第32話
「緊急連絡とは何事です?」
ロシュアの声は固い。
『その船に搭載していたはずの緊急ポッドが活動区域外で発見された。何の報告も受けていないが?』
きつい口調で問われて、ロシュアは黙り込んだ。想定している問答集のどれがもっとも「正解」に近いか、考えているんだろう。
「……報告が遅れすまなかった。こちらで如何様に対処すべきか検討中だった」
『検討中?』
「どうやら緊急ポッドのプログラムのバグのようだったのでな。救難信号は発してはおらぬだろう?」
ロシュアが選んだ答えを告げる。
『バグ?』
「儂らが操作もしていないのに勝手に射出されたのだから、そうとしか考えられぬだろう。デバックを試みてはいるが、この船のコンピュータのみでは思うように進まぬ。この船も長らくメンテナンスもしていないし、次の帰国の折りにはフルメンテナンスが必要だろうと考えている」
『なるほど──そうか。ならば都合がよかった。貴殿らに帰国命令だ。先の修正は即刻中止、速やかに帰国されたし』
「承知した」
ロシュアが答えて、すぐに通信は切れたようだった。
「──────帰国命令とは」
ロシュアは重々しい声で呟く。
「どうするの?」
「うむ……レイ、済まないが航路の検索と設定を頼めるか?」
「解った」
ロシュアの脇をすり抜け航路検索システムの前に立つ。検索開始を選択してからワード指定。ワード指定?
「あの、本国って言うけど、登録名称はなんて?」
「ライゼンダール」
最初の一文字を打ち込んでエンターキーを押すと、検索結果の一番上にそれと思われる文字列が表示されていた。自信がないから一応ロシュアに確かめる。
「これ?」
「うむ」
目的地さえ選択できたらあとは簡単だ。航路設定を終えてエンターキーを叩くと「到着予定:六十八時間三十四分後」と表示されている。ふとロシュアを見上げると、ロシュアもまた画面に見入っている。あたしの視線に気がついたようで、目だけであたしを見た。
「ところでお主、本当に体調に代わりはないのだろうな?」
「うん。左手の奥が、たまにほかほかあったかくはなるけど。心配しすぎだと思う」
あたしの言葉はロシュアを安心させる材料にはならなかったみたいだ。
「焦れてもどうにもならぬのは解っておるのだが……儂も随分と耄碌したようだ」
どこか寂しそうに言って、ロシュアはあたしとクルを見た。
「本国到着まで数日しかない。子機の航行が順調ならば恐らく、そろそろ例のコロニーに到着している頃だろうが、イリューア様がこちらに合流するまで、五日から七日はかかるだろう。我らの本国到着が先だ。作戦会議と行こうではないか」
作戦会議。クルを見たら、クルもあたしを見てた。
「作戦会議──ねえ。僕たちにできることなんてあるのかな?」
クルの言葉にロシュアが応じた。
「それを考えるのも作戦会議のひとつだ」
到着予定:十一時間十六分後
モニターに表示される時間を睨み付けていた。もう少ししたら休む時間だから、ということで、部屋の灯りは明度を落としてある。本国へ航路を変更して以来、あたしはクルとずっと一緒にいる。ひとりになるのがどうしようもなく不安だったから。ドラゴンの身体が収まるようなスリープポッドはスタアシップには搭載していないので、ロシュアとクルにはあたしたちニンゲンに用意されているようなお部屋はない。その代わり、ドラゴンが好きなように寛げる、広々としてほとんどなにもないお部屋があった。そのお部屋でクルにくっついて休もうとしたら、ポッドで休むようロシュアに叱られた。それでクルに部屋まで着いてきてもらった。でもポッドに入ってしまったらクルにくっつくことができないので、ロシュアには内緒で、ポッドには入らず休んだ。さすがに二晩それを続けたので、あちこち痛いような気がする。
「今夜はポッドで休みなよ。ずっとここにいるし」
クルにも言われてしぶしぶポッドに横たわる。伸ばした右手にクルが自分から頭を刷り寄せてくれて、ちょっぴり嬉しかった。
「左手は、相変わらずあったかい?」
クルに聞かれて今度は左手を伸ばす。クルが頭を擦り付けた。
「……今日はあんまり、あったかく感じないや」
「そう? あたしはいつも通り──なんなら、ちょっとちくっとする、かも」
掌の真ん中が、ひらりと光ったように見えた。あたしはスリープポッドから滑り降りてクルの正面に座ると、指を目一杯広げて掌を突き出すようにした。
「クル、よく見て? 掌の真ん中。なんか形が見えない?」
「形?」
クルは顔の角度を変えたり、目を細めたりしながらあたしの掌を見た。
「そうかなあ。ちょっと光ってる? くらいにしか感じない」
クルの返事にがっかりしながらポッドに戻る。ふかふかに横になって、顔の前に掌を持ってきてじいっと見つめる。やっぱり──なんか、これ。
「模様かなあ? 文字、かなあ?」
呟いた直後、掌の奥がときん、として、直後にどくん、と耳の奥で鼓動が鳴った。なんだこれ。息が詰まったみたいになって苦しい。あたしはふかふかの上で背中を丸める。ダメ、どうやってもなんか、苦しい。
「レイ?」
あたしの様子を不審に思ったらしいクルの、心配そうな声が聞こえた。その声を便りにふかふかに手をついて身体を起こす。ポッドの縁にもたれ掛かるようにしてクルに手を伸ばしていた。クルの鼻先が指先に触れた。
「──え、っ?????」
クルが戸惑う声が聞こえる。クルに何が起きているのかも解らないくらいに、頭がぽーっとしてきた。瞼の裏に何か見える──あれは、ウユラ、と、イーシン? 頭がぐらぐらしてきた。顔の周りで小さな星がちかちかしてて。あたしは確かにポッドに横になってるはずなのに、あたし自身がぐるんぐるんに回っているみたい。何が起こっているのかまるで解らない。意識が薄れていく。意識が途切れる直前に誰かの声が聞こえたように思うけど、誰の声なのか、言葉の意味すら理解できない。
──ひかりよりもはやく──おまえのところへ──とんでいく──────
「レイ──レイ! 生きてる?」
胸の辺りをごそごそ擦られるような感じがして目を開けたつもりだった。こふっこふっと籠ったような小さな咳が出た。深く息ができないので、浅い呼吸を繰り返す。
「生──てる、み……たい」
全身が灼けるように熱くて、息が苦しい。目はちゃんと開かないけど、自室じゃないことは解った。ダイニングだろうか。だとしたら、どうやって、ここまで?
「僕が引っ張ってきた。痛かった? ごめんね。辛い? お水飲める?」
右の指先につるんとしたものが触れて、それは飲み物が入ったボトルだってことは解ったけど、思うように動けなくてどうにもできなかった。左の指先のごつごつした感触はクルの額の鱗だろうか。頬に湿った感触。これは何だろう。初めての感触で思い当たるものがなかった。左の指先で懸命に、クルの額に触れた。
「ね……何──、見、え……ぅ?」
「今は何も。さっきはイーシンとウユラが見えた気がしたけど」
そうだよね、見えたよね。思いながら指先で、クルを撫で続けた。撫でるというか、指先に力が入らなくて、触れているのが精一杯だった。
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