第36話

「さっきの──。痛い?」

「少しね。でも大丈夫。レイが守ってくれたから」

ちょっと照れる。水平方向に世界が揺れたと思ったら、どうやらそれが動き出したようだ。ふたりの姿は見えない。

「これは荷台で、あいつらが乗ってるのはこれを動かすための操舵室なんじゃないかと思う」

 クルが説明してくれたけど、うまくイメージできなかった。乗る前にちゃんと観察できなかったし。

「……ねえ、レイ」

「──なに?」

「これからどこに連れていかれるのか──どうなるのか解んないけど、レイは、知ってること、しゃべった方がいい、気がする」

「どうして?」

「レイはニンゲンだから。死にたくないでしょ?」

 背筋がまたぞわぞわする。

「死ぬとか──、大袈裟じゃない?」

「さっきの見てたでしょ? 僕の背中にカラル石なんか押し付けてきてさ。もしあのひとが止めてくれてなかったら、レイだって殴られてたに違いない。ニンゲンは僕らほど頑丈じゃないからね。ウユラのいない間にレイになにかあったら、僕はウユラに申し訳が立たない」

 クルは本当にウユラが大事なんだね。ひそひそ声のクルに、同じようにひそひそ声で返す。

「ウユラが大事なのはレイだって同じでしょ?」

 クルは少しだけあきれたような調子で言った。

「とにかく、いい? 自分の命を一番に考えて」

 クルの言いたいことは理解できた。クルの言葉に従うべきだってことも。だけど──あたしだけ助かるようなことをしたところで、その先どうなる?

「ねえレイ、聞いてる?」

 形だけでも、解ったと返すべきなんだろうか。でも。クルの額に左手を伸ばす。

「クルの気持ちは解った。だけどさ──そうやって知らぬ存ぜぬを通して助かったとして──クルがいないんじゃ、何の意味もないんだけど? ウユラの答えもきっと同じだよ」

 クルは黙り込んだ。左手がその額に触れていた。ゆっくりと撫でる。

「あたしにはなんにもできない。だからせめて──クルと一緒にいる。何があっても」

「──解った」

 クルの答えが力強くてうれしかった。クルを抱き締める。この状況を打開できるのは間違いなくイリューアだけだ。そもそもイリューアの意向にそってあたしたちは動いた。だから。

 早く来い、イリューア。



 カートはひたすらに移動を続けていた。専用ポートを出た先に広がっていたのは、これまで見てきたどのコロニーとも様子が違った。目で見える範囲には建物らしき影は見当たらず、ただ平らな道が延々と続いているようだった。空は──空、という言い方が正しいのかは別にして──灰色っぽいくすんだ空色で、見ているだけで気持ちが塞ぐような感じがした。世界はやっぱりくらくら揺れているけれど、息が苦しいような喉が詰まるような感覚は消えていて、深呼吸をしてみた。知らない匂いがする。嫌いではないけど、好きになれそうにはなかった。

「……喉乾いた。飲み物、持ってくればよかった」

 口に出したらいっそう喉が乾いた感じがした。

「クルは大丈夫? お腹減ってない?」

「減ったと言えば減ったかも」

 背中からクルの返事が聞こえる。勝手におなかがぐう、と鳴る。

 ずっとずうっと、緊張が続いていた。それが今こうして緩んでいるのは──スタアシップから強引にでも連れ出されたことで、ある種の閉塞感から解放されたからかもしれない──なんてことを、考えていた。

「……ナナクの実」

 クルが呟く。

「あれ好きだったんだよなあ。ほんのり甘くて。他のコロニーにもあるのかな。あるとしたら同じ名前かな、違う名前かな」

「どうだろう。もし違う名前だったら、あたしには見分ける自信、ないかも」

「僕は見分けられる自信があるよ。見分けるっていうか──嗅ぎ分ける? きっと匂いで解る!」

 クルがかわいいことを言うから、思わずくすくす笑っていた。あたしたちの置かれている状況は間違いなく悪化しているに違いないのに、こうしてクルをおしゃべりをして、そして笑えるなんて。けっこう、図太いじゃん、クルもあたしも。それにしても、空が、広い。こんなに広い空なら、どこまででも飛んでいけそうな気がした。

「あたしが空を飛べたらなあ」

 クルが笑った気がした。

「そこ、笑うとこ?」

「空を飛べたら──なんて、僕が考えるならまだしも、ニンゲンであるレイが考えるなんて」

「だって」

 その先にイリューアの名前を続けそうになって自重した。クルには伝わったらしい。

「──────やっぱやめとこ、誰かに聞かれてる可能性もゼロじゃないし」

 しばらくの沈黙のあとで、クルは小さくそう言った。それきりあたしも口を噤んだ。カートは速度を変える様子もなく、ただひたすらにどこかに向かっていた。



「降りなさい」

 いつの間にかカートは動きを止めていた。見える範囲を見渡してみると、最初のポートみたいに金属っぽい壁に仕切られていた。身体を起こす。目眩はしたけど、どうにか動けそうな気がした。とにかく喉が乾いていた。ちらっとクルに視線を落とすと、クルはのそのそとカートから降りたところだった。黙ってクルに続く。

「こちらへ」

 口調から、おそらくタブレットを持っていた方が先導してくれているのは解った。エレベータに乗せられ下の階へ。エレベータのドアが開いた先には薄暗い廊下と、複数のドアが見えた。そのうちのひとつが静かにすうっと横に開いた。

「呼び出しがあるまでここにいるように」

 部屋に入ったクルに続こうとしたら止められた。

「君はそちらではない」

「一緒にいたらダメですか?」

「ニンゲンをドラゴン用の部屋に入れる訳にはいかぬのでな」

 結局あたしは、クルが入れられた部屋から三つ隣に離れた部屋に入れられた。部屋には簡易ベッド、仕切りの裏にトイレと小さな洗面台があった。これはあれだ、所謂『監獄』ってやつだ。タブレットで見た。

「あの──喉が乾いたんだけど、飲み物を貰えませんか?」

 そのひとは振り返りもせずに冷たい声で言った。

「あとで食事を持たせる」

 開いたときと同じように音もなくドアは閉まって、仕方なくあたしは簡易ベッドに腰を下ろした。スリープポッドのふかふかに慣れた身体には堪えそうな固さだ。これじゃあクルと話もできないじゃん。ぽてっと横に倒れて、左手を顔の前に持ってこようとしたところで。

「ねえこれってー、どっかから監視とかしてる感じ?」

 クルの大きな独り言が聞こえた。もちろんクルの問いに答える声はない。たぶんクルは、あたしに聞かせるためにわざと大声を出した。左手を見るな。話しかけるな──どこかから誰かが、監視してるかもしれないから。クルはあたしにそう伝えようとしたんだろう。自分の浅はかさに腹が立つ。左手をそのままにベッドにごろんと転がって、注意深く部屋の中を観察してみた。トイレを隠すための仕切りの側に、小さいけれどモニターがくっついているのが見えた。立ち上がってモニターを覗き込む。モニターの回りにボタンらしきものは一切見当たらないので、こちらから向こうを呼び出すことはできないようだ。ドラゴン用の部屋はどうなっているんだろう? っていうかもしかしたら今のクルが本気出せば、この監獄の壁やドアくらいなら灼き払えるのかな。いい方法ではないだろうけど、いよいよの時にはクルならそういう決断もありって考えそうだ。ロシュアが中央に面会に行ってから、どれくらいの時間がたったのかも解らないし、イリューアの動向もさっぱり不明だし、それ以上にイーシンとウユラがどうしているのかも解んないしで、完全に行き詰まっていた。

「お腹減ったー!!」

 またしてもクルが大声を出す。思わず笑っていた。

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