#3 味方

 コンシエルジュに見送られ、再び絨毯の上を歩く。

 服を替えただけだというのに、部屋からさっきまで居た店へ行くまでに感じた居心地の悪さが嘘のように消えていた。視線の数が減ったからなのだろうと気づく。

 その空間が閉じられた場所であるほど、そして多数派と少数派の差がはっきりしているほど、少数派は目立つ。

 龍として、今まで何度も味わって来た感覚だというのに何かが違うのは、その視線のほとんどが俺では無く隣の男に向けられていたからなのだと思う。

 俺も大柄になるか、筋肉が服の上からでもはっきりと分かるほどつけば、何か変わるだろうか。

「喉、乾いた」

 アルコールの匂いが近づくと共に、肌がざわついた。やけに喉が渇いている。空調の乾燥が理由だとは思えなかった。まだ酒の一滴も飲んでいないのに、酩酊感がある。

「もうすぐ着くよ。そんなに喉が乾いていたのなら、服を着替え終わった後に水を貰えばよかったな」

「あの時はそこまで乾いてなかったんだよ」


 冷たい水を飲みたい。飲むだけでは足りない。

 浴びたい。水中に飛び込みたい。例えば、船の外。

 海が俺のことを呼んでいる。

 見えない何かに背を押されているような気がする。

 早く、こちらへと。

 呼ばれている。近づくことが怖い。逃げないと。

 ここは船の上、逃げるって、どこへ?


「わっ、何」

 転びかかって、はっと正気に返った。なんだ、今のは。

「おっと、急に引っ張ってごめん。バーと逆方向に歩いていたから」

 ジェイミーが示した先には、バーの立看板と入り口があった。

 示した先どころか、ジェイミーは立看板に触れられる位置に居た。

 逆方向に向かう俺の様子は、さぞかし間抜けに見えただろう。

「……ジェイミーに隠れて、看板が見えなかったんだよ」

 前半はその場しのぎの嘘で、看板に気づいていなかったのは本当だ。

 その入り口からは、少年がバーのスタッフに追い出されていた。

 看板に書かれた『未成年立ち入り禁止』の文字に、おおよその事情を察する。

「未成年は立ち入り禁止だから、大きくなってから来てね」

「だから、成人ならとっくにしてるってば」

「そう見えないので証拠を」

「免許なんか持ってねえよ」

「それではダメです」

「俺が龍だから中に入れたくないだけだろ!」

 ジェイミーは、暫定少年とスタッフのやり取りを見た後、思うところがありそうな顔で俺の方を向いた。

「何? 成人ならしてるよ、小型船舶の免許証も持ち歩いてる、それで年齢は分かる」

「……それならよかった。えっ、同い年か」

 免許証を取り出して見せると、ジェイミーは何度もひっくり返しながらそれを見ていた。

 子ども扱いしやがって、お前が規格外にデカいだけだからな。それを伝えるのは辞めた。

 モデルをしているなら大丈夫だろうとは思うが、気にしていたら酷だ。


「あっ、いらっしゃいませ」

 少年と話していたスタッフが俺たちに気づいたようで、あたふたとこちらへやってくる。

 少年はスタッフと逆方向へ走り去っていった。

 少年と、一瞬目があったような気がする。毒々しいほど鮮やかな紫色。

 きっと、俺と同じようにカラコンをつけているのだろう。

 もしかすると、彼は本当に成人している龍かもしれない。

 龍の容姿から推測される年齢は、ヒトと比較するとかなりの幅があるらしい。

 ヒトの青年期にあたる容姿を保っている期間が非常に長いのだとか。

 俺が今の姿で十年過ごしているように、もしも彼が青年期の入り口であるヒト換算十四歳程度の姿で十年過ごしているのだとすれば、彼はとっくに成人している。

 身分証明書や免許の更新には、それなりの金額が必要となる。

 丸一日働いた賃金を全て使っても、少し足りないくらいの額だ。

 そして、仕事にありつける龍は少なく、その日暮らしになることも多い。

 よって、暫定少年は暫定でしかないのだ。

 少年にしか見えないけれど、彼の年齢が肌に書いてあるわけでもないのだから。


「龍が、ヒトと一緒に居るなんて! ソイツは敵だぞ! 敵だ! 敵だ! 敵なんだ!」

 少年の口が、過呼吸のように忙しなく動いた。

 今にも倒れてしまいそうにすら見える。

 憎々し気な目で俺を睨みつけ、下品なジェスチャーを突きつけて、彼は去っていく。

 彼のふるまいが幼さ故であるのではないかという祈りのようなものもあった。

 スラムのような場所に住んでいる若い龍の中には、龍の見た目が分かりにくいことを利用して、未成年には買えないものを購入する龍も居る。

 どうかそちらであってくれ。

 ジェイミーは少年の様子に茫然としたようで、碧色の目をほんの少し見開いたまま、その場で立ちすくんでいた。

 手が小さく震えている。唇をきつく噛んで、今にも泣きそうな顔をしていた。

「気にしないで。内地の人達はそこまで龍と接点が無いから実感が湧かないかもしれないけど、龍が多く住んでる港町だとよくあるから」

 龍だからヒトだからと些細なことで因縁をつけあい、殴り合いの喧嘩になっている様子も、特に驚くような光景では無い。

「こんなことが、頻繁にあるのは、よくないだろう」

「良い悪いじゃなくて、事実として、あるんだよ。それに、理解しなくもないよ。誰だって、得体の知れない化け物と関わり合いにはなりたくないんだろうから」

「だからって、あんな、陸に上がったばかりの子どもが、随分と……」

 ジェイミーの目にも、あの少年は文字通りの少年に見えたらしい。

 彼は、恐らくではあるが周囲の環境に極めて恵まれたタイプだ。

 苗字は居住地を表す。ジェームズ・ミラーのミラーは鏡という意味の地名で、モデルなどの芸能人が多く住む高級住宅街だ。俺の苗字はセルキー、つまりアザラシ。港町の中でも海寄りの端。

 ジェイミーに龍への偏見が薄いのは、ある意味妥当なのかもしれない。生活に根差した不安を、龍から受けたことが無いのだろうから。

 そもそも、高級住宅街に住んでいる龍など知らない。


「ニコも、ヒトである俺のことを、敵だと思う?」

 案内されたテーブル越しに向かい合い、タッチパネルのメニューを見る。

 お互いに注文を終えて顔を上げた時、ジェイミーはそんなことを大真面目な顔で尋ねてきた。

「はぁ?」

 思わず眉間に皺が寄った。ジェイミーは彼自身の眉間を指でトントンとつつきながら笑っている。

 思考が途切れた。指先が冷たい。手のひらで指先を擦ってから、小さく息を吐いた。

 ヒトから敵視されたことが無いとは思わない。

 ただ、この場合の返答は彼個人に対するもので構わないだろう。

「ジェイミーが敵だとは、思ってないよ」

「よかった! それだけ知ることが出来たら、十分」

 ジェイミーは敵だと思っていないが、ヒト全体に対しては何とも、というのが正しい。

 多少なりとも捻くれ、警戒する程度の扱いは受け続けてきたが、そういうヒトだけでは無いことも同時に知っている。

 同時に、先祖返りだか何だか知らないが、龍の能力を無駄に特別扱いされているようにも感じることがある。迷信や根拠のない噂、ただの心象が、どれだけの力を持つことか。

 同じように鱗を持っていたって、龍の能力に、個人差はあるらしい。

 近くに来ただけで龍が訪れたのだと他の龍が気づくような奴も居れば、薄い鱗を確認するまでは龍だと分からないような奴も居る。

 後者は本でその存在を知っただけだが、きっと上手くヒトに紛れ込んでいるのだろう。

 無知は罪だ。俺だって博識ではないけれど、知らずに怖がるのは罪だ。

 そう思ったから、俺は自分が出来る範囲で学んだ。

「同室になったのが、ジェイミーでよかった」

 違う誰か、それこそ例えば地元によくいる、龍が通った後の道にバケツの水を撒いているような人との相部屋だったら、俺は早々に別室へ出ていくことになっていただろう。

「それは光栄だな」

 ジェイミーは大袈裟に両手を挙げ、そして手を叩いて喜んだ。

 このうち何割が、運ばれて来た果物に向けられているかはさておき、悪い気はしない。


「そろそろ、生誕の地を見られる時間帯ですよ」

 果物を持って来たスタッフは、スクリーンの方を手で示してみせる。

 薄暗いバーは映画館のようで、映像は鮮明だった。

 水深二百メートル地点、俺たちの生まれる場所。


 クラゲのような半透明の膜の中で、赤に近いピンク色の肉塊が脈打っている。

 子どもたちだ。

 より遠くから撮影している別のカメラからは、生きた鉱石の集合体という巨大な木の幹から伸びたいくつもの管の先に、ヒトの卵という果実が鈴なりに成っている様子が見えた。

 まだ陸に上がれないほど小さな子どもたちが、卵の中で眠っているのだ。

 ピンク色のウミヘビを丸めたそれは、管から栄養を吸収し、守られた空間の外で生きていけると判断して初めて、果実は管から落ち、水面へ浮上する。

 膜の一部が空気に触れると、罅が入る。子どもたちは殻を破り、まどろみから目覚め、真っ直ぐに陸へと泳いでいく。俺だってきっと、そうだった。


 スクリーン越しに見た過去は、俺に郷愁の念にも似た何かを抱かせた。水のゆりかごで揺蕩っていたあの頃は、息苦しさを感じたことなんてなかったのかもしれない。

「とにかくキツくて、酔えるやつ、どれだろう」

 さっきの少年のことが、頭の端から離れない。意識をぐちゃぐちゃにかき混ぜてしまいたいような気分だった。強いアルコールで吹き飛ばすことが可能なら、その方がいい。

「オレのおすすめはこれだな」

「酔える?」

「甘くて美味しい!」

「……そんな気はしたよ」

 ジェイミーはスクリーンを見ながら上機嫌だ。子どもたちのことが好きなんだろうか。


 文明の著しい発達と、生殖能力を持たないもしくは望まない者が多数派になるまでの時系列は比例している。

 歴史書や高名な学者の意見が正しいのなら、遥か昔、ヒトはイルカのようにその腹部に子をたった数人宿し、成長するまでは子の面倒をみていたらしい。

 どちらの性別がそれを担っていたという学説だったかは忘れたが、俺だったら真っ平ごめんだ。

 間違いなく周囲から糾弾されるだろうからそれを話したことはないが、俺は子どもたちと呼ばれる肉塊が昔から大の苦手だった。

 強く握ったら壊れてしまいそうで、まともに意思疎通も取れず、目を離した隙に死んでいる。

 それは陸へ上がれるようになるほど成長した時点ですらそうだ。

 ひとりのヒトと呼ばれる存在になるまでの間、まるでまだそれは神のものであるかのように、あっという間に神の元へ帰っていく。

 殻を破れなかったままの果実は落ち、それはそのまま棺となる。

 陸へ上がることが出来なかった場合は死体が上がる。

 龍の場合は、陸へ上がれても自発的に海へ飛び込むことがままあるが。つまり自殺だ。

 食料に困っていた時代に、あらゆる仕組みが決まり、それはまだ続いている。

 パイには限りがあるのだから、淘汰しなければ破綻してしまうと。

 果たして、今も本当にそうなのだろうか。


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