第21話

 この感覚、どこかで。イリューアがあたしを抱き締めるときの感覚と似てるけど、そうじゃなくて。

『迷わずウユラって答えてくれて、嬉しいようにも思う。ウユラはオレの一部でもあるからさ』

 イリューアがそんなことを考えていたなんて。

『そりゃあ考える。暗闇の中、オレを呼んでくれたのは、まだ意識が芽生える前のウユラの魂だ。仮初めの宿りでも構わないのなら、この肉体を使えばいいよと言ったのは、ウユラの魂が先だった』

 ウユラの魂。意識がなくても魂には、ものを考えたり感じたりする力があるのか。

『ウユラはもともと、クルのパートナーとして生まれるべくして生まれてきたからな。永くドラゴンのパートナーを続けてきた血統だし、ドラゴンに対する共振力みたいなものがあるのかも』

 光の帯に包まれたあたしの脳裏で、違う光がちかちかと明滅しているのを感じていた。これは──?。

『オマエは知りたくなんてないかもしれないし、もしかするとオレは選択を間違えている可能性もあって、だから実はすっげー怖いんだけどさ、でもあれだ、せめてオマエには、オレは──イリューアは正しい、って思ってもらいたくて、だな』

 脳裏で繰り返す明滅が、どんどん早くなる。それにつられるようにあたしの呼吸も早く浅くなって、息が苦しいような感じがしてくる。なのにあたしを包む光は、まばゆくてあったかくて心地よかった。

『封印を解く。あのときはオマエもまだガキだったから──全部は元通りにならないかもしれん。そうなったら──────ごめん』

 イリューアが謝るなんて。

『謝ることくらいある。なんだかんだ、オマエとは長い付き合いだしな。できれば──』

 きんきんこんきんかんかんきん、と頭の真ん中で甲高い音が立て続けに響く。イリューアの言葉はその甲高い音に遮られてしまって聞き取れなかった。なんて──?  聞き返す間もなくあたしの意識はふっと遠退いた。まだ遠くで、きんきんこんきんかんかんきんかんきんこん、と、金属音は続いていた。



 次に気がついたとき、あたしはすりーぷぽっどのふかふかの上に横たわっていた。いつのまにか眠っていて、そして夢を見ていたみたい。部屋の電気を消した覚えはないけれど、確かウユラがたいまーで勝手に消えるんだよって言ってた気がする。暗いのに目の奥がちかちかしてて変だ。ついでに言うなら。

 あたしの内側に、あたしじゃない他の誰かの意識みたいなものが混ざっているような感じが。とっても、変だ。

『気に入った。オマエ、オレの番になれ』

 拙い口調ながらもきっぱりとした科白が脳裏を過る。それを発したのはちっちゃい頃のウユラ、じゃなくて、イリューア、だ。そのときのイリューアの表情が、まるでついさっき見た表情のように瞼の裏に鮮やかに浮かんだ。ちっちゃいイリューアは、同じようにちっちゃいあたしの手を恭しく捧げるようにして──直後その身体がぱあっと白っぽい光を放って。光はどんどん大きくなって、ひとつの形を作り上げて。

 それは真っ白で、とても綺麗な、大きな──何か、だった。たぶんそれの、頭と思われるところの真ん中が、ひときわ強い光を放っていた。

 ──今のあたしにはそれがドラゴンだってことも、そしてイリューアの本体の姿だってことも、ひときわ強く光っていたのはその額部分だったってことも解る。だけどそのときのちっちゃいあたしには、それがなんなのかさっぱり解らなくて、ただぱかんと口を開けたまま見上げた記憶があって。それから──それから。

「きれい………………」

 呟いた。そう──確かに呟いた! 間違いなく、きれい、って。イリューアはあたしのその呟きを拾って。

『きれいか──そうか』

 たったそれだけ言うと俯いてしまった。どれくらい俯いていたのか、顔を上げるとあたしから視線を逸らしたままで、こんなふうに言った。

『かっこいいと言われたことは数えきれないが、きれいと言われたのは初めてだ』

あのときは解らなかった。けど、今なら解る。イリューアははにかんでいたのだ。それからイリューアはその場で不思議な格好のお辞儀をして見せて。

『オレははじまりのドラゴンが末子、イリューア。今は魂剥がしの術を施され、魂のみがこの身体に在る。本体は宇宙の果てにきつく拘束されていて爪ひとつ弾くことも儘ならぬ身。だが忘れるな。いつか必ずこの魂は、本体へと還るときが来る。その暁には、オマエをオレの番として迎え入れるからな? 必ずだ』

 つがい? そう、問い返した覚えがある。真っ白でとても綺麗な大きなドラゴンの幻影の前で、確かにイリューアは、笑った。

『そうだ、番だ。いつか互いを死が別つまで──いや、たとえ互いの肉体を死が別つとも、永遠にオレの魂は、オマエの魂と共に在ることを誓う』

 そうしてそうっと、捧げもったあたしのぷくぷくの手を、そのまあるいほっぺに押し当てた。あたしの手が触れているイリューアのほっぺはすごく熱くて、熱くて熱くて逃げ出したいような感じがしたのに、どうやったって逃げることができなかった。イリューアがにやりとしてようやく手を離してくれた。掌に視線を落とすと、真ん中にぽつんと小さく、跡がついていた。これはなんだろう?

『誓いの印だ。オレとオマエだけの秘密な?』

 顔を上げるとイリューアがにかっと歯を見せた。あたしはこくんと頷いた。──と、いうことは?

「………………」

 イリューアの申し出を、あたしは受け入れたことになるの──か? 待って全然覚えてないし! はっとして掌を目の前に掲げた。ちっちゃいイリューアがほっぺに押し当てた左の掌。目を凝らしてもなにも見えない。と。

 掌の真ん中が、ちか、っと光った。瞬きを繰り返す。またちかちかした。それは、あのときイリューアの背後に見えた幻影──ドラゴンの額の真ん中でひときわ強く輝いていた光を思い起こさせた。どれくらいそうやってぽーっと、すりーぷぽっどのふかふかの上で、掌に見入っていたんだろう。気がつくと部屋は勝手に明るくなっていた。

「……起きてる?」

 戸を隔てて聞こえてきたのはウユラの遠慮がちな声だった。がばっと上半身を起こして、うん、と応じた。

「朝ごはんの時間になってもダイニングに来ないから。具合でも悪い?」

 心底心配しているのが口調で解る。何ならどんな表情を浮かべているのかも。ああ、やっぱり、あたし。

「……ねえ、ウユラ」

「──うん?」

「この先──」

 そこであたしは、口を噤んでいた。ウユラにこんなことを聞いたところで、答えようがないだろう。イリューアもロシュアも言ってた。イリューアの魂を本体に還す──って。自由に──なれるのかは、ウユラの立場的な問題もあるから解んないけど、でも少なくとも、イリューアからは解放されるはずで。だから。

「……どうしたの? ねえ、ほんとに──」

 ろっくを外して戸を開けた。目の前にビックリ顔のウユラが立っていた。思わずぷっと吹き出していた。

「うえっ、ちょ、っ──急に出てきたらびっくりするじゃん」

「ごめんごめん」

 笑いを納めてウユラに言って、先になってだいにんぐに向かって歩き出す。ウユラの声が追いかけてくる。

「ねえ、ほんとに大丈夫? 何かあった?」

 うん。あった。あったっていうか──うん。まあ、ね。──そんなふうに言葉を濁す。先のことは解らない。だけど、少なくとも今このすたあしっぷに乗ってる者の大半が、イリューアの魂が本体に戻ることを望んでいる。イリューアが封じていたらしい幼い頃の記憶が戻ってあたしは、イリューアが何を思ってあたしを番にと言ったのか、どうしたらニンゲンがドラゴンの番になれるのか、番になったらどうなるのか、確かめなくちゃならない──そう決意した。

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