第9話
とんとん、と肩を叩かれてはっとした。いつの間にか眠っていたみたい。顔を上げてきょろきょろすると、斜め後ろにイーシンが立っていた。歯をくいしばって、涙をこらえているみたいだった。
「……大丈夫?」
イーシンは表情を変えずに頷いた。
「ウユラは?」
「あ。えっと、お風呂に入りたい、眠りたい、って言って――」
どこにいるのかまでは把握してない。辺りをきょろきょろしてみたけど、おばちゃんの姿もなかった。イーシンは長老たちとどんな話をしたんだろう。でもこのイーシンの表情を見たら、とても聞き出すことなんてできない。
「とりあえず、オレはこれから、ロシュアと一緒にディズを鎮めてくる。たぶん――ディズの命を奪うことになるし、それはクルも了解してる」
淡々と続けるイーシンは、とても痛々しい。クルの姿が見えないけど、どうしたんだろう。これは聞いてもいいかな?
「クルは?」
少しだけ、イーシンの表情が柔らかくなった。
「ロシュアと一緒。クルの身に何かが起こる、ってことは絶対にないから、それは安心していいよ」
「そっか」
あたしは頷くと、座ったままで腕を大きく伸ばしてみた。少しだけど気分がしゃっきりした。
「ところでイーシン、何か食べた?」
イーシンはゆるゆると首を振った。あたしは部屋の隅に転がしてあった荷物の中から、干し肉と水筒を取り出して卓上に置くと、イーシンに勧めた。イーシンは何も言わず、あたしと干し肉の間で数回視線を行き来させて、最後にあたしを見た。
「口に合わないかもだけど、よかったら食べて」
「空腹感はあるんだけど食欲はないっていうか」
「……てゆうかイーシン、普段こんなの、食べないんでしょ?」
明らかに困った表情を浮かべるイーシンに、あたしはため息をついた。
「これはこれで美味しいんだよ? 食わず嫌いってどうかと思う、いいおとなが」
「そんなんじゃないさ」
イーシンは軽く息をついて隣に座った。テーブルに頬杖をついてあたしを見る。
「おそらくディズは、暗くなったら活動を再開するだろう。活発に活動するドラゴンを鎮めるなんて正気の沙汰じゃないから、夜が明けるまで待機の予定。することないし、今のうちに話を聞かせてもらいたいんだけど」
「何の話?」
問い返すと、イーシンは微笑んだ。
「キミとウユラの話」
なんでそんなことを聞きたいんだろう。何を話せばいいのかも解らなくて戸惑っていると、イーシンはさらに笑った。
「小難しく考えなくていいよ。キミとウユラって、小さい頃からずっと今みたいな感じだったの? ウユラはなんだか、いつでもキミに頼りっきりって感じだけど」
「……そうだね。気がついたら隣――っていうか、後ろをくっついて来てた感じ。すぐ泣くし情けないし頼りないし」
「それじゃまるっきりお荷物じゃん」
イーシンは笑う。あたしが勧めた干し肉に手を伸ばす気配はない。
「そんなことないよ? あたしにとってウユラは、憧れだから。頼られてうれしいし力になりたいし」
イーシンが目をぱちくりさせた。
「憧れ? なんでまた」
「ウユラは、ドラゴンを奉る家系の、正統後継者だから」
イーシンがじいっとあたしの瞳を見つめるから、あたしも負けないくらい強い力でイーシンの瞳を見つめ返した。
「イーシンにはきっと、あたしの気持ちは解らない」
イーシンはすぐには何も言い返さなかった。何か言いかけてやめて、思い直したように。
「そっか。ちょっと解りたいような気も、するんだけどなあ」
言い終えて柔らかく目を細めた。
「じゃあさ──もうひとりについても、聞いてもいいかな?」
もうひとり。イリューア、のことだろうか。
「瞳の色が変わって、まるで別人みたいになったけど、あれも前から?」
前から──確かにそうなんだけど、あれ……? ウユラっていつから、あんなんだったっけ? 記憶を掘り起こす。思い出せない。イーシンはじいっとあたしの返事を待っている。とても答えに辿り着けそうもなくて、そのまんまを答えた。
「ふむ」
イーシンがちいさくもらして腕組みをした。そこへさっきのおばちゃんが姿を見せる。
「ウユラは?」
真っ先に口を開いたあたしにおばちゃんがにっこりした。
「心配しなくても大丈夫よ。お風呂に入ってさっぱりしたら急に眠くなったみたい。少し眠るって言うから、あなたに食事を、と思って」
それからおばちゃんはイーシンにも声をかける。
「あなたもいかが?」
「いいんですか?」
質問に質問で返す。しかも食い気味に。さっきあたしが干し肉を勧めたときの態度とは天と地だ。おばちゃんは抽斗からふたつ、器を取り出す。顔の高さにある小さな扉を開いて器を入れて何かを押した。ぴっぴっぴっぴ……と小鳥の囀りみたいな音。しばらくしてぴーっと音が鳴っておばちゃんは扉を開いて器を取り出した。
「冷めないうちに。お口に合わないかもしれないけれど」
「ありがたくいただきます」
イーシンは応えて、器の縁に指をかけた。ぴりりり、と何かが取れた。薄っぺらくてひらひらで、でも布とは違う何か。ふわっとお出汁の匂いがした。イーシンはおばちゃんから受け取ったお箸で器の中身をかき混ぜる。湯気と美味しそうな匂いが溢れる。あたしがじいっと目の前の器を凝視していると、おばちゃんが。
「ごめんなさい、解らないわよね?」
言って手を伸ばしてイーシンと同じようにぴりぴりと何かを外してくれた。器の中身は麺だった。見たことのない赤っぽい茶色のタレ? がかかっている。匂いもイーシンのとは全然違った。
「ミートソースかあ」
イーシンが呟く。戸惑っておばちゃんをみるとおばちゃんはお箸を差し出した。
「美味しいよ。召し上がれ」
お箸に手を伸ばす。器の中身をぐるぐる混ぜた。タレが麺に絡む。麺を一本だけ摘まんだ。思い切って口に入れた。なんだろう──これは。麺をすすってちゅるんと口に入ったときに、ぴっとタレが台に飛んだ。
「行儀悪いなあ」
イーシンが笑う。あたしはそこでお箸をおいた。
「食べないの?」
あたしは曖昧に頷いて干し肉を手に取った。ちょっとかじる。ゆっくり噛むとじゅわっとお肉の味が広がって、やっぱこれがいい。
「もったいね」
「じゃあイーシンが食べれば?」
「いいの?」
イーシンの瞳が輝いた。ちらっとおばちゃんを見るとおばちゃんは頷いた。
「封を切ってしまったから、食べないなら捨てるしかないもの。ほんとうにいいんですか?」
「オレそういうの気にしない性質なんで。それに次、いつまともな食事ができるかも解んないから」
イーシンは答えると、あたしの目の前に置かれた器に遠慮する様子もなく手を伸ばした。
「あなたも少し休みたいでしょ? 救護室のベッドが空いてるから、ウユラが起きるまでそこで休まない?」
素直に頷いた。おばちゃんの案内で救護室とやらに連れて行かれた。薄い青の幕に仕切られた中を覗くと真っ白な寝台があった。このまま寝たらお布団を汚しそうだけどいいのかな? 不安に思っておばちゃんを見ると、おばちゃんは微笑んだ。
「いいのよ。カバーもシーツも替えはあるから。すぐに使えるシャワールームがあるのはウユラが休んでいるお部屋だけだし、それはきっと、ウユラが嫌がるでしょう」
言われてあたしはそのまま寝台に潜り込んだ。枕がふかふかすぎて頭が全部沈んだ。寝台の感触も、いままで使っていた寝台とは比べ物にならないくらいに柔らかくてふにゃふにゃ。こんなんで眠れるだろうかと心配になる。掛布団は軽くて柔らかくてふわふわで、なのにとても温かい。ふしぎだ。
「明かり、消しておくわね。ゆっくりおやすみなさい」
おばちゃんが言って、返事をする前に部屋が暗くなった。
ひとりになると、急に心細くなった。
リュキはどうしているんだろう。リュキだけじゃない。みんなは? もしも昨夜、あたしがウユラを旧鉱山に連れ出していなかったら、ウユラもあたしも、そしてクルもどうにかなっちゃってたんだろうか。これからどうなるんだろう。
怖い。
ぎゅう、っと自分の腕で自分自身を抱きしめていた。
ウユラのばか。
いろんな感情がぐちゃぐちゃになってなにをどうしたらいいのかも解らなくて、その矛先は、あたしとの相部屋を拒んだウユラに向かっていた。
ウユラの、ばか。
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