#4 甘い

「……匂いの時点で甘い」

 ジェイミーに勧められたカクテルを喉に流しこむ。

 クッキーと同じかそれ以上に甘ったるくて、確かに彼の好きそうな味だった。

 酔いで火照った身体に心地よく、アイスクリームと共に飲み込んでしまった。

 ジェイミーの食べ方は上品で、食べ慣れているようにしか見えない。

 別世界の相手なのだと、唐突に心が荒んだ。

 俺みたいな奴に話しかけてくるのは大体が宗教団体で、龍の力を信仰しているナントカと名乗る。

 目の前にいるのは今日出会ったばかりの彼。

 知っている範囲の薄っぺらい情報で分かるのは彼の恵まれた部分ばかり。

 劣等感を刺激されて、けれど変なことを話して嫌われたくもない。気が重たい。

「ニコ、大丈夫? 船酔い……ではないか」

 ああもう、ほら、そういう奴だろうと思った。

 余りにも予想通り過ぎて溜息すら出ない。

 急に仏頂面して黙り込んだ俺に対して気分を害した様子も見せず、体調を心配してくる。

 その内容がよりによって船酔いの疑い。そんなわけがあるか。

 高層ビルなどの揺れない地面で生活しているのはごく一部の金持ちだけで、多分有名な芸能人である彼はそっちの存在なんだろう。

 船もたまにしか乗らないのかもしれない。

 俺は勿論家賃の安い海辺に住んでいるし、水上バスだってゴンドラだって日常の足だ。

 いつもよりずっと巨大で揺れない船で酔うはずもない。

「……吐きそう」

 水を渡され、背中をさすられる。

 背中を触れば服越しに鱗の感触が伝わっているだろうに、それを気にしている様子は少しも見られない。

 鱗からこちらに伝わってくる感情は純粋な

 ジェイミーを妬んでいる自分に、反吐が出る。

 吐きそう以外の単語を思いつかなくて、意味も無く泣きそうだ。

 何故か零れてくる涙を隠そうとバーカウンターに顔を伏せた。


 ジェイミーはスタッフと話をしている。会計を済ませているようだ。

 たまたま同じ部屋になっただけの相手だ。彼に俺の面倒を見る筋合いはない。

「オレのお勧めしたカクテル、アルコール自体は強くないんだけれど、珍しい地域の酒を混ぜてるから酔いやすかったかもしれない。ごめんな」

 彼はまるで兄のようだと思った。引き取られて一緒に暮らす者の中で、先に引き取られた方が兄、後に引き取られた方が弟。

 俺には兄も弟もいないけれど、そんな単語を当てるのだという話なら知っている。

 ひとりで生きるのは寂しいと思うのか、得た財産の譲渡先なのか、陸へ上がった子が引き取られることはよくある。

 子に与えられるのは、安全、金銭、教育。

 子が与えるのは、ある意味存在そのものなのかもしれない。

 ジェイミーの立ち振る舞いと職業から想像するに、陸へ上がってすぐに裕福な人が迎えたんだろう。

 俺は誰かに引き取られたことも、引き取ったことも無いから分からないけれど。


「ニコ、寝てる? 起きて」

 寝ているフリで無視をし続けたら置いていってくれないだろうか。

 そんな浅知恵で黙り込んでいたら、急に身体が浮いた。彼に担がれたのだと気づく。

 地面が遠い。

 軽々と俺を運んでみせる彼に、内心で何度目かの悪態をついた。

 船の揺れとは異なる動きで身体が揺れる。

 どんな反応をすればいいのか、分からない。

 ヒトからこんなに優しくしてもらったことなんてなかった。


「なんでこんなに、俺に構うんだよ」

 船の最上階、展望ラウンジ。空と海だけが見える景色は実にありふれたもので、俺たち以外に人の姿は無い。

 日陰のベンチを選んで腰かけてから、漏れ出したのはただの本音だった。

「……下心」

 そうだなあ、と伝えられて、ひゅっと息を吐いた。目元に手が伸びる。

 カラコンは外れていないはずだ。どうして?

「あー、違う違う、今のはオレの伝え方が悪かった。ファンだよ、ファン」

『晴れるといいね』

 ジェイミーが俺に見せてきたのは、SNSの画面だった。

 旅行かもしれないと書いた俺の投稿に寄せられたコメントのひとつ。アイコンには見覚えがあった。

 特に返信はしていないが、定期的に励ましてくれる、そこそこ古参のファンだ。

「これ、オレが趣味用に使っているアカウントなんだ。匿名っていいよな。オレの、モデルとしての交友関係や生活環境では、見えないものが見えるし、書きたいことを書ける」

 信じてくれた? と笑う彼は、アカウントを俺に見せながら話を続けた。

「インディーズの曲を聴くのが趣味でさ。会社の意向とかが介入していない、好きなように作られて、歌われた曲。日常の何かだったり、喉元までせり上がっているもやもやだったり。それらをただ吐いているだけの、叫びが聴きたいんだ。焦燥感を抱いているのはオレだけじゃないんだって、安心出来るから」

 何でも持っていそうな彼は、焦燥感の欠片も感じさせないような表情で、そんなことを話した。

「なんだそれ、人の嘔吐を見たがってるみたいな……変態」

 現実味を感じられなくて、ぼんやりと空を仰ぐ。

 海と同じ色の、すがすがしいほど晴れた空だ。

「今、吐きそうなんだろう? もう少し元気になったら、歌ってよ。今でもいいけど」

 変態扱いは失礼過ぎたかと後悔しかけて、返答で即座に思い直した。

「意味わかんねーよ馬鹿野郎」

 苦笑いしか出ない。でも、聖人君子よりずっといい。

 彼への劣等感や嫉妬心が、急速に薄れていくのを感じていた。


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