第38話

『──そう大声を出さずとも聞こえている』

 モニターが付いて、だけどそこには誰の姿も映っていない。あたしはぱっとモニターに駆け寄った。

「クルをどうしたのっ!?」

 同じ問いを繰り返す。

『かのドラゴンは、今や稀少な人語を解する雄ドラゴン。はじまりのドラゴンにその処遇を諮ることとなった。そこにはもういない』

「無事なんでしょうね……?」

 自分でも怖いくらいに低い声だった。

『我らはそれには関与しない。すべてははじまりのドラゴンのご意向のままに』

 そこでふつっとモニターが消えた。

「えっ──、ちょっ、まだ話は終わってない!!」

 右の拳で思い切り壁を殴っていた。どうしてこうなった? っていうかもしかして、最初からロシュアとクルを捕まえることだけが目的だったのだとしたら? ここでおとなしくしてればいいの? あたし、どうしたらいい? ずるずるとその場に崩れ落ちる。床に握り拳を叩きつけながら──

「ねえもう解んないよ。どうしたらいい? ここでおとなしくしてればいいってこと? それでそのあとどうなるの? ロシュアは──クルは? ねえ──どうしたらいいの? 聞こえてるなら返事してよ──────イリューア」

 床にぱたぱたと涙が落ちる。鼻水も出てきた。ぐず、っとすすり上げて、両方の拳を床に叩きつける。

「聞こえてるんでしょどうにかしろイリューアのばかあぁっ!!」

 喉の奥から声が迸っていた。イリューアのことは黙ってろとかバレたらまずいかもしれないとかそういうことはどこかに吹っ飛んでいた。あれもこれも。何もかも。イリューアの勝手で我儘でこっちは振り回されてるだけで。イリューアの気持ちも考えも解らなくはないしできることなら協力したい──見届けたいと思ったけどもう無理!! そのままあたしは床に踞って、ぶつぶつと口の中でイリューアに対する恨み言を繰り返していた。

『──────今、なんと言った?』

 声が聞こえた。

『なんと言ったと聞いている』

 あたしに聞いてるのか。答える義理なんてない。無視した。

『答えよ』

 なんでこんなことで命令されなくちゃならないんだ。答えてなんてやるもんか。やけくそだったし意地にもなってた。これであたしが死んじゃったら──ウユラ、ごめん。

『どうあっても答えぬと言うか』

 もうめんどくさい。ほっとけ。

『答えねば命はないぞ』

「──好きにすればいい」

 声は黙る。あたしも黙る。どれくらい黙っていたのか、あたしは踞ったままで言った。

「殺すなら早く殺して。こんな狭いところに閉じ込められてどうにかなりそう」

 声は答えない。その代わり。

「立ちなさい。詳しい話を聞かせてほしいそうだ」

 頭上から聞こえた声の感じから、あたしのすぐ横に誰かがいるんだと感じた。部屋に誰かが入ってきた気配なんてしなかったのに、いつの間に。横目に見たらブーツが見えた。あたしをここに連れてきた人たちが履いていたのと同じもの。それでも動かずにいると腕を捕まれた。

「立ちなさい」

 強引というほどではなかった。けどこれ以上無視したらほんとに殺されちゃうかもしれない。少し怖くなって引っ張られるままに立ち上がる。あらためて部屋に入ってきた人を見た。ヘルメットを被っていて容貌はやっぱり解らない。腕を引くとそのひとはあっさり、あたしの腕を掴んでいた手を離してくれた。

「こちらの要求に従えば、危害は加えない。こちらへ」

 その人が歩き始める。躊躇っているとちらっと振り返った。

「──こちらへ」

 空唾を呑み込んで着いていくことに決めた。ここに来たときとは違うエレベータに乗ったように思う。ボタンの数が違う。エレベータのドアの上部に横に並んだ数字を見ていた。「80」ってどういうことだろう。考えているうちにドアが開いた。廊下──だろうか。細長い通路のようなものが真っ直ぐに延びている。通路の幅は、大人のニンゲンがふたり並んで歩けるくらい。天井はあたしの背の倍くらいの高さ。通路の壁と天井の隙間から光が漏れていた。歩くには困らないくらいの明るさはある。

「降りなさい」

 静かに促されて、あたしが先に降りた。

「そのまま奥へ。ドアがあります」

 そのひとはあたしが逃げ出したりしないよう、後ろからついてくるみたいだ。あたしが歩く足音しか聞こえないような気がして振り向くと、そのひとはあたしから三歩くらいの間を空けて着いてきていた。長い通路の先にドアが見えた。立ち止まる。そのひとはあたしの隣に立つと、ドアの横にある、手のひらよりも小さい黒っぽい窓みたいなところに、自分の右手首を当てた。目の前のドアは真ん中から左右に分かれた。

 広くて大きな、円形の床の部屋だった。

 ロシュアくらいのドラゴンがまとめて五、六体は入れそうだ。部屋の一番奥に、やっぱり大きな幕みたいなものが垂れ下がっていて、その奥の様子は解らない。あたしは入り口に佇んでいた。入ったらもう──出られないのでは。そんな思いが頭を過る。

「入りなさい」

 促された。入るしかない。意を決して、それでも一歩入っただけでそれ以上奥に進む気にはなれなかった。緊張していた。小さく息を吸ったところで、右側の壁が大きく開いて。

「──ロシュア!」

 ロシュアが部屋に入ってきた。両方の手首──という言い方が正しいのかは解らないけど──が見たことのない金具でくっつくように繋がれていて、大きな口はさらに大きな覆いをされていた。ロシュアはあたしを認めると一瞬大きく目を見開いて、それからすぐに目を伏せた。

「──すまぬ」

 何を謝ったんだろう。理由を聞こうとして思いとどまり、代わりにあたしは首を振った。

「クルは?」

「一緒ではないのか?」

「うん」

「静かにしなさい」

 そこで別の声が割って入った。声の方に目を向けると、いつの間にか、大きな幕の脇に誰かが立っていた。真っ白な髪が肩に垂れている。肌は浅黒い。そこだけを見るならイーシンと似ていた。黒っぽい布みたいなもので全身を覆っていたので、体格までははっきり解らない。顔立ちから女性だと思った。

「クルナルディクは別の部屋で休んでいます。危害は加えていませんのでどうぞご安心を」

 よく通る声でそのひとは言って、あたしを見て、微笑んだ──ように見えた。

「はじまりのドラゴンがお話をされます。今少し前へどうぞ。ロシュア、あなたも」

 ロシュアがそのひとの言葉に従ったのであたしも従った。あらためてロシュアの様子を伺う。口が覆われていて苦しそうに見えるけど、そう見えるだけかもしれない。両手が金具で繋がれているのも痛々しかった。ロシュアは真っ直ぐに幕の方へ顔を向けていて、きっとあの向こうにはじまりのドラゴンがいるのだろう。

「──ご苦労。なぜ拘束されているのか──理由は解っているな、ロシュア?」

 重々しい声が響いた。ロシュアが頭を垂れる。

「主の報告は上がっている。イーシンがウユラという少年を拐い、子機で出奔した──というのはまことか? 私には俄には信じがたい。あのイーシンが」

「儂にも解らぬのです。イーシンの目的が何なのか。──かようなことは、そのお耳に入れるべきではないかとも考えたのですが、畏れながら、口にすることをお許しをいただきたく」

 ロシュアはさらに頭を下げる。

「──申してみよ」

「イーシンはここ数か月のこと、変異の修正に疑問を抱いていたようです」

「──────それは私の意向に反するということか?」

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