掌に宿るは竜の星、煌めく魂、或いは

おぐら あん

序・ほしが堕ちた日

第1話

 遠く鐘の音が七度響いて後は、明けの喇叭が吹き鳴らされるまで、一切の外出を禁ず――



 昨夜、それを破ったのはやむを得ない事情があったせい。

 それでだから禁を犯したことを赦されるのか、と聞かれると、それとこれとは別の問題なんだろう、ってことも、解ってる。自分とウユラにも非があることも理解はしてる、でも、それでも弁解したいのが、ニンゲンって生き物なんじゃないか。


 だからまずは、禁を犯すに至った経緯を説明させてください。



 ウチのコ(ドラゴン、オス、誕生して二十七日、ちなみに名前はクルナルディク)を預かって欲しい、と真剣な目でウユラが言った。最初、ウユラが何を言っているのかさっぱり理解できなかった。

「……ごめん、なんて?」

「だから。クルを預かってって言ってるの」

「――――――ええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

「や……、そんなに驚く?」

「そりゃ――そりゃ驚くでしょうよだって生まれたてのドラゴンだよ?! あたしなんて、天地が逆さまになったって、触れることも許されない存在なんだよドラゴンは!! 簡単に預けるとか言っちゃダメなやつでしょーが!!」

 ウユラがわざとらしく指で両耳に栓をする。

「だって。他に頼めるひと、いないんだもん」

 ウユラの瞳に見る間に涙が盛り上がって、ぽろっと頬を伝って流れた。ウユラの涙は出たり引っ込んだりが自由自在で、だからその信憑性は驚くほど低い。ウユラが泣いたって動揺するニンゲンなんて誰もいない――たったひとり、あたしを除いては。

「だからって泣くなよ。預かるかどうかは別にして、話は聞くから」

「ありがとう!!」

 ウユラの表情がぱっと明るく輝く。反対にあたしはこっそりため息をつく。

「で。どういう事情?」

「うん。ディズが」

 ディズ(本名ディズゲイド)というのは、あたしたちの集落で奉っているドラゴンだ。今この村にいるすべてのドラゴンの父親であり、唯一の、成体の雄ドラゴン。ここ何年もの間、この集落で生まれるドラゴンは雌ばかりで、クルは久々に生まれた雄ドラゴンだ。

「ものすごく気が立ってて。クルの気配がするだけで火を吹いたり社に突進したりして、目の色が明らかにおかしいんだ。ほら、雄のドラゴンが誕生するなんて、もう何年ぶりか解らないくらいでしょ? もしかしたらディズは、唯一の雄である自分の存在を脅かすかもしれないクルを、敵認定してるのかも……」

 そんな事態になってるのか。雄ドラゴンはディズしかいないから比べようもないけど、雌ドラゴンはみんな無駄に暴れたり火を吹いたりしない。いつから雄ドラゴンがああなったのかしらないけど、あたしたちが生まれるずっと前の記録を読ませてもらったことがある。今とはあまりにもかけ離れすぎてて、正直、イメージができなかった。

 だって。あの、粗暴で凶悪で、何かと言えばすぐに火を吹く雄ドラゴンが。

 人語を解し、ひとと円滑にコミュニケーションをとっていて、さらには「聖なる存在」として、この世界を統治していたなんて。

「なんとかこっそり、クルを避難させないと、とんでもないことになっちゃいそうで。そうなったらこの村は――」

「みなまで言うな」

 慌ててウユラの口を手で塞いだ。ことばには力がある。口に出せば現実になる。

「でもだったら、ディズを鎖でグルグルにするとか、社を別にするとか、方法はいろいろありそうじゃん?」

 ウユラが静かに首を振った。

「それでひとつ、社が焼けてるもの」

 え。この間の火事の原因って、もしかして。

「ディズが火を吹いた」

「それって……ほんとに、クルと関係あるの? ただディズの機嫌が悪かったとか、そういう可能性もあるんじゃないかなあ、あのディズだし」

「それは考えた。でも――思えば、卵が生まれたときにはもう、ディズはおかしかった気がするんだ」

 おかしかった? ウユラがこくんとする。

「みんな解ってくれないけど、寝ている時間が極端に少なくなったし、社の中をうろうろしてることも増えて。粗暴で凶悪なのはずっとそうだけど、それでも前は、なんていうか――威厳? みたいなのを感じた。唯一の雄を崇め奉れ、って感じだけど」

 ディズの気持ちを考えてみる。もしもドラゴンがある程度の思考を巡らせることができるなら、自分の存在が脅かされることに対する不安や恐れも感じるんじゃないかって気はした。

「今クルはどうしてるの?」

「カラル石の石綿で包んだ籠を二重にして、その中に」

「なら、あたしが預かる必要なんてないじゃない」

「今のままじゃ安心できないんだよ。ディズはぜったいにおかしい。もっともっと安全な場所に、クルを隠さなきゃ」

 ウユラの心配を笑い飛ばすことはできなかった。──それくらい、ウユラはいつになく真剣な瞳をしていた。

「ディズの心の中で、何かが嵐みたいに吹き荒れてて。クルをどこかに隠しちゃえば、ディズの周りからクルの痕跡がなくなるじゃない? そしたらきっと、ディズも落ち着くんじゃないかなって」

「そうは言っても……」

 そこでお互いに黙りこくった。

「……あ! リュキに頼めばいいじゃない?」

 ウユラは静かに首を振った。

「さすがにそれは無理、って断られた」

「えぇ……」

 八方塞がり、打つ手なし。

「──あたしにできることはなさそう」

 ごめん、と言う前にウユラの瞳から涙が零れた。助けてあげたいけどどうしようもない。その時脳裏に、ある考えが浮かんだ。

「じゃあさ……鉱山に隠す、っていうのは、どうかな……? クルがやばいことになっちゃう?」

 ウユラが目を丸くする。

「盲点だった。古い方の鉱山なら、もう採掘もしてないしね。あそこなら――」

「でしょ?」

 ウユラがあたしの両手を握り締める。我ながらよい提案をした――そう思ったけど。

「でも、どうしよう? クルだけ置いてこれないし……」

 ──あ。しょうがない。乗りかかった船、というやつだ。

「付き合うよ、ディズが落ち着くまで。事情を説明すればきっと、解ってもらえるよ」

 根拠はなかった。けど、そう思わないと動けない。ウユラは不安そうな瞳で、それでもしっかりと頷いた。

「ありがとう!」

 あたしたちはそれからばたばたと準備を整えると、旧鉱山に向かって出発した。どれくらいその場に隠れることになるか解らないから、五日分くらいの保存食を携えて。クルの分を考えたら、リュックがはちきれそうになった。ウユラが抱える籠の中から時折クルの鳴き声が聞こえて、それがたまらなくかわいい。遠くから鐘の音が聞こえる。五回。あたしたちはひたすら山道を上った。旧鉱山への入り口までは、歴史の体験学習を兼ねてみんなで行ったことがある。あの時は、二回の鐘の音が鳴った直後に出発して、到着して中を少し見学したあと、お弁当を食べている最中に四回の鐘が鳴った。お弁当を食べて学校まで戻って、家に着く直前に鳴った鐘は六回。この調子で歩けば、たぶん七回の鐘が鳴る前には旧鉱山に着けるだろう。そのあとは――どうなるんだろう。考えたら怖いから考えないことにする。

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