第34話
「まだしんどい?」
答えようとすると、こふこふ、っと咳き込んでしまう。あたしが落ち着くのをクルは待ってくれた。
「──ずっと──揺れてるから、しんどい。けど……、なんだろ、苦しい、って、感じは、なくなった……っぽい」
声はガラガラだった。さっき拾った飲料のボトルの蓋を開けようと、何度も試してみてはいるけど、まだ思うように手に力が入らなくて諦めた。クルにもロシュアにもこれを開けるのは難しいだろう。
「ロシュアは中央の指示通に従ってもらうことにして──僕とレイはどうしようね? さっき──っていってもかなり経つけど、僕がイリューア様のお力を借りてトラップを吹き飛ばしちゃったことで、おおよそ、こっちの状況も把握されたんじゃないかなって思うし、だとしたら、それほどの無茶はやってこないようにも思うけど、楽観的過ぎる、かなあ」
クルの言葉にロシュアはすぐには答えなかった。たっぷりの間を置いてロシュアがようやく口を開いた。
「ここまで来ればもう──イリューア様を待つのみ。もしはじまりのドラゴンが自ら、イリューア様を亡きものにしようと目論んでいるのだとしても──、そう簡単に事は運ぶまい。イリューア様が本来のお力を取り戻した今となっては」
「……イリューア、って……、そんなに、すごい──の?」
ロシュアが大きく頷く。
「イリューア様は希望だ。あの頃から今も変わらず」
微妙に答えになっていないような気もするけど、希望と言われるだけの力があるのだと思えば、納得はできた。それにしても。
「………………だる。目が──回………………」
どうしてこんなにぐるぐるしてるんだろう。身体を起こしているのがしんどくなって、あたしはぽてっとダイニングの床に転がった。目を閉じているのに世界がぐるぐる回り続けていて、吐き気もしてきた。せめてこのぐるぐるさえ止まってくれたら。
「クッションかなにか持ってくる」
クルがダイニングを出ていく気配。助かる。
「イリューア様がお力を発揮していることで、何らかの影響を受けておるのだろう。慣れるまでの辛抱だ」
慣れるの? これに?? ほんとに??? でもそう信じるしかなさそうだ。イリューアがこっちに向かっているというのは心強い。けど、ウユラはちゃんと無事なんだろうか。無事だからこそ何も言わないだけなのかもだけど、そこはもうちょい気を遣ってくれてもいいと思うイリューアのばか。
──ばかで悪かったな。ウユラは無事だ、もちろんイーシンも。安心しろ──
頭の中で声が響いた。びくっとした。イリューアが喋ってるってことにいまひとつピンと来ないのは、声が全然違うから。
ねえ。ほんとに──イリューア、なの?
──は? オレじゃなきゃ誰だって言うんだよ?──
だって声が違うし。
──ああ──、それは慣れろとしか言えないな──
イリューアが笑う気配。
──オマエと喋ってると落ち着く──
不覚にもどきっとしてしまった。だってその声。
──いい声だろ?──
くっ。その通りだから何も言い返せない。
──ずっとこうして喋ってたいけど、悪い、移動に集中させてくれ。ギア上げるんで──
ぐるん、と一際大きく世界が回った気がした。
──オレがそっちに着いたら落ち着くはずだから。もうちょいがんばれー──
気楽な調子の声が響いて、静かになる。
「クッション運んできたよ?」
クルだ。どうにか目を開けてクッションを抱き寄せた。
「もっと持ってくるね」
ありがとう、そう言ったつもりだけど声にならなかったかもしれない。
クルは思い当たる限りのクッションをすべて、あたしのところに運んでくれた。クッションの調子を整えて、どうにか身体を起こしていられないか試したけど無理だった。結局あたしはダイニングの床にクッションに埋もれて横たわっていた。たしかファーストエイドキットの中に酔い止めのシロップがあったように思うのだけど、そのファーストエイドキットが置いてある棚まで動ける気がしない。一瞬意識が飛んだみたいになって、どうやらあたしは少し眠ったか失神していたみたい。目を上げて息をつく。世界がぐらぐら揺れていることには違いはないんだけど、身体を起こしてもそれほどのしんどさを感じなくなっていた。転がっていた飲料のボトルに手を伸ばして栓を捻ってみた。開いた。よかった。二口ほど飲んだ。
「時間に遅れたらまたうるさいことを言われるだろうから、早めに出る。儂の不在の間、何があっても絶対にロックを解除しないようにとレイに伝えてくれ」
ロシュアの声が聞こえた。
「もう──そんな、時間?」
さっきまでよりもちゃんとした声が出た。どうやらあたしが眠っているか失神している間に、スタアシップは本国に到着していたらしい。クルとロシュアがあたしを見た。
「少しはよさそうだな」
「──うん。ほんとに、ちょっと……慣れてきた、みたい」
「よかった。レイが動けなかったら万が一の時に逃げられないもんね」
「その万が一、が、怒らなければよいが。──では儂はそろそろ出よう」
「──気を付けて」
ロシュアがダイニングを離れた。そう言えばあたし、スタアシップがどこに到着したのかもよく知らないけど、ここはどこなんだろう。
「本国──ライゼンダールのスタアシップ専用ポート、だって」
専用ポート。首を伸ばして窓から外の様子を伺った。薄暗くてよく解らなかった。
「ロシュアが言うには──物々しい感じ、だそうだよ。他にも帰国命令を受けて戻ってきているスタアシップがたくさんあるって。そのうちいくつかと通信してたけど、帰国命令が出た理由を知らされている者はいないようだ、って」
理由も知らせずに命令に従わせることができるってことは、怖いように思う。りんりんりん、と小さく、鈴みたいな音が鳴って続けて誰かの声が聞こえてきた。
『イーシン? ロシュア? いないのか?』
親しげにふたりの名前を呼んでいるあたり、仲間とかそういう感じなんだろう。もし仮にどこかから通信が入ったとしても、絶対に応答するな、とロシュアに言われていた。向こうは繰り返して何度もロシュアとイーシンを呼んで、しばらく応答を待っていた。
『……まいったな』
ほんとうに困ったような声音のその言葉を最後に、通信が切れたようだ。
「誰かは解んないけど、すごく困ったような声だったね」
「うん」
応えたクルがあたしの側に寄ってくれた。あたしはクルの身体にもたれ掛かった。もう一度飲料を飲む。
「あんまりひどいことになってなくて、よかった」
「うん」
静かすぎて怖い。
「なにか食べられそう?」
そう言われたらお腹が減っているような気がしなくもない。ふらつく頭ではとても立ち上がることができなくて、這いつくばって食料を保管している棚まで進んだ。ダイニングにいてよかった。棚にすがるようにして立ち上がる。パンに近いものを探す。ショートブレッドが見つかった。ナッツの缶も。
「クルも食べる?」
ナッツの缶を示すとクルがうん、と返事をした。すぐ隣にあるクーラーから新しい飲料のボトルを二本、取り出した。さっきまで横になっていたところまで戻ろうかとも思ったけどだるかった。クルがあたしを気遣って、クッションを二つほど咥えてついてきてくれていた。
「ありがと」
クッションを宛がって、棚に背を預けるようにして座る。狭いけどクルも側に寄ってくれた。さっき見つけたナッツの缶を開けて、クルにも食べやすいように中身を床に出した。あたしはクーラーから出したばかりの冷たい飲料を飲んで、ショートブレッドを齧る。半分ほど食べて、眠いような気がして目を閉じた。
「……ごめん、クル。ちょっと寝ても大丈夫、かな?」
「どうかな。まあ大丈夫じゃなかったら叩き起こすよ」
クルの言い方にちょっと笑って返す。目を閉じてるくせに世界のゆらゆらは収まらず、これは何がどうなったら収まるんだろう、なんてことをぼんやり思う。
イリューアの返事はなかった。
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