第48話

 喉のさらに奥──腹の辺りから声が聞こえる。どう、っと身体が地に落ちた。息が苦しくて爪で地をひっかいていた。

『抵抗するな。すぐに済む』

 なんて嫌な気配だ。腹の中で真っ黒な塊が暴れまわっている。ぎゅうと目を瞑ってそこに意識を集中した。はらわたがぐちゃぐちゃかき回されて、腹から喉へせり上がるものを吐き出していた。黒っぽい消化液と唾を撒き散らす。ぐ、っと歯を食い縛る。

「オレの魂は──────」

 瞼の裏に、レイの魂の煌めきを見ていた。

「──────シェアルタ=リオレイティスのものだ。アンタなんかに──アンタ、なんかに! くれてやる訳、ないだろうがあっ!!」

 腹の奥ではじまりのドラゴンの魂がぶるぶるしている。そこへ意識を集中する。

『何を──っ』

 アンタが欲しがってたこの身体の中で消えることができるんだから──

「本望──って、やつ、だろ……」

 かはっ、と、立て続けに二三度、消化液と唾を吐く。消化液で喉の奥がやけてひりついている。げほ、がほっ、と咳き込んで、ごろりと身体を回した。

『やめろ──イリューア、この──身体を……わた……し──────』

 そのまま小さくなれ。もっと──もっとだ。そのまま──

「消えてしまえ。この宇宙から──完全に!! アンタはもう──不要な存在だ」

 腹の辺りがきりきりする。さらにぎりぎりと歯を食い縛って──そして。

「か……はっ──…………はあっ──はぁ──────」

 気持ち悪ぃ。世界がぐらぐら揺れていた。食い縛っていた歯から力が抜けて、口がだらしなく開いたままになっているのが解る。目を開くと世界がぐにゃぐにゃに歪んでいた。なんだこれ。はじまりのドラゴンの魂を呑んだ影響か。

 ──イリューア。イリューア──

 空耳かな。すっげえ遠くからレイの声が聞こえる。

 ──イリューア。……イリューア!!──

 そうだった。オレの魂は──レイの魂と共に。永久に──自らの誓いを思い出し、力を奮い起こす。腕に力を込めて半身を持ち上げる。腰から尻尾のあたりがびりびりしててうまく力が──って、何情けないこと言ってんだオレは。もう一度目を閉じていた。レイはどこにいる? 見つけた──そこか。待ってろ、今──



 それは、不思議な感覚だった。

 イリューアが見ているもの。聞いているもの。感じていること。考えていること。それが全部、あたしがこの目で見て耳で聞いて身体で感じて、そして頭で考えているみたいだった。だから──。

 イリューアの中へ、はじまりのドラゴンの魂が飛び込んで──あたしはその場に膝をついていた。左手の奥がズキズキしている。気持ち悪い。こんなに気持ち悪いの初めてだ。お腹の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられているみたいになって、その場に何度か、胃液を吐いた。口の中も気持ち悪いし喉も痛い。何度か唾を吐いてみたけどなかなか収まらなくて──

「はあっ……はあ──はぁ………………はぁ」

 ──それがどうにか収まったと思ったら今度は、身体がぐらぐら揺れ始めて。

「イリューア。イリューア」

 口の中で小さくその名を繰り返し呟いていた。

「イリューア。……イリューア!!」

 ──オレの魂は──レイの魂と共に、永久に──

 はっきりと届いたその意識に、イリューアの無事を確信する。

 どうにか目を上げると、宮殿が端の方からほろほろと崩れている様子が見えた。はじまりのドラゴンの力の影響を受けて、あの宮殿は形を保てていたんだろうか。あれだけの建物が崩れているんだ、派手派手しい音を立てるのが普通だと思うんだけど、静かにだほろほろと崩れていく姿は、そう、まるで、自身の存在を消していくみたいにも見えた。

 宮殿が崩れているのだから──この「中央」全部もまずいことになるんじゃないの?──さすがにそこまでの影響は──だよね。──たぶん、だけどだな──イリューアとあたしの考えがごっちゃになって軽く混乱する。

「はぁ……まだ、お腹がぐるぐる……」

 ──悪ぃな……巻き添えにして──

「そんなこといいから。戻れよ──ちゃんと」

 ──ああ──

 ぎゅっと目を瞑る。イリューアが見ているものが見える。まだあの部屋を出たばかりで、ふらふらと揺れている感じがするのはイリューア自身の身体が揺れているせいだ。ふらふらだ。急がないと宮殿の崩壊に呑み込まれてしまう。──これでも全力だ──はじまりのドラゴンと言われただけのことは──あるなあ──そんな呑気なことを考えている場合か!?──呑気なことでも考えないとやってらんねぇよ──だからって──あーもうごちゃごちゃうるせえ──うるさいってどういう……!!──はは。うるさいくらいがちょうどいいや。何でもいいから──そのまま喋って──

「イリューア?」

 視界が暗くなってきた。どう、っと身体に衝撃を受ける。

「イリューアっ!!」

 ──だからうるさい──

 左手のズキズキが少し、弱くなってきたように感じる。何だよこれ。両手を胸から離した。足に力を入れて立ち上がる。軽く頭を振って宮殿を見据えた。

「ずっとずっと勝手なことばっかしてきたくせに! 勝手にあたしに魂の結晶なんか埋めて! そのくせその結晶を封じて、あたしの記憶も消えちゃって! アンタのせいで、あたしは──マジでめちゃくちゃな目に遇って! いまだにウユラは無事かどうかも、解んない、し!」

 ぽろり、と勝手に、左の目から涙が流れた。

「だけど──だけど! アンタと過ごした数年──いつの間にか……あたしにとっては、大事な、思い出に、なっ、て──だから、っ、ちゃんと──ここに、戻って──来い」

左目が勝手に泣いてるみたいだった。左手の結晶の影響だろうか。解らない。次から次へと止めどなく、勝手に涙が流れる。右の掌でぐっと乱暴に涙を拭った。

「イリューアあぁぁぁぁあああぁぁっ!!」

 声を限りに叫んでいた。左手のズキズキが強くなる。ふわっと身体が浮いた気がした。左手の芯が仄かに光っているようで──どきどきと鼓動がうるさくて。

 宮殿の真ん中──一番高い部分がもろもろと崩れていく。地に瓦礫が山となって──その中心辺りが、強く白く輝いて。

 ふわっ──白くて丸い光が上空に浮かんでいた。それはその場で左右に揺れて、かと思うとこちらに真っ直ぐ飛んで来る。左手の奥がきゅうきゅう泣いてるみたいだ。光の真ん中にあるのは、間違いない。

散々あたしを振り回し続けたイリューアの、煌めく魂──。

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