第4話


 布に覆われていたせいで、実際には何が起こったのか、一切解らなかった。騎乗籠がひどく揺れる。ときどきイーシンが何か怒鳴っていたけれど、ドラゴンの雄叫びに遮られてしまって聞き取ることができなかった。どれくらいそうして、騎乗籠の中でぐらんぐらんに揺られ続けたのか――目は廻るし気持ち悪いし。ただひとつ、ウユラの胸にいるであろうクルが時折、可愛い鳴き声をあげて、まるで「負けないで」「がんばって」って言ってくれてるみたいで、勇気づけられたのが救いだった。途中、記憶が曖昧で、気絶したのかもしかしたら眠ってしまったのかもしれない。

 気がつくと、激しい揺れはとっくに収まっていて、隣から聞こえてくるのはどうやらウユラの呼吸の音。その規則正しさに、かなりほっとした。あまりの規則正しさに忍びないとは思ったけど、手をかけて揺すってみた。

「ウユラ、ウユラ? 大丈夫?」

「……ん……クル? クルがいない!」

 ウユラが叫んだ。ウユラが身体を動かした拍子に世界に光が溢れた。眩しい。明るいということは、お日様が戻ってきたってことだ。何度か瞬きを繰り返しているうちに目が慣れてきた。あたしたちを覆っていたのはたぶんイーシンに被せられた布で、ここは騎乗籠の中なんだろう。明るい中で見ると、騎乗籠は思った以上に狭かった。目が廻るような激しい揺れではないけれど、規則的にゆらゆらしている。イーシンの姿は見えない。籠の上部にいくつか小さな窓があった。籠の壁面に縋り付いて外を見た。

「……ここ、どこだろ」

 背後からウユラの呟きが聞こえた。あたしが覗き込んだ窓の向こうには、金属みたいにぴかぴか光るドラゴンの鱗が見えた。気を取り直して右側の窓から見てみると、そこには森が広がっていた。窓の外、右側は普通の森、そして左側には何もなかった。炎。ドラゴンの雄叫び。昨夜の記憶が蘇る。まさか。まさかまさか。ぱっと視線を走らせると扉のようなものが見えた。あれが出入り口だろう。外に開いて身を乗り出す。

「イーシぃン! ロシュアぁ!」

 大声で、ふたりの名前を呼ぶ。そこで初めて、自分が乗っている騎乗籠の高さに気がついて扉にしがみついた。揺れが止まった。

「気がついたか」

 ロシュアが声をかけてくれた。縄梯子を上がってくるイーシンの姿も見える。

「降りられるか?」

「やってみる」

 あたしは叫び返して、出入り口から縄梯子を伝った。上った時にはなんとも思わなかったのに、周りがはっきり見渡せるせいか、思った以上に高くて怖くて足ががくがくする。ゆっくり一段ずつ降りて、最後はぴょんと飛び降りた。

 身体中、あちこち痛い。大きく伸びをして深呼吸をした。空気がきな臭い。そうしているうちにウユラも降りてきた。ロシュアが両腕を胸の前に組んだような格好をしていて、きっとそこにクルが居るんだろう。

 改めて辺りを見渡す。お日様の位置から、森の東側が焼き払われたようだった。まるで定規をあてて線を引いたみたいに、その境界はきっぱりと真っすぐ。ウユラがぎゅっとあたしの袖を掴んだ。

 ドラゴンは、吐き出す炎の熱さを自在に操ることができる。

 最も高温になった時、後には灰も残らない。

 長老から、話としては何度も何度も聞かされた。

 この森の半分は、ドラゴンが吐き出す最大熱量の炎で、焼き払われたということか。

「……ここ、たぶんナキレイの森、だよね……?」

 ウユラが呟く。もしそうなら、あたしたちの集落は。ウユラが崩れ落ちた。身を屈めてウユラの肩を抱く。しばらく背中を撫でているうち、ウユラが腕を伸ばしてあたしにすがりついてきた。ぎゅうと強く、お互いにしがみついて、その時にはあたしの目からもぽろぽろと涙が溢れていた。嗚咽を漏らすウユラを胸に抱いて、黙って涙だけを流す。ふと気がつくと、そのあたしたちを包み込むように、イーシンが抱き締めてくれていた。イーシンも何も言わなかった。ウユラの嗚咽が次第に収まり、それであたしもぐいぐいと涙を拭いた。

「有事の際にさ、避難するシェルターみたいなものが用意されているはずなんだけど、聞いてない?」

 しえるたあ? って、なんだろう?

「……あー、そっか了解」

 あたしの視線を受けて何かを察したようにイーシンが頷いてロシュアを見上げた。

「どうしよう、ここの文化ベレルが全く解らない」

「うむ……夜を知らぬ、という時点で察してはいたがな」

「だよね」

 ふたりには解っているのかもしれないけれど、なんのことやらさっぱり解らない。

「ロシュア、何か感じないの?」

 ロシュアは首を伸ばして遠くを見るような仕草を繰り返している。

「………………ああ、よく寝たー」

 聞いたことのない声が聞こえた。可愛らしい子どもの声だった。

「おお、目覚めたか清らなる魂よ」

 ロシュアが目を細めると、自分の腕の中に顔を寄せた。胸に抱いていたクルを手のひらで抱え直して、そのままクルに頬を寄せた。

「ちょっ、牙が刺さってるロシュア。痛いっつーの」

 それで初めて、その声がクルのものだと理解した。ロシュアはクルの言葉を意に介したふうでもない。しつこく頬を擦り寄せるロシュアにクルがキレた。

「痛いってばもー! 解ったから。ちょっと降ろして」

 ロシュアがどこか残念そうに、身を屈めてクルを地に降ろした。クルがウユラを見上げると、てとてとと駆け寄ってくる。なんだよ……なんて可愛いんだ!

「ウユラ!」

「クル……!」

 胸に飛び込んできたクルを受け止めてウユラは、甘えるように擦り寄るクルの後頭部をやさしく撫でる。その表情は複雑だ。

「ウユラさー、もしかして、聞いてない? 大社の地下壕のこと」

「地下壕?」

「うん。おじいちゃまがさ。何かの時には、地下壕に逃げるって」

「大社って、あの大社?」

「他にないじゃん。行こ?」

 クルの言葉に従って、おそらく集落があったであろう、焼き払われた大地を歩き始めた。灰すら残らないと聞いていたけど、厳密には灰も塵も残ることは残るみたい。この前社が焼けた時には、柱も屋根も残っていたから、それと比べると「何も残らない」と言われるのも頷ける。その残った灰やら塵やらが、あたしたちが歩くたびにまき上げられる。僅かに吹く風に煽られて、視界は悪いし息苦しいしで、歩くのも大変だ。

「イーシン、籠に乗れ。中から指示せよ」

 それを見かねたロシュアが声をかけてきて、あたしたちは再び、狭い騎乗籠に乗り込んだ。籠の前方に座ったイーシンの膝の上にクルが座る。イーシンが座ったところに筒があった。それは騎乗籠の外とつながっているみたいだ。イーシンがクルに声をかける。

「ここに向かって喋れば、ロシュアに声が届く」

「へえ」

 クルが楽しそうな声を上げて、それに向かって進む方向を指示した。クルの指示には迷いがない。しばらく進んだところでクルが声を出した。

「あ。たぶんこの辺。止まってロシュア」

 騎乗籠が大きく揺れて止まった。まだ赤ちゃんみたいなドラゴンのいうことを素直に聞くおとなのドラゴン。変なの。籠から降りて辺りを見回すけれど、ここに本当に大社があったのか。大社の脇に立っていたはずの護り木さえ見当たらない。地に降り立ったクルは、埃っぽい地面に少し鼻を寄せている。小さく塵が舞い上がる。クル……苦しくないのかな。

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