第11話

「出てみる?」

 ウユラは強く頷いた。

「先に行かせて」

 今まで見たこともないような真剣な表情。そうかもう──あたしが世話を焼いてあげなきゃならなかった、泣き虫のウユラはいないんだ。寂しさを隠して頷いた。

「……解った。落っこちてこないでよ?」

「うん。大丈夫」

 梯子を上り始めたウユラに続く。どれくらい上ったのか。ウユラが止まった。

「蓋みたいなのがある。これどうやって開けるんだろう?」

 言いながらあちこち探っている様子だ。はらはらしながら見守っていると、それはすうっと音もなく右側にずれたようだった。慎重にそこから出た。外──だとは思うけど、お日さまの姿はなく暗い。よる、だ。辺りは何かが焦げるような灼けるような匂いで満ちていた。今度ははっきりと地鳴りが聞こえた。

「じっとしてた方がよくない?」

 ウユラに声をかける。ウユラは間を置かずに頭を振った。瞬間、左前方で強い光が上がるのが見えた。走り出そうとしたウユラの手をぱしっと掴まえていた。

「待って。ほんとに行くの?」

 ウユラの表情が見えない。

「行くよ。行かなくちゃいけない気がするんだ」

 強い決意の籠った声だった。

「無理に一緒に行かなくてもいいよ。ひとりでも大丈夫だから」

 胸が苦しくなった。ひとりでも大丈夫じゃないのは──たぶんあたしの方だった。

「やだ。行く。ウユラと一緒に行く」

「……解った」

 ウユラが遠くの光に向かって足を踏み出す。あたしも続く。地鳴りと悲鳴と、ドラゴンの咆哮が渦巻く方へ。

「急ぐよ」

 ウユラの言葉は、やっぱり力強かった。



 おそらくディズが振り撒いた焔で、どこもかしこも燃えていた。上空でばさり、と音がして振り仰ぐ。ロシュアだ。

「──────っ!!」

 なにか叫んだ、けど、続くドラゴンの咆哮に掻き消された。

「雌の声だね」

 ウユラがいう。上空を旋回していたロシュアがあたしたちに近づいてくる。ずささっ、と目の前に降り立ったロシュアは身体を低くした。騎乗籠からイーシンが飛び出す。すぐにロシュアは地を蹴って飛び上がる。

「ロシュアから伝言。イリューアを呼べって」

「イリューアを?」

 問い返す。なぜ?

「彼の力が必要なんだ。事情はあとで話す。彼を呼んで」

 ウユラだけが、訳が解らないって表情で立ち尽くしていた。

「伝えたからな、頼んだぞ!」

 イーシンが走り出した。

「イーシンはどうするのっ?!」

「クルが待ってるんだ、大丈夫、クルも無事だから」

 イーシンは叫ぶとあっという間に駆け去ってしまった。その場に残されたあたしはウユラを見た。イリューアを呼ぶ。ということは。

「イリューアって誰?」

 ウユラに聞かれた。そんなのあたしにも解らない。誰もちゃんと説明してくれてないもん。答えがないことにいらつきながら、がばっとウユラの首にしがみつくように抱きしめていた。

「えっ、ちょちょちょ──っ、何、っ?」

 ──出てこいイリューア。出てこい。

 強く念じた。

「……いや、だから、何なの?」

 ぱっと身体を離すと真っ赤な顔のウユラがあたしを見ていた。失敗した? その時ごうっと、熱い風が吹いた。ドラゴンの焔。

「見つかった?!」

 叫んだ直後にウユラがあたしの手を引いた。足がもつれて転びそうになりながらもウユラについて懸命に走った。木立はドラゴンの炎であっという間に焼ける。熱い。舞う灰を吸ったのか息苦しい。どこをどうやって走ったのか、それともドラゴンがあたしたちを追うのを諦めたのか、どうにか逃れることができた。そう思ったのも束の間、雌ドラゴンの咆哮が耳をつんざく。だめだ、すぐ追い付かれる。

「イリューアの嘘つき!」

 思わず叫ぶ。

「だから、イリューアって誰? 意味解んないよっ!」

 ウユラも叫んだ。

「出てくるキッカケになるって言ったじゃん!」

 ウユラにぶつけたって仕方ないのに。ウユラがあたしの両肩を掴んで、まっすぐにあたしを見た。強くて美しい瞳だった。

「ちゃんと解るように説明して?」

 何をどこから? それにウユラが解るように、って、どうやって? ごちゃごちゃのこの頭の中身をウユラに解るように説明するなんてむり!

「ああもうイリューアのばかウユラのばかぁっ」

「ちょお、落ちついってって──!」

 この状況でどうやって落ち着けと?! 混乱する頭でもう一度ウユラにしがみついた。勢い余ってふたりして地面に転がった。埃と灰がもうもうと立ち込める。咳き込んだ。

「痛いってば離してよ」

 ウユラが抗議の声をあげた。不意に脳裏にあの声が甦った。

 ──オレのこと抱きしめて、オレに会いたい、って、強く願って

 ちょっと待ってもしかしてそういう? 出てこい、じゃ、なく? ああもう、これで出てこなかったら一生恨んでやるから! 自棄糞で叫んだ。

「あんたに会いたいよイリューア! 早く来て!!」

 きゅ。腰に爪が食い込む感触。そして。

「おお! やべぇマジ感動」

 目を上げるとそこにいたのはイリューアだった。

「積極的でどきどきすんじゃん? でもこういうのは、もーちょい平和なときにしようぜ?」

 へら、っとイリューアがにやけた。ぱっと身体を起こす。

「あーあー派手にやらかしちゃって」

 ゆるりと立ち上がったイリューアが視線を左右にした。ごうっと炎が迫る音。イリューアがあたしを庇うように前に出た。

「一介の雌ドラゴン風情がこのオレをどうにかできるとでも?」

 イリューアが笑う。牙が剥き出しになる。そして叫んだ。声にならない声で。

 空気がびりびりして、思わずイリューアの腕にすがり付いた。

「いっつもこうなら可愛いのになー残念」

 はあっ?! 顔を上げると見えたのは、言葉とは裏腹に真剣な目をしたイリューアの横顔だった。はっと気がつくと、辺りはしんと静まっていて、目の前には二頭の雌ドラゴンが延びていた。

「……死んじゃったの?」

「かもな」

 背筋が寒くなる。

「ここで待てる?」

 イリューアがちょっと首を傾げてあたしを見た。こんなところで、ひとりで?

「たぶん雌はもう使い物にならないし大丈夫だろうけど」

「やだ。むり!」

「そーいうと思ったよ。でも、」

 どうしようかなあ──イリューアは自分自身とあたしの体格を見比べて続ける。

「ねえウユラってほんとに十六? オマエもまだ十四ってほんと?」

 ウユラとあたしの歳はイリューアだって把握してるだろうに。イリューアが出てきて、緊張感が薄れたのはありがたいけど。

「せめて年相応に育っててくれりゃあ、オマエを抱っこするくらいできただろうになあ。残念」

「抱っこ?????」

 問うとイリューアはうん、と頷いて。

「だってオマエ飛べないじゃん」

 イリューアだって飛べないでしょ? 思った直後にイリューアは鼻に皺を寄せた。

「ほほう。そうかそうか。んじゃまあ──おぶされ」

「──────は?」

「いいから。時間がねえ」

 急かされてしぶしぶイリューアの背中に身体を預けた。

「あ。先に言っとく。オマエまで気が回らなくなったら振り落としちゃうかもしれん。だからさ、」

 イリューアがあたしを見て笑った。

「死んでも離すなよー」

 返事をするより先に、どうやらイリューアは浮いたようだった。どうしてこんな言い方になるかというと──特に揺れたりすることもなく、あたしたちの身体が、地面から遠ざかっていたからだ。

「……あっちか、行くぞ」

 イリューアが呟いて、ぎゅん、と風を切る感触がして。はっと気がつくと足元にディズが見えた。辺り構わず焔を吹き散らかしている。

「イリューア様!」

「おお。お疲れ」

「先ほどの雄叫びが堪えたようです」

「だろうねえ」

 イリューアは呑気そうにロシュアと喋ってる。まだあたしを気にする余裕があるみたいで、よいしょ、と体勢を整えた。あたしはイリューアの首根っこにしがみつくので精一杯だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る