第39話
「儂にもそこまでは解りません」
「では、ウユラという少年を拐った理由は?」
「お会いになられたでしょうか、クルナルディクに」
ああ、という重々しい返答を待って、ロシュアは続けた。
「ウユラはクルナルディクにとってとてもだいじな存在です。そしてそのクルナルディクは、我らドラゴンにとっては非常に重要な存在です。イーシンは恐らく、ウユラと行動を共にすることで自身の身の安全の担保になると考えたのでしょう」
「ふむ」
はじまりのドラゴンは黙った。考え込んでいるようにも感じた。幕に隔てられた向こうには果たして、どんなドラゴンが構えているというのだろう。ロシュアと似ているのだろうか。それともクルに?
「そこな娘」
最初、それがあたしを呼んだものとは思わなかった。
「娘」
繰り返されて、意識を声の方に向けた。
「先ほど主は、イリューア、と言ったが、それは何か?」
「イリューアはイリューアだよ」
反射的に口から出た言葉はこれだった。何って聞かれても、だってイリューアはイリューアだ、これ以外に答えようがない。
「……いつから知っている?」
「うんと子どもの頃から」
「主にとって、イリューアとはどのような存在か?」
質問の意図が解らない。どのような? 考えてみたけど何にも思い浮かばなくてただ首を降る。視線に気づいて目を上げると、心配そうなロシュアの目と視線が合った。ロシュアが目で頷いた。ロシュアは幕に視線を向けた。
「──畏れながら。少しこの娘──レイと話すことをお許しいただけないか」
声は答えない。幕の脇に控えた女性が答えた。
「許そう」
ロシュアが軽く頭を下げ、あらためて少しあたしに顔を向けた。
「──レイ。何か気がかりがあるのでは?」
気がかり。そりゃ今の状況で気がかりと言えばクルだ。答えないあたしの気持ちを察したのか、ロシュアが続ける。
「クルナルディクの同席を求めるか?」
「──それができるなら」
ロシュアが目を細める。きっとロシュアは何かを考えていて──だけどそれが解らない。
「お聞きの通りです。クルナルディクの同席を求めます。クルナルディクの無事を確かめれば、この娘も安心して口を開くでしょう」
幕の脇に立つ女性も、幕の裏にいるだろう声の主も応えない。静かに時間だけが流れる。
「それとも──クルナルディクが同席していては都合の悪いことでも?」
「無礼を申すな」
それには女性がすぐに鋭い声で反応した。
「──控えよ。よい」
声が制して、女性は幕に向かって深々と頭を垂れる。
「クルナルディクをここへ」
声が言った。女性は再び頭を垂れるとロシュアが入ってきた右側の壁に歩いた。女性が壁に触れるとその壁は大きく開いて、女性はその奥に消えた。大きな壁が閉じる。ロシュアを見上げると、ロシュアもまたその壁を見ていた。
「ロシュア、怪我とかしてない?」
「問題ない。なぜかようなことを聞く?」
「何故って。手を繋がれているし、その、口の覆いも」
「レイが心配するほどのことはない」
ロシュアの言葉に安心した。
「ウユラがどこにいるのかは解る?」
「通信を試みたが圏外だった」
「……そっか」
それ以上の言葉は出ない。黙って壁の様子を見ていた。左手に違和感があって意識を向けると、左手はあたしの意思とは全く関係なく動いていた。ロシュアに向かって真っ直ぐに掌を向けるような形になって、戸惑ってあたしはロシュアを見上げた。ロシュアは驚いたような目をしてあたしを見ていた。
「何をしている」
重々しい声にびくっとした。何か変だ。でも何が変なんだろう。解らない。でも何か言い訳をしないと。考えを巡らせた。
「ロシュアが本当に怪我とかしてないか、確かめても?」
「レイ!」
ロシュアが小さく、あたしを制するような声を上げる。左手が、まるで見えない誰かの手に引っ張られているみたいだった。声の返事を待たずにあたしは一歩、ロシュアに近づいていた。もう一歩。視線のすぐ先にロシュアの尻尾がある。あと一歩でそれに触れる──と思ったところで、ロシュアの尻尾の方があたしの左手に向かって延びてきて、あたしの左手に触れた。
「………………」
──妙だな?──
イリューアの意識があたしの意識に溶けてきた。ロシュアの尻尾が震えた気がして目を上げたら、ロシュアの目がぎらりと光った。
「もうよいであろう」
重々しい声にはっとして左手を引いた。実際にあたしがロシュアに触れていた時間はほんの僅かだったに違いない。でもその僅かの間に、あたしの左手──いや、イリューアの魂の結晶は間違いなく何かをした。それを証拠にロシュアの瞳が、さっきまではとは全然違う強い光に満ちている。まるでそこから力が零れて落ちてきそう。
「クルナルディクの到着を待とう」
ロシュアが言って、あたしは頷いた。あの女性が消えた壁に変化はない。本当にクルをここに連れてくるのか、疑いかけたところで壁が開いた。
「クル!」
クルは迷わずあたしに駆け寄ってきた。クルの頭にしがみついた。
「──大丈夫だった?」
「見て解るでしょ、全然平気」
「控えなさい」
鋭い声にあたしはクルから離れた。あの女性はゆったりとした足取りで幕の横まで歩く。
「見ての通りクルナルディクには危害を加えておりません。話を続けましょう」
女性が言うとすかさずクルが言った。
「話じゃなくて尋問でしょ? いくら尋問したって、あなたたちが満足するような答えを、この子は持ってないよ?」
女性が目を瞠る。
「控えなさいクルナルディク」
クルは強い目で女性を睨み付ける。
「やだね。レイとロシュアが一緒ならもう、悩むことなんてない」
クルはそのまま素早い動きで身体を躍らせると、ロシュアの向こう側に位置を取ってすかさず炎を吐いた。眩しいと思うまもなくロシュアが拡げた羽に遮られた。あたしを庇うためにそうしてくれたんだろう。
「レイ!」
クルが呼ぶ声に目を上げた。ロシュアの拘束されたままの両腕が延びてきて、あたしの身体はロシュアの手に掴まれた。
「行ってロシュア!!」
クルが叫ぶよりも早く、ロシュアは宙に飛び出したようだ。眼下にはただただ大地が広がっていた。ところどころに建物のようなものが見える。
「クル! クルは?!」
クルの姿が見えなくて叫ぶと、同じようにクルの叫びが応じてくれた。
「ロシュアの背中。しがみついてるのも限界があるから、ちょっとどっかに降りてロシュア!!」
ロシュアは応えない。代わりに少しずつ低いところへ向かっているのが解った。大地が近づいてくるように見える。やがてロシュアは大地に降り立ち、あたしはその手から解放された。ロシュアの背から飛び下りたらしいクルに駆け寄ると抱きついた。
「全く、無茶を」
「文句ならあとでイリューア様に言って」
あの短い間に、イリューアとクル、ロシュアの間で、どんなやりとりがあったのか、あたしだけが把握できてなくて悔しいような気がした。どっちから飛んできたんだろう。クルに抱きついたまま辺りを見回してみたけど、まったく解らない。
それからあたしたちは、どうにかロシュアの口の覆いをはずせないか奮闘したけど無理だった。手首を繋ぐ金具もどうにもできない。
「ロシュアの腕ごと灼けばどうにかなるけど」
クルは物騒なことを言った。
「今のところはこのままで問題ない」
ロシュアが応じて、それより、と口を開く。
「クルナルディクよ、はじまりのドラゴンとは面会したか?」
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