第2話

 鐘が鳴る。六回。あたしもウユラも何も喋らず、ただひたすらに歩いた。不安すぎて口を開くことができなかった。それはきっとウユラも同じ。旧鉱山までの道は、体験学習で訪れる必要があることと、たまに他の集落からやってきた人を見学に連れて行くこともあって、きちんと整備されている。黙ったままでひたすら歩いて、やっと到着した。

 持ってきた荷物からランプを取り出して火を入れた。旧鉱山に踏み込む。空気がひんやりしていた。足元には古いレールが残ったままで、それを辿って奥まで進む。レールの切替ポイントが設置されている、少し広い場所に出た。

「あんまり奥に行ってもしょうがないよね」

 あたしが言うと、ウユラはほっとしたような表情を見せた。

「ちょっと寒いね」

「うん」

 背負ってきた荷物を降ろすと肩が軽くなって、気持ちも少しほぐれた。もしものためにイシャク織りの大判ストールを持ってきてよかった。ウユラと身を寄せ合って座って、ストールをかける。ウユラの腕には、クルが入った籠がしっかり抱きしめられている。中からがさごそ音がした。

「……おなか減ったね」

「クルも減ってるかも」

 あたしは荷物を引き寄せて中身を漁った。あたしたちはパンを食べることにするとして……クルは干し肉でいいかな。

「クルはお肉より果物とかナッツが好きみたい」

 そうなのか。ナッツは適当に詰めてきたけど、フルーツまでは考えてなかった。ドラゴンだからお肉を食べるだろう、なんて、勝手に考えてしまったけど失敗だった。ウユラは自分の荷物から、ぱんぱんにはちきれそうに中身の詰まった袋を取り出した。

「クルのごはんのことまで頼ろうと思ってないし」

 ウユラが歯を見せて笑う。袋には干したナナクがぎっしり詰まっていた。ウユラは慎重な手つきで籠を開けた。中でうずくまっていたクルに、ウユラがやさしく触れた。クルが首を伸ばす。

「せまっこい籠になんて押し込んじゃってごめんね。少しの辛抱だから。ほら。クルの好きなナナクだよ」

 鼻先に差し出されたナナクに鼻を近付けて、匂いを嗅いでいる。なんてかわいいんだドラゴン。用心深くふんふんと匂いを嗅ぎ続ける。ドラゴンってもっと豪快なイメージがあったけど全然違った。まだ子どもだからだろうか。

「ディズはあんなだけど、クルは全然違うよ」

 やっとナナクにかじりついたクルの背を撫でながらウユラが言った。

「姿形は同じだけど、全然別の生き物って感じ。なんかね、言うことをちゃんと解かってるような気がするんだ」

 ウユラが差し出すナナクの欠片を三つほどかじって、クルはまた小さくなった。あたしはあらためてウユラにパンを差し出した。

「ありがと」

 お礼を言ってくれたものの、食べようとはしないウユラが心配になって、あたしも食べる気にはなれなかった。鉱山の中は思っていた以上に寒くて、腰を降ろした地面から寒さが染み込んで来るようだった。想定外だ。来る途中、枯れ枝とか集めてくればよかった。ふるっと身体が震えて、思わずウユラに擦り寄った。

「……寒いよね。枯れ枝とか、集めてこようか?」

「行くなら一緒に行く」

 ウユラが答えた。こんなところにひとりで残されるのはあたしだって嫌だ。クルは――置いていくわけにはいかないよね。結局あたしたちは、荷物はそのままにランプだけ持ち、クル入りの籠を抱えて出口に向かった。

 間違いなく出口には近づいているはずだ。坑道は一本で迷いようがない。なのに出口の明かりが見えてこない。不安になって思わずウユラの服の裾を握った。ウユラがびくっとしてあたしを見た。ランプの照り返しでウユラの瞳が光る。

「……なんか、変じゃない?」

 ウユラの声が微かに震えている。あたしは生唾を呑み込んだ。もう外に出たことには間違いない。だけどそこは、あたしたちがまるで知らない世界だった。

 ランプで辺りを照らしてみる。入り口が崩れないように渡してある丸太の形も同じに見えるし、木が生えている場所も同じに見える。整備された道を踏みしめる感触も、山の中独特の澄んだ空気も同じ。でもここにはお日様がない。空が黒い。見た目や空気や感触がいくら同じでも、お日様がないなんてありえない。これはどういうことだろう。ウユラがあたしの手をぎゅっと掴んだ。びくっとした。その時だった。

 視界の右上から左下に向かって、白っぽいものが動いた。

 眩しい──と感じたのはほんの一瞬だった。それはすぐに見えなくなり、そのあと遠くから、どおん、と大きな音が聞こえた。風が震える。

「なに……なに今の?」

 上ずった声で問うたウユラに、あたしは黙って首を振った。あたしにも何が何だかさっぱりだ。ウユラが抱える籠の中から、がさごそと、クルがひっきりなしに動いている音が聞こえる。どうしたらいいんだろう。考えても答えが見つかる訳もなく、あたしとウユラは黙ったままで手を握り合っていた。どれくらいそうして、ぼんやりしていたのか解らない。すさっ、と微かな音が聞こえた。注意深く耳を傾けると、それはどうやら鳥の羽ばたきのようだ。こんな真っ暗な中を飛べるのか鳥は。すごすぎる。

 ばさり、ばさり、とゆったりとした音がだんだん大きくなる。音がする方へランプを掲げてみたけれど、それはあまりにも小さな明かりすぎて、音の出所を確かめることができない。ばさり、という大きな音に続けて、微かに空気が揺れるのを感じた。こちらに近づいてくるようだ。ばさばさという羽ばたきの音を追うように、ぶわっと強い風が前髪を揺らす。直後にあたしたちの目の前に大きな何かが降り立った。鳥――では、ない。薄暗い中で見たその顔つきは、クルとよく似ていた。クルは四本の足を地につけて歩くけど、目の前のそれは違った。あたしたちと同じように二本の足で立ち、二本の腕らしきものがある。そして、ランプに照らされた体表を覆うもの、それは。

 ドラゴンの鱗とそっくりだった。

 その瞬間、腰の辺りから首筋に向かってぞわぞわぞわ、っと、見えない手で撫で上げられるような感覚がした。ぶるりと首を振って、もう一度よく目の前の何かを観察しようとしたところで、声が降ってきた。

「かような時間、かような場所になぜ子どもがおるのだ?」

 なぜ、と聞かれても、答えることができなかった。あたしたちが固まっている間に、明かりの隅で他の影がさっと動いた。

「変異のうちのひとつなんじゃない?」

 影が喋った。さっき「なぜ」と尋ねた声とは明らかに違う声。それはどうやら、ニンゲンのようだ。真っ黒なマントに身を包んで、大きなフードをすっぽりと被っていた。

「世も末だ」

 もうひとりの声の主は、どこにいるんだろう。不思議に思って辺りを見回す。目の前に降り立った人影の他に、誰かが居る気配はない。

「そこな坊。神聖な魂をそのようなもので覆ってはならぬ。今すぐ解き放つがよい」

 ウユラがびくっとした。そこで初めて、その声の主が、目の前の大きな何かだ、ってことが解った。

「え、でも、だってここからクルを出しちゃったら」

「心配は要らぬ。儂が護ろうぞ」

「信じていいよ。ロシュアは護ると言ったら、本当に絶対にちゃんと護りきるからね」

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