんですね」
「今日種まきする予定だったの?」
「はい。これはアスターというお花の種で、初心者でも育てやすい丈夫なお花なんですよ。今種まきすると、夏にはたくさん咲くはずです」
初心者……涼白さんは園芸は初心者なんだろうか? 中高一貫の山手清花だから、中等部の頃から園芸部かもしれない。他の部員は居ないのだろうか? 疑問はいくつか浮かび上がってきたが、そろそろ切り上げないといけない。
「じゃあ、その花が咲くころに、また見に来てもいい?」
「いつでも歓迎しますよ」
俺と涼白さんは、手を振り合って別れた。
特別教室に戻ると、閑と小桃ちゃんが勉強に取り組んでいるところだった。
「遅くなってごめん」
小桃ちゃんははっと顔を上げて笑顔を見せる。
「畔くん! おかえり!」
隣の閑も両手をわきわきさせながら俺を見上げた。
「花の種の持ち主、合ってた?」
「合ってた。ちゃんと渡してきたよ」
「それにしては遅かった」
「……世間話してたんだよ」
言いふらす内容ではないので適当にごまかして着席する。
「小桃ちゃん、なんの教科やってたの?」
「数学だよ。明日までの課題があったから」
「じゃあ俺もそれやろっと」
***
帰り道、俺は閑といつもの通学路を歩きながら話していた。
「それで、ブラウスのボタンが外れている理由は?」
閑はそれに気がついた上で黙っていてくれたらしい。
「実は涼白さんと会ったときに――」
事の顛末をかいつまんで説明する。
「畔らしいやり方」
「褒めてる?」
「自己犠牲の精神はほどほどに」
「はは、心配しなくても俺は無理はしないよ。後でボタン付けしてくれる?」
「……いいけど」
閑は不信の目を俺に向けたが、ため息をついて不問にしてくれた。
「そういえば畔。中間試験が終わったらバイト始めるって言ってなかった?」
「言ってた。俺の希望としてはかわいい制服が着れるところだといいんだけど、なかなかないよなぁ」
「メイド喫茶とか?」
「メイド喫茶で男子は雇えないだろ、そういうコンセプトならまだしも。ネットの求人サイトではあんまりピンとくる店がなくて……普段自分が客として行くような身近すぎる場所も、逆に働きづらいし」
何らかの粗相をやらかしてクビになった場合、客としての来店もできなくなるのは痛い。
「求人サイトに掲載しないお店は案外多い。突撃した方が早いかも」
確かに小規模なお店はそうかもしれない。
「飲食店巡りの旅に付き合う気、ある?」
「ない」
「言うと思った」
俺はスマホを取り出して近隣の地図から飲食店を探す。そのまま歩いていると、誰かとぶつかった。
「あ、すみません――茨咲さん?」
慌てて顔を上げると、俺が往来でぶつかったのはなんと茨咲さんだった。彼女もちょうど下校中だったらしい。
「歩きスマホには注意するべし~。何見てたの?」
「茨咲さんは、普段どうやって飲食店を探してる?」
「飲食店? あたしはインスタとか見てるかな~」
「あ、そっか」
確かにインスタで料理の写真を載せて宣伝しているお店も多い。そこで求人を探すのは盲点だった。
「あとはね~、Twitterでいくつか近所のお店をフォローしておくと、RTやおすすめ欄でいい感じのところが流れてきたりするね~」
「なるほど。的確なアドバイスありがとう」
「お隣は例の妹さん?」
茨咲さんは閑に視線を向ける。
「うん、妹の閑だよ」
「……初めまして」
閑はやや警戒気味に小さく挨拶をする。
「初めまして~、あたしは茨咲音夢だよ。鵠沼も妹居るんだね、あたしも居るよ~」
「そうなんだ? 双子じゃないよね?」
「うん。あ、あたしそろそろ行かなきゃ~。じゃあね~」
茨咲さんはスマホで時間を確認すると、少し歩くスピードを速めて去っていった。
「閑、茨咲さんちょっと苦手?」
「……とっつきづらさはある。いかにも強えー女って感じだから」
「閑にはそう見えてるのか」
「今日廊下で灰ノ宮さんと喧嘩してた人でしょ?」
「知ってたんだ」
「教室の中まで聞こえてきたから」
俺にとっての茨咲さんの第一印象は「寝ている人」だったのでそういう「怖そうだから」といった接しづらさはなかった。確かに起きている時の茨咲さんはバッチリメイクをした目元が強そうな印象を与えるかもしれない。
「こっちが失礼なことしなければ怖い人じゃないよ、多分」
駅まで辿り着くと、改札を通ってホームへ降りる。ちょうど停車中の電車があったので、すんなりと座れた。
頭をこちらに預けてうとうとし始める閑をよそに、俺は茨咲さんのアドバイスに従ってTwitterを操作してみた。確かに近場の飲食店をフォローしてからスクロールで更新すると、知らない飲食店の料理の写真の投稿がいくつか流れてくる。
「あ」
何回か更新をかけてチェックしていくと、とある投稿が目に留まった。それは木製のテーブルの上にクリームソーダをサーブする瞬間をイメージした写真で、ホールスタッフと思しき人の手と制服の一部が写り込んでいた。グリーンのピンストライプのワンピースに白いフリルのエプロン。俺はすぐさまアカウントのプロフィールに飛んで立地を確認する。学校から歩きで行ける範囲だ。次にメディア欄を遡る。いくつかの料理の写真の下に、張り紙を撮影した投稿があった。「スタッフ募集中」……これだ!
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