第3話
いつの間にかニンゲンと思われるその影は、あたしたちのすぐ隣まで来ていた。ランプの明かりの中、目を引いたのは真っ白な髪だった。でも顔つきは若かった。リュキとどっちが年上だろう?
「早く出してあげて? クル? だっけ?」
人懐っこい笑顔を浮かべる。ウユラは籠を足元に置くと縛めを解いた。中からクルがぴょこんと顔を出す。ついさっきまで、小さくうずくまっていたドラゴンとは全く別のドラゴンみたいに元気に見える。抱き上げたウユラの腕をすり抜けたクルは、文字通り、そのひとの胸に飛び込んだ。
「ははっ、かわいいねえ。月齢ひと月経ってない?」
「あ、はい」
ウユラがこくんと頷く。クルの行動に戸惑っている。っていうか得体の知れないニンゲンがクルに触れるなんて許されるんだろうか。クルが飛び込んで行ったとは言え。ドラゴンに触れることを許されないあたしの、ちっぽけな嫉妬心が表に出て、口調がキツくなった。
「あなた達は一体何者ですか?」
あたしの鋭い視線になんて怯む様子もなく、そのひとはクルの背中を撫でながら答えた。
「オレはイーシン。ロシュアと一緒に、変異を修正する旅をしている」
ヘンイ? シュウセイ?
「キミらも、この世界の成り立ちを学んだことくらい、あるよね?」
ウユラと顔を見合わせて、こくんと頷いた。
「じゃあ、ここいらのドラゴンは、まだ人語を操るか?」
もう一度ウユラと顔を見合わせていた。何を言ってるんだ、このひとは。ドラゴンが人語を操る──なんて、お伽噺みたいなものでしょ?
「いるでしょ、キミらの目の前に」
言われてあたしは、目の前に立つ物体を見上げていた。さっきから聞こえてる正体不明の声の主。まさか。
「彼はロシュア。人語を操る数少ない、成体の雄ドラゴン」
本当だろうか。俄には信じられない。
「変異の始まりは、人語を操れないドラゴンが増えたこと。その理由は不明。意思の疎通ができなくなったためか、ドラゴンは次第に粗暴になっていき、今ではカラル石の力に頼り、無理矢理に従えている状態だ。それで押さえつけられていたから見て見ぬふりをしていたところもあったんだけど、流石にドラゴンの横暴が目に余るようになってきてだな。我々の生存を脅かす可能性が出てきた」
イーシンは腕の中で居心地良さそうに目を細めるクルを、愛おしそうに撫で続けている。
「そこで、はじまりのドラゴンは一計を案じ、世界に何が起こっているのか確かめるために、使者を派遣した。その結果、あちこちで変異が頻発していることを確認したんだ。変異は様々で、まあ多くはドラゴン絡みが多いけど、そうじゃないこともある。その変異の修正を命じられて、オレらは旅をしてるってわけ」
「はじまりのドラゴンって……、まだ存在していたの?」
ウユラが尋ねた。あたしには、何のことかさっぱり解らない。イーシンはこっくりと頷いた。
「って言っても、オレが直接会ったわけじゃないけどね。はじまりのドラゴンから名指しで『会いに来い』って言われないと会えないし。はじまりのドラゴンに会ったのはロシュアさ。あれってもう、何年前だっけ?」
「覚えておらぬ」
イーシンの言葉を受けてロシュアが応じる。人語を操るドラゴン──実際に喋っているのを目の当たりにしたら、信じるしかない。
「だよねー。オレもはっきり覚えてないし」
イーシンはクルを撫でながら、ウユラとあたしの顔を順番に見た。
「さあ、じゃあ今度は、オレらが話を聞く番。キミらふたりで、こんな山の中で何をしてる訳?」
*
イーシンはクルを抱いたままであたしの話を聞いていた。
「なるほどね。明らかに変異だね」
「ねぇ。そのヘンイっていうのと、お日様が消えちゃったことには、何か関係がある?」
あたしが尋ねるとイーシンは。
「……なあ。キミらは、夜、って知ってる?」
「ヨル? って、なに?」
「お日様が消えて世界が真っ暗になる。簡単に言うと、休息の時間はお日様も休んでるってこと」
お日様も休む。あたしたちみたいに、家に帰るのかな?
「夜はすべての世界にある。変異とは関係ない――」
イーシンは答えながら辺りを見回す仕草をした。こう暗くては、何も見えないだろうに何を見たんだろう。
「――とは、思う。明日になってみないと解らないけど。どっちにしてもディズのことは――」
そこでイーシンは口を噤んだ。遠くから微かに、ドラゴンの雄叫びが聞こえた。
「クルを籠から出したせいかね。ウユラ、ここいらのドラゴンは、休息の時間にはどうしているんだい?」
聞かれてウユラは、ぷるぷると首を振った。
「まだそこまでのお世話をしたことないので知りません」
「そうかー。どうしようロシュア。最優先はディズをどうにかすることだけど――クルにはまだ、荷が重いかな?」
「そう案ずることはない。まだ幼きこの魂は、すでに我々の言葉を解しておる。久しく見ぬ清らな魂だ。ディズに起こった変異が、クルナルディクの清らな魂を畏れておるのだろう」
「なら急いだ方がいいね」
イーシンの言葉を受けて、ロシュアがゆったりと頷いた。
「じゃあ、オレら行くけど、気をつけて帰るんだよ」
「ちょっと待って、クルは?」
ウユラが慌てて叫んだ。ロシュアに向かって歩き始めたイーシンが足を止めて振り返る。
「オレらが責任を持って護るよ?」
「そうじゃなくて! 得体の知れないひとにクルを預けたなんて知れたら」
イーシンは、ああ、という表情を浮かべた。
「たぶんそれは、心配要らないと思うけど」
でも、キミの心配ももっともだ。イーシンがロシュアを見上げた。
「どうしようか?」
「そこな坊らも共に連れゆこう。クルナルディクもそれを望んでおる」
イーシンが肩を竦めた。
「ロシュアがそう言うなら。そうと決まったらこれ登って。てっぺんに騎乗籠があるから入って。あとランプは、騎乗籠に火が移ったら大変だから、持っていくなら火を落として」
きじょうかご? 解らないことだらけだ。ってゆうかあたしたちの荷物は?
「キミね、いちいち細かいこと気にしすぎだから。今はつべこべ言ってる場合じゃないでしょうよ。言うこと聞かないとほんとにここに置いていくよ?」
イーシンにばん、と背中を叩かれた。一瞬息が詰まる。ランプの火を吹き消すと、気を取り直して促されるまま縄梯子を登り始めた。手探りで登ったその先には、確かに大きな入れ物のようなものがあった。全体の様子は解らない。手で探っていると出っぱりに触れた。押してもどうにもならず引っ張ってみたら開いた。扉だったようだ。中も真っ暗。しばらくすると誰かが入ってきた。ウユラだ。最後に入ってきたのはどうやらイーシンで、あたしたちを避けて端に座った。クルの鳴き声がはっきりと聞こえてほっとする。
「流石に狭いね。しょうがないか」
イーシンは何かをごそごそしていたかと思うと、急に喋り出した。
「ロシュア、いつでもオーケイだよ」
直後、籠全体が揺れ始めた。ばさりばさりと羽ばたきが聞こえる。ぐん、と身体が引っ張られるような感じがした。思わず壁にしがみつく。
「どうなってるのこれ? もしかして──飛んでる? 落ち、ない?」
揺れる。揺れる。ほんとに落ちない?
「落ちないよ。大丈夫だって」
イーシンのあまりにも楽しそうな笑い声に、ちょっと腹が立った。抗議の声をあげる前に、イーシンは笑いを引っ込めた。
「ロシュア、あれ――何が起こってる?」
笑っていたイーシンとはまるで別人みたいな固い声。外からロシュアの返事が聞こえた。
「炎が上がっているようだな」
「……マジか。ありえねえ」
そう漏らしたイーシンの表情は見えない。隣に座っているはずのウユラに手を伸ばすと、ほぼ同時にウユラの手があたしの二の腕を掴んだ。
「……なんだろう、炎って、火事かな……」
ウユラの小さな呟きは、思った以上に大きく籠の中に響いた。イーシンが振り返った。
「ロシュアの判断は正しかった。これからきっと、想像もしていないような過酷な現実が、キミらを待ってる。――がんばれるか?」
「がんばる? なにを?」
意味が解らず問い返す。イーシンの手があたしの頭に伸びてきた。
「何もかも全部。あれもこれも。できるだけ手は貸す。キミらちょっと、これ被ってな」
イーシンが言ったかと思うと、大きな布のようなものを頭から被せてきた。クルが小さく鳴いた。なんでこんなの。被せられた布を取り去ろうとしたら鋭い声が飛んできた。
「取っちゃ駄目だって。そのまま被ってな」
どんな表情でその科白を放ったのか。怒られたみたいで怖い。おとなしくイーシンの言葉に従うことにした。
「行くよロシュア」
イーシンのその声は、低くて固くて、まるで自分の感情を押し殺しているみたいに聞こえた。
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