第33話

「………………えっ?」

 ──クル? どうかした? クルが誰かと喋っているのは解るんだけど、その相手が解らない。ていうかこの状況でクルとやり取りができる相手なんて、たったひとり──ひとり?──しか思い当たらないけど。

「──解ったよ、やってみる。けど──あのときみたいに、ならない?」

 クルの問いに、微かに笑うような気配がして。

「……だね。キンキュージタイ、ってやつだもんね。信じるからね!!」

 左手全体に触れているのは、クルの頭っぽい感じがする。こふこふっ、と、小さい咳がまた出た。目は開けられず、やっぱり世界がぐるんぐるんし続けている。全身にこびりつくような、ねっとりした熱さとはまた別な熱を、左の掌の真ん中に感じた。それは全身を覆う熱とは種類が違うみたいだ。どうなってるあたしの身体。まるで意味が解らない。

「きぃやああおおおおおおおおぉぉぉぉぉぅぅぅぅぅぅぅううううぅ!!」

 クルが叫んで、直後あたしは強い風になぶられていた。それがクルの呼気だってことはすぐに解った。クルはナッツが好きだから、その呼気はほんのり、ナッツと同じ匂いがするんだ。クルの呼気がやんでしばらくすると、全身を覆っていたはずの熱が、首筋から剥がれて消えていった。まるで「ぺろり」と音を立てて幕が剥がれたんじゃないかと思うくらい。とはいえ、まだ世界はぐるんぐるんしているようにも感じるし、喉の奥の違和感も消えてない。そうっと目を開けてみた。こふっ、と咳き込んで一瞬視界が揺れたけど、灯りが視野に入って眩しくて、また瞼を閉じた。呼吸はかなり楽になっていた。

「クル──クル?」

 しゃがれた声で何度か呼んでみたけど、返事はない。こふっ、とまた咳が出て。そこで。

「──いったい──何が──」

 ロシュアの戸惑ったような声が聞こえた。

「レイ?!」

 ロシュアの声はあわあわしているように聞こえる。あれもしかして、ロシュアはクルがあたしを部屋から連れ出してそして助けようとしてくれていたことには気づいていなかったのか?

「何があった? どうしてこんなところで」

 ロシュアの指にすがるようにして半身を起こした。足元に転がっている飲料のボトルが目に入って、拾い上げて栓を開けようとしたけど、力が入らなくて無理だった。

「本国到着予定まで一時間を切った。さっき確認した時は六時間ほど残っていたと記憶しているが──」

 あたしの記憶では十一時間くらいだったような。時間が飛び飛びになってる。

「クルナルディク──いったい何が」

 身体が倒れないように両手を床について、大きく息をつく。あたしが聞くより先にロシュアはクルに呼び掛けていた。クルの返事がない。もう一度深く息を吸って、少し視線を上げたところで、ロシュアの大きな身体と、クルが身体を起こしてぷるぷると首を降っている姿が見えた。

「ああ──ロシュア。大丈夫だった? レイは?」

 クルはどうやらロシュアとあたしの身を案じてくれているみたい。

「っていうかもう本国に着いちゃうじゃん。ロシュアはすぐ中央に顔を出さなくちゃなんでしょ?」

「昨夜まではその予定で調整をしていたが、急遽変更となった。標準時間十一時までは待機するようにと。到着時間は標準時間に換算すると七時過ぎになるから、かなり待たねばならぬな」

「そっか、時間に余裕がありそうなのはよかった。僕はレイとスタアシップで待機してればいいのかな?」

「どちらかと言えば──という判断ではあるが、それがよいかと考えている。イーシンがいればもう少し柔軟な対応ができただろうが、それも仕方あるまい」

 クルは「解った」と返事をして、そのままのしのしとあたしに近寄ってきた。あたしは腕を伸ばすとクルにしがみついた。

「まだ熱く感じるけど、当面の危機は去った──って感じかな」

 クルの呟きに、そうらしいな、と聞き覚えのない声が応じた。

「どうやらロシュアがまだ状況を把握できてないみたいだから、説明しておいた方がいいと思うんだけど」

 ──そうしてもらえるとありがたい。チョートッキューで本国を目指してはいるけど、さすがにここからじゃ、まだまだ時間がかかりそう──

 クルに返事をしている誰か──というかこれはもうイリューアしかいないんだけど、ここまではっきりイリューアの意思が感じ取れるのは初めてなので戸惑っていた。クルの落ち着いた様子から、クル自身はおおよその状況なんかは把握しているみたいなんだけど。

「レイ、僕の頭に左手を乗っけて」

 クルの首根っこから身体を離すと、言われたままに左手をクルの頭に乗せた。目の奥──頭の真ん中辺りで、きりきりちかちかしている感じがして、左の掌を中心に熱が広がって、全身がかっかと熱くなってくる。

「なにか感じる? 言われた通り、光の矢? で追っ払ってみた。たぶんそのせいで、ロシュアも僕もしばらく動けなかった訳だけど」

 ──上出来。助かった。オレが反撃したことで仕掛けた相手も驚いただろうし、しばらく様子見してくることを祈ろう──

「できればもう二度とやりたくないんだけど?」

 ──まーまーそう言うなって、もしものときはクルナルディク、オマエが頼りなんだから──

「どうしてロシュアじゃないのさ?」

 ──ロシュアには扱えないからだと、昨夜も言っただろ? オマエみたいな上位のドラゴンが今の時代に生まれるなんてな。せめてオレと同時代に生まれてくれればよかったものを──

「なにそれ煽ててるの? 僕にはそんなの通用しないんだからね」

 ──あーはいはい。解ったから、とにかく、だ。オレが行くまでレイを頼んだ──

「言われなくても!」

 それ──イリューアの意識が笑う気配がして、そのままやりとりは途切れた。

「ありがと。もう離して大丈夫」

 クルに言われるままに、その頭から左手を離す。

「いつの間に?」

「昨夜。レイの身体が急に熱くなったのは──イリューア様の魂が本体に戻って、本来のお力を取り戻したから──みたい」

 クルの言葉にロシュアがおお、と声を上げる。

「で。それがきっかけになって、レイに埋め込まれた結晶から発せられる力が強くなったことと──本国との物理的な距離が近づいたこともあって、間を空けずに検知されて、何らかのトラップが発動したんじゃなかろうか──って」

「なるほど、そういうことか──だが儂には、特に違いは感じられなかったが……」

 どこか残念そうに呟いたロシュアに、クルが言う。

「僕だってそうだよ。レイの左手に触れて初めて、って感じだった」

「儂には──クルナルディクのようにはできぬのだろうな?」

「イリューア様が言うには、ね。直接力を分けることができれば、みたいなことは言ってたけど」

 言い終えるとクルはあたしを見上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る