第31話


 ──さっき射出されたばかりなのに、子機の姿はもうすっかり見えない。通信圏外に出る前の最後の通信で、ウユラはあたしにこう言った。

『カラル石、失くさないでね? ビタミン剤、忘れず飲んでよ?』

「──だいじょうぶ?」

 クルの言葉があたしを現実に引き戻した。うん、と元気に頷く。

「ほんとにぃ? 無理してない?」

「してないよ。クルこそ大丈夫? ウユラいないけど?」

「失礼な。大丈夫に決まってるでしょ」

 クルはふいっと顔を背けて、あからさまに話題を変えた。

「ねえところで、緊急脱出ポッドの射出まで、あとどれくらい?」

「標準時間で十八時間後の予定だ」

「じゃあしばらく余裕あるね。あとは本国をどう誤魔化すか──ってところ?」

「うむ」

 ロシュアが重々しく頷く。子機の射出のために、一時的にはとえスタアシップは航路を大きく外れた状態になった。監視されている訳ではないらしいけど、不要な航路変更をおこなえば、本国からすぐに連絡が入る、らしい。

「本国からの緊急連絡も今のところはない。あとは、結晶が検知されないかが気がかりだ」

 ロシュアの言葉に気持ちがぴりっとする。

「これまでは運がよかった──そう思って用心するに越したことはない」

「そっか……。で、次の修正は?」

 違う意味で胸がどきんとした。ロシュアだけで対処できる修正の予定と聞いているけど、場合によってはあたしの手が必要になるかもしれないってことで。

「まーなるようにしかならないよねえ」

 クルは意外と呑気だ。

「……ねえクル、なんかあった?」

 クルの大きな目がきょろっとあたしを見た。

「なんか、って?」

「うーん、うまく言えないんだけど、前のクルとちょっと違う、っていうか」

「んー??……あっ! 僕、火が吹けるようになったよ!」

「それはまことか!? なんと素晴らしい!」

 クルもロシュアもとってもうれしそう。でもあたしが感じる違和感は、そういうことじゃない気がするんだけど。それをクルに言ってみてもクルもどうやらピンと来ないようだった。

「他には特になにも、変わったことはないはずなんだけどな? なんだろ??」

「それはなにかよくないものなのか?」

 ロシュアがさも心配そうな口調で聞いてきた。

「よくない──のかな、解んないや」

「そうか」

 ロシュアがしゅんとしてしまったので、それはちょっと申し訳ないように感じた。



 子機を射出してから七日。

 今のところ、特に大きなトラブルもなく旅は続く。毎日毎夜子機の航行の無事を祈っていた。あたしの祈りに応えるように左の掌がほんのり温かみを帯びるので、それがイリューアからの無事の合図と思うようにした。これってどこまで離れても感じることができるのかなあ。そうなら、いいな。

 もうすぐ次の修正地点に着く──というところで、ロシュアがううむ、と低い声を上げた。

「なに? なんかトラブル?」

 クルの口調も心配そうだ。

「……違和感があってな。ただ、その違和感の正体が掴めず」

「そんなに気にすること?」

 クルに尋ねられて、ロシュアは瞼を閉じるとどこか諦めるように首を振った。

「イリューア様の御身を案じるあまり、神経がささくれだっているだけやもしれぬ。ただ、お主らも気にかけておいてはくれまいか。些細なことでも違和感があったら、遠慮なく知らせてくれ」

 そう言い残すとロシュアは操舵室に消えた。その場に残されたあたしは、しゃがんでクルの顔を覗き込んだ。

「……ねえクル、実はあたしも、なんだかちょっと、こころがぞわぞわするんだ。ウユラが心配すぎるせいかな?」

「そりゃあね、僕もウユラが心配だけどさ。イーシンとイリューアを信じるしかないし。とりあえず今のところは、その掌の結晶から、温かさを感じるんでしょ?」

 こくんと頷く。

「じゃあ絶対大丈夫」

 クルが強く頷いてくれた。

「ねえクル。ウユラがやってたみたいに、クルのこと、ぎゅってしても、いい?」

 クルはその言葉に目を真ん丸にした。

「え? ダメなの?」

「だって。ウユラの家系にしか赦されなかったことじゃん、ドラゴンに触れるのって」

「あー。あのコロニーではね」

 クルはたぶん、意識して「集落」ではなくて「コロニー」と言った。それはクルの「意思」なんだと思った。

「でももう僕たち、あのコロニーの住人じゃないし。確かにウユラは僕のサポーターらしいからウユラだけは特別だけど、だからってほかのニンゲンが僕に触れちゃいけない理由になんかならないでしょ」

 なんならクルは鼻で笑いながら、そう言い切った。

「だからいいよ。っていうか──僕もウユラが恋しいから、ぎゅってしてもらえたら──うれしい」

 なんだこの可愛い生き物。身体もうんと大きくなって火も吹けるようになったっていうのに、ちっちゃい頃とちっとも変わってない。こころなしかクルは、前足を突っ張って顔を上げて、ぎゅっとされるのを待ってるみたい。こころがきゅるるん、となって、思いっきりクルに抱きついていた。想像以上にクルの身体はごつごつした抱き心地で、だけどちっともがっかりなんてしなかった。むしろめっちゃ頼もしい。さらに頬を寄せる。

「やっぱウユラともイーシンとも違うや。なんかふわふわしてて気持ちいかも」

 ふわふわ、かあ。反射的に脳裏に浮かんだ考えに頬が熱くなった。

「どうかした?」

「なんでもない」

 答えてあたしは、しばらくそのままクルをぎゅっとしていた。ああ、落ち着く。

「あれ、その、左手……?」

 不意にクルが呟いた。左手?

「うん。ロシュアが言ってたこと、解った気がする。そこになんか、レイとは違うモノがいる、って感じ。ねえその左手、僕の頭に乗っけてみてくれない?」

クルの首に廻した腕を解いて、言われたままにクルの頭にそうっと左手をおいた。こっそりなでなでもした。クルはちょっと目を細める。

「あったかくて気持ちいい」

今度は堂々となでなでした。クルはより目を細めた。

「あ」

 クルが細めた目を見開く。えっなになに?!

「……あ………………あれ?????」

 クルは何度も瞬きを繰り返して、それからあたしを見た。

「一瞬、ほんとに一瞬だけど、目の前にイーシンの横顔が見えた気がして。なんだろ、これ」

「心配のあまりに幻でも見えたんじゃない?」

「だったら見るのはウユラの幻でしょ」

 確かに。

「……イリューア様の魂を通じて、イリューア様が見ているものが見えた、っていうのは、都合がよすぎる解釈かな?」

 もしそうなら──安心なのかいっそう心配なのか頭の中がごちゃごちゃになる。クルの言葉の通りに考えるなら、イリューアが表にいるってことで、ウユラが深く眠った隙のことならいいけど、別な理由があったらどうしよう。

「なんかごめん。事実かどうかも解らないことを話したって建設的じゃないね、やめよう」

 クルの言葉に頷いて、もう一度左手でその頭を撫でて立ち上がった。

 びーびーびーびーびーびー

 初めて聞く音がけたたましく鳴り響く。何の報せなのかは知らないけど、不安を掻き立てられるようなその音がよい報せとは思えない。ロシュアの姿は見えず、迷わず操舵室に走った。ドアを開けるとロシュアは首を巡らせた。

「やはり来たか。緊急連絡だ。これより応答するので儂の背後に隠れておれ」

 ロシュアの背中に隠れるように立って、その背を軽く三回叩く。けたたましい音が止む。

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