第42話
「──────イ……ーアさ……っ!!──」
風の切れ目からロシュアの叫びが聞こえた気がした。ロシュアは何を今。
「まったく。心臓が」
目を開けたら最初に見えたのは薄曇ったような空の色。視線を動かすと真っ白な何かがあたしの胴に巻き付いているのが見てとれた。その真っ白を右手で撫でてみる。ざらりとした感触──ドラゴンの鱗と似てる?
「止まるかと」
声の方へさらに視線を動かした。上下が逆さまの、大きな顔が見えた。真っ白だった。形はロシュアやクルと似ている。ただロシュアやクルとは違って、二本の角の間にもう一本、短くて太い角がある。目は金色。口から見える大きな牙。これはドラゴン、なんだろう、な。──じゃあさっきロシュアはやっぱり──
「……イリュー……あ?」
──イリューア様──そう……叫んだのか。
「痛むところはないか?」
聞かれてふるふると首を振った。
「うし。暴れるなよ、落としちゃうかもだから」
声の主──イリューアはそう言ったかと思うと、その身体を反転させてくわっと大きく口を開けた。見えない何かが迸って、細長いものが頭の下の方へと落ちていくのが見えた。上下は逆さまで視界は揺れまくるので、実際には何がどうなっていたのかをしっかりと見ることはできなかった。しばらくぐらんぐらんと動き回ってようやく、あたしは上下をちゃんとした状態で地上に下ろされた。身体に巻き付いていた細長い白いものがしゅるっと解かれた。目が回っていてそのまま膝と両手を地につけた。動けないままで、しばし。ようやく揺れが収まってきたので、膝立ちのまま手を上げて指を開いたり閉じたりしてみた。ちょっと強ばっているような感じはしたけど、痛みはない。首を回す。腕を回す。立ち上がる。腰を捻る。足踏み。軽くぴょんぴょん跳ねる。痛いところはやっぱりない。どこもかしこもちゃんと動く。ただ左手だけが異常に熱くて、だけどそれが全然不快じゃない。むしろ──。
「──────レイ?」
その声が想像以上にやさしくて、声の方へ顔を向けるのが怖かった。どうしてだろう。俯いたままで握り締めた拳を見下ろす。
「レイ? レイってば。──────シェアルタ=リオレイティス」
反射的に顔を向けていた。大っ嫌いな名前なのに。
思わず息を呑んだ。
身体全部が、きらきら光っているのかと思うほど真っ白で──とても、とてもきれい、だったから。
ドラゴン。そう言われたらきっとそう。
だけどその姿は、あたしが想像していたのとはまるで違った。
胴体がうねうねと長くて──額の後ろ辺りから、そのうねうねと長い胴体、たぶん背中に当たる部分に、たてがみみたいなものがついてる。そのたてがみはわずかに黄色味を帯びていて、光の具合によっては金色にも見えた。長い胴体は次第に細くなっていて、さっきあたしの身体に巻き付いていた白いものは、どうやらその尻尾だったようだ。身体の大きさに比べると、やや大ぶりに逞しく見える腕が二本。脚はないみたい? だから、ロシュアみたいな二足歩行でもなければ、クルみたいな四足歩行でもなくて。
ぷかぷか、宙に、浮いていた。
「どうやって浮いてるの?」
口をついて出ていた。
「第一声がそれかよ」
明らかに呆れた口調でイリューアが返してきて、ちょっと得意気な様子でその場でぐるりと身体をうねらせ回転して見せた。
「オレは特別製なんで」
なんか偉そう。あ。偉いの──か?
「──って、こんなことしてる場合じゃなかった。ロシュア!」
「はっ」
名を呼ばれてロシュアは、恭しく垂れていた頭を上げる。
「さっきのミサイルにやられたところはどうだ?」
「ご心配には及びません。衝撃は強くありましたが、我が羽には何ら影響はなく」
「腕を前へ」
ロシュアは声も上げず、金具に繋がれた両腕をぐっと前に突き出した。イリューアの長い尻尾がしなってそれを叩くと金具が粉々に砕けた。ロシュアは確かめるようにゆっくりと、手を開いて閉じた。
「助かりました」
ロシュアは深々と一礼した。
「うん。顔の覆いはやめておく。衝撃で目を潰すかも」
イリューアはそう言うと真っ直ぐにどこかを見た。間違いない。宮殿のある方角だ。
「クルナルディク奪還。それから──」
金色の目がぎらりと光る。
「──はじまりのドラゴンと面会といこう」
レイを頼む。イリューアの言葉を受けてロシュアがあたしを掴んだ。その直前にあたしは、自分の左手を引き寄せて胸に抱くような格好をしていた。まるで左手をしっかりと護るみたいに。自分の左手なのに、自分の左手じゃないみたい。すごく熱くてそしてぷるぷると小刻みに震えていて、それは何だか、喜びに打ち震えている──、そう、そんな感じがした。
「どうかしたか?」
先に宮殿を目指して飛び始めたイリューアに従うように飛ぶロシュアが、あたしの様子に気がついてそう声をかけてきた。どうかした。確かに、そう、なんだけど。
「何でもない。気にしないで」
自分の身に──左手に起こった現象を知られたくないと感じていた。だって、もったいなくて。──もったいない? 何が? 自分でも自分の思いが理解できなくて戸惑う。
──そりゃあ喜びもする。長らく離れていた魂そのものと邂逅できたんだから──
脳裏にイリューアの意識が直接響いて、それがすん、と心の奥深く、真芯に収まった。
あたしの左手──の奥にある、イリューアの魂の結晶が喜んでるんだ。そっか。そうだったのか。それなら。
──よかった。
そう思った途端にぼぼっと顔が熱くなった。──ふふ、と微かにイリューアが笑った気配が伝わってきて、悔しくて恥ずかしくてなのにはちゃめちゃに嬉しく思えて、あたしはロシュアの指に顔を埋めていた。
「どうした? 具合でも悪いのか?」
心配そうなロシュアにあたしは小さく「ううん」と返して。
「だいじょぶだから。ありがと。イリューアを追って」
やっぱりロシュアの指に顔を埋めたまま、そう返すのが精一杯だった。
クルの炎が灼き払ったあの壁はそのままだった。よく見ると地表に近い一角がでろでろに溶けたみたいになっていて、それはきっとここへ単身戻ったクルが炎で溶かした跡だろう。イリューアは迷う様子もなく、上層、クルが灼いた壁から内部に滑り込んでそしてロシュアもそれに続く。中にいた人たちは十人ほど、ヘルメットに覆われた顔が一斉にこちらを向く。全員が長い棒を構えていた。クルを傷つけた棒と同じやつみたいだ。間を置かず迫りくる人たちを、イリューアの尻尾が左右にうねって事も無げに薙ぎ払う。その場にいた全員が床に伸びたのを確かめてから、ロシュアはそうっとあたしを離す。部屋の様子の変わったところと言えば、あの大きな幕が取り払われていたことくらい。
「誰かおらぬか」
ロシュアが上げた声に応じるものはいない。イリューアはその部屋をぐるりと見渡していた。
「ここへはどうやって?」
「あたしはこの扉の向こう。ロシュアはこっちの壁っぽいところから」
あたしは言いながら扉に近づいた。しゅっと扉が開いてびくっとした。内側にはあの小さな黒い窓みたいなものはついていなかったようだ。イリューアがそこから廊下に顔を出す。大きく口を開けて、かっ、と何かを吐いたみたいだ。空気がびりびりと震えたようだ。
「そりゃあそうだよなあ」
イリューアが呟いて顔を戻そうとして、もう一度廊下の方へ向き直る。
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