第22話
真っ直ぐに前を見据えたまま、左手をぎゅうっと強く握り締める。
「ねえ、ウユラ。ロシュアもイーシンも、クルもだいにんぐにいる?」
「どうかな。イーシンはわかんないけど、ロシュアは居たはず」
「ウユラは朝ごはん食べた?」
「ううん。待ってたから」
そっか。何か悪いことしちゃったね。
「お腹、減ったでしょ?」
少し振り向いてその顔を見ると、ウユラは柔らかく微笑んだ。
「うん。顔見たら急にお腹減ってきた。さっきまでは心配の方が大きかったから」
どうしてだろう。ウユラのその微笑みを見ていたら、泣きたいような気持ちになるのは。ウユラもそれに気がついたみたいで、慌ててあたしの隣に並んだ。
「どうしたの? お腹空きすぎて悲しくなったの?」
茶化すような科白だったけど、それも本心じゃないことも解る。あたしは小さく首を振った。
「いろいろ解ったことがある。それを確かめようと思って。その前に、しっかりゴハン食べよう」
だいにんぐでは食卓の脇にクルがいた。クルの身体は大分大きくなってきて、最近ではもう食卓のうえでナッツをかじったりお水を飲んだりすることもない。クルはロシュアみたいに後ろ足二本で直立することができないから、正確に比べることは難しいけれど、身体の長さはウユラの身長と大差ないだろうと思う。ウユラはときどき、屈み込んでクルをぎゅっとしてるけど、見ようによってはクルの方が大きく見えることもあるくらい。それに最近、クルはものを食べる頻度が減っていた。ロシュアに聞くと、そもそもドラゴンは、たまにちょっぴり食べればたくさん動けるのだと答えた。ロシュアもイーシンも見当たらない。クルに尋ねるより先に。
「それは──まさか」
重々しいロシュアの声が降ってきた。声を仰ぐ。ロシュアの鋭い目があたしを──というか、あたしの左手を見ていた。そっかやっぱり、イリューアが何かをしたんだ。ロシュアの反応ですぐに解った。イリューアにも事情を聞かないと、なんだけど、ウユラがいそいそと食事の準備をしてくれていることが解っていたから、あたしはロシュアにこう返した。
「これについてはあとでちゃんと説明するから、とりあえずウユラとあたしのゴハンが終わるまで、待っててもらえないかな?」
待てないほど急ぐ? 畳み掛けるとロシュアはゆったりと首を振った。
「ここで数時間を焦ったところで、状況が一気に好転することもあるまい。食事くらいは、ゆったりとした心持ちでとるべきだ」
あたしとロシュアのやりとりに気がついているはずのウユラは、それには口を挟まず、あたしに向かって尋ねてきた。
「ねえ、この前補充した食料の中に、干し葡萄入りのふかふかのパンがあったんだ。食べるでしょ? スープはつける?」
干し葡萄のパンは食べたい。でもすうぷはいいや。すうぷよりも果物が食べたいと思ったんだけど、残念ながらここしばらくは、果物は手に入っていない。ウユラがお皿に載っけてくれたパンを齧る。ウユラの言った通りふかふかだ。干し葡萄の甘味を噛み締める。おいしい。あたしが持ち込んだ保存食なんてとっくのとうに無くなって、それからはずっとイーシンかウユラが出してくれるすうぷやら麺やらを食べていた。不味くはない、だけど馴染みのない味はどうしても美味しいとは思えなくて、でもそんな中でたったひとつ気に入ったのはふかふかのパンだった。今まであたしが食べてきたパンはもっとぼそぼそで固かったけど、パンはパンで、根っこの味はとてもよく似ていたから。ウユラはパンの他に、正体不明なお野菜がたくさん入ったすうぷも食べていた。あたしが食べ終わる頃を見計らって、ウユラは小さい丸薬を四つ、あたしに見えるように食卓に置く。びたみんとみねらるが入っているとイーシンが言っていた。手に入る丸薬はその時々で種類やセイゾウモトが違うから、色や形や匂いが違うこともあるけど、大きさは概ね同じで、数は二つから六つだった。あれもこれも食べたくないと我儘を言っている以上、その丸薬まで飲みたくないとは言えなかった。それに心なしか、この丸薬を飲むようになってから、顔の色艶が良くなっている気がするし。パンを食べ終えると丸薬を口に放り込んで、お水で流し込む。あたしが丸薬を飲み終えるのを確かめてウユラは、ちいさく微笑んだ。ウユラが食べ終えるの待って、使った食器をショクセンキとやらに放り込んで、ロシュアを見上げた。
「イーシンも同席するべきと思うんだが、航路の検索と入力中で離れられない。我々が操舵室へ行こう」
狭くて嫌だなと思ったけどしょうがない。全員で操舵室に向かった。
「だから! 次の目的地は了解した。修正すべき変異についても理解はした。だが、それは本当に『変異』で、他に『修正』の方法はないのかと、オレは聞いているんです!」
戸が開いた瞬間イーシンの怒声が響いた。ぎょっとして足が止まった。イーシンが見ている窓はとても眩しくて、あたしは直視できなかった。ロシュアの低い声がイーシンを呼び、ちらっと振り返ったイーシンはその場所をロシュアに譲った。ロシュアの大きな身体に遮られて窓は見えなくなった。
「顔色が悪いよ、だいじょうぶ?」
ウユラの問いにイーシンが軽く頷く。
「あんまりだいじょうぶじゃないかもな」
それからイーシンはあたしに向き直った。意外にもやさしい目をしていた。
「キミの影響かな。今回の指示にはちょっと──いや、かなりの違和感と疑いを持っている。……ロシュアが通信を切るのを待とう」
イーシンの言葉を受けて、あたしたちは一言も口を利かず、ロシュアと誰かとの話が終わるのを待った。誰かはさっきのイーシンの言葉と態度をきつい口調で責め、ロシュアは静かに受け入れている。しばらくして落ち着いたのか、その誰かはこう言った。
『とにもかくにも、だ。はじまりのドラゴンは絶対だ。『変異』は変異以外にあり得ない。修正は必要だ。今回のイーシンの態度については私の胸に納めておくが、万が一今後も同じような態度をとるなら、貴殿とイーシンについては任を解くことも検討せねばならぬかもしれない。それを忘れるな』
「承知した。それでは」
ロシュアは答えて、それからあからさまに大袈裟にため息をついた。イーシンを振り返る。
「イーシン。おまえの気持ちは解らないでもない。だが今は、本国の連中にこちらの動きを気取られるのはまずい。指示に従い、変異の修正に向かう。よいな?」
「ああ。──すまない」
イーシンはロシュアに頭を下げて、それから「そういえば」と続けた。
「どうしたんだよ揃いも揃って?」
あたしはウユラと顔を見合わせた。クルはロシュアに目配せをした。
「イーシンも交えて話したいことがあって。手が離せないだろうなって思ってさ」
「なる。じゃあ遠慮なく作業を続けさせてもらうわ」
イーシンは頷くと、再びロシュアと場所を変わった。イーシンは窓を見ながらぱたぱたボタンを叩き始め、ロシュアが口を開いた。
「では早速だが。掌を見せてもらってもよいか?」
ロシュアの目の前に立って迷わず左手を差し出した。ロシュアは大きな顔をあたしの掌に近づけて、ううむ、と唸る。
「昨夜まではこのような気配は感じなかったが、どういうことだ?」
「昨夜、イリューアが。封印を解く、って。ロシュアにはこれがなんだか、解るんでしょ?」
「うむ。だがまだ、半信半疑、というところだ。イリューア様をお呼びしたいが──」
ロシュアが言い淀む。ロシュアの視線はウユラに注がれていた。
「──儂も様々に思いを巡らせておった。お呼びすれば表に出てこられるとは言え、活動できる時間に限りがあることを考えると、無闇矢鱈にお呼びするのは避けるべきと思うてな。儂の知る限りをまずは話そう」
そうしてあらためてあたしの掌に視線を注いだ。
「ここにはイリューア様の、魂の一部が結晶化したものが埋め込まれている」
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