#5 ゆめ

「まあ、お望みなら歌うけど。いいの? 龍の生歌なんか聞いて」

「いいよ。龍の歌は、頻繁に聞いているんだ。オレと組んでくれる龍を探しているところだから」

「なんて?」

「オレと一緒に芸能デビューして、歌ってくれる龍を探している」

 ジェイミーは同じことを簡潔に繰り返した。俺が話についていけなくなったとでも思ったのだろうか。話の内容ではなく、彼の思考についていけないのだけれど。

「龍が芸能デビュー? それも、よりによって歌……? 何それ、動物園の珍獣と同じような扱いになるだけでしょ」

 通った後の道に撒かれている水が、龍本人にぶっかけられかねない。

 動物園の方が、そういう輩は出入り禁止に出来る分、まだマシかもしれない。

「世間様に、衝撃は与えられるんじゃないかと思って。露骨に線を引いて、分断なんかしているからこうなっているんだろう? だったら、その線が便宜上のものでしかないことを理解させればいい。大体、特定の遺伝子の違いであって、正体不明の怪物ではないんだから。自分と異なるものを排除しようという防衛機能までを全否定はしないけれど、無知によるパニックが多分に含まれているのなら、状況の緩和くらいは可能だと思わないか?」

「もっと、バカ相手に話すみたいにして」

 使っている単語のひとつひとつが日常生活とは縁遠いもので、俺は頭痛を感じ始めた。

 ジェイミーの地頭は大層良いらしい。こちらが彼の素に近いのだろう。

 彼の手は微かに震えているから、緊張しているのだと思う。

「ニコは、どんな条件だったら、オレと組んでくれる?」

 話しているのがジェイミーじゃなかったら、俺は間違いなく冗談として話を流していただろう。

 視線を逸らした先には小さな倉庫があった。貸し出し用の浮き輪や画材、スポーツ用品などに混ざって拡声器などの音響機材も置かれていて、つい意識してしまう。持ち出しても隠しようが無いからなのだろうが、機材の金額を考えると随分と不用心な置き方だった。

「……人気モデル様にしては、随分と下手に出てない? ジェイミーと組みたい人なんて、掃いて捨てるほどいると思うけど」

「でもニコはそう思っていない」

 組みたい人の中に龍が含まれていないことは伝わったらしい。彼は必死で、けれど楽しそうだった。

 俺が公開している曲を次々と挙げ、これは歌える、こっちは編曲案があると並べていく。

「龍でないと意味が無いんだ。古い価値観に絡めとられた人々を、実力で捻じ伏せられるような。芸能の分野なら風穴を開けやすい。……ある意味、元から見世物だから。それに、リスクを考えたらオレが譲歩するのは当たり前だろう? 世間様の状況からして。オレのリスクはせいぜい、モデルとしての人気が落ちる程度だ。そちらのリスクは命に関わる」

 ジェイミーはまた、世間様という単語を使った。傍若無人な王に臣下が向けるような、諦念と愛情を同時に含んだ目の色をしている。俺が頷くことでこの瞳が輝くのなら、悪くないと思った。

 ああ、この時点では俺の負けだ。

「命懸けだって分かった上で誘うなんて、いい性格してるな」

 勿論、これは皮肉だ。同時に、白旗でもあったし、挑発でもあった。

「ジェイミーは俺の歌を知ってるかもしれないけど、俺はそうでもない。一緒に歌ってよ、歌えるんでしょう?」

 画材からスケッチブックとクレヨンを取り出し、一ページ目に彼が歌えるらしい曲のタイトルをでかでかと書いた。作曲して歌っている本人に向かって、他の話題のついでに歌えると伝えてくるくらいなのだから、さぞかし自信があるのだろう。

「よ、よろしくお願いします」

 彼は生唾を飲みこんで、肩を何度か上下させる。突然の敬語。ジェイミーのそんな様子が余りにも緊張を伝えてきたから、俺は逆に笑いそうになって、力が一気に抜けた。

 拡声器にキスを出来そうなくらい唇を近づけ、口を開く。目いっぱい開いた口の中に、海水の匂いが染み渡った。喉から発せられる音の繋がりが意味を持つ。

 どうして、モールス信号よりもさらにまどろっこしい方法を選んでしまったのだろう。

 人の前で歌っている。いや、人と一緒に歌っている。

 楽しい。歌が怨嗟の塊を叫んでいるのと裏腹に、俺は涙を流して笑い出しそうだった。

 遠巻きにこちらを見ている人々がいる。展望ラウンジの端に居ること自体は確認出来るが、こちらへ誰かが向かってくる様子は無い。視線に含まれる意味も、振り切ることが出来た。

 少年の発する、鮮やかな紫色が俺を刺すまでは。 

  

「裏切者!」

 少年の姿が、はっきりと目に映った。心がざわつく。俺の邪魔をしないで。

 あの子にまた、自分が龍だと強く自覚させられる。龍は海を呼ぶ?

 違う、龍は、俺は海に呼ばれる。海に歓迎されている。

 聞こえない音に誘われるまま、落下防止の柵まで駆け寄った。

 波が俺を誘っている。頼りない柵の先にある青に手を伸ばしたくて仕方がない。

 柵を跨げば、海へ落ちてしまうのに。思考が散漫としている。

 柵に腰かけながら、拡声器が水没してしまわないよう、そっと床に置いた。

 少年は俺に話しかけ続けている。ジェイミーが少年に返答している。

 少年自身が龍でありながら、彼は龍への敵意に満ちていた。

 同じ龍だからこそ、俺の心に残った僅かに柔らかい部分には、きっとよく刺さったのだろう。

「龍が歌うなんて!」

 海へと身体を押されたような気がした。

「ニコ!」

 落ちる直前、ジェイミーの姿を見た。顔色は真っ青で、それどころではないのにまた、笑いそうになる。彼が俺に手を伸ばす、しかしその手は空を切った。俺の手は動かない。

 視界が青に染まり、身体が海に沈んだのだと気づく。口から泡が出ている。

 自分が溺れていく様子を、他人事のように認識していた。

 龍が海に落ちて死ぬなんて、大して珍しい事件ではない。

 でも、目の前の俺に向かって、人間である彼は必死に手を伸ばしていた。

 そのことが滑稽で、不思議で、多分、同時に嬉しかったのだ。

 見てくれている人はまだ居るのだと、証明されたような気がして。

 誰かに名前を呼ばれた。意識が塗りつぶされていく。


 変な夢を見た。


 人が歌っている。一小節にも満たないうちに歌は途切れ、隣の人が歌い出す。

 また一小節ほどで歌は終わり、最初に歌った人が歌う。それを何度も、何度も繰り返す。彼らは笑い合っていた。まるで話をしているようだと思った。けれど、その手はほとんど動いていない。

 歌っているのに、誰も拡声器を持っていない。聞き取れるはずの無い音量なのに、彼らには伝わっているようで、頷いたり、笑ったりしている。

 俺の肌には何の音も聞こえない。振動を感じることが出来るような音量では無い。

 ヒトには聞こえない音。人魚の歌と同じようなものなのだろうか。

 そう思うと、その場から逃げ出したいような衝動に駆られた。

 自分の口から泡が出て、溺れているような気がした。

 俺は話そうとしている。

 でも通じなくて、宇宙船に乗って別の星に来てしまったみたいだった。

 見た目は同じに見えるのに、話しかけても通じない。

 何人かは俺の話し方を真似して、意味のない動きを繰り返した。

 ほとんど意思疎通は出来ていないのに、馬鹿にされたことは分かるから不思議だ。

 ジェイミーだったらどうするだろう。

 真っ先に思い浮かんだのは会ってから数時間にも満たないはずの彼で、当然ながら彼がどうするかだなんて、俺には分からないことだった。

 誰かの手に腕を掴まれ、上に持ちあげられる。

 比較的大きいがすらりとした男性の手で、作り物みたいに整った爪は派手な色で塗られていた。

 俺はその手に導かれるまま、息苦しい世界を飛び出した。

 俺たちが手で話をするように、歌で話をする世界の夢だった。

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