#2 仮装

 ところで、タキシードを着る機会なんて今までに無かったし、こんな場所に来る機会も無かったから、周囲が仮装パーティに見える。

 船内の赤い絨毯を踏みしめながら、誰かとすれ違う度にそう痛感する。

 豪華な調度品と相まって、博物館の展示にでも紛れ込んでいるような気分だ。

 ダークスーツを身に纏った壮年の男性が、俺たちの方を見て怪訝そうな顔をした。

「……見られてるよ」

「ああうん、オレはかっこいいから」

 ジェイミーは当たり前のような顔をしてそう答えた。自己肯定感の高さが俺と全然違う。

 実際に、かっこいいとは思う。立ち居振る舞いが、いちいち綺麗なのだ。

 伺えるのは、育ちの良さそのものであるのかもしれない。

 彼に先導されて、船内を歩き続ける。視界のほとんどはジェイミーの服である緑色で、きっと俺の姿は彼に隠れてほとんど見えなくなっている。

 怪訝な顔をする人々が、また俺の方を見ないように。考えすぎだろうか。

「はい、到着」

 ジェイミーが身体をずらして見せた先は、スーツとドレスばかりが並べられた洋服店だ。

 店内に居たコンシエルジュが、ジェイミーの方を向いて頭を下げた。

「お待ちしておりました」

「予約してたの?」

「うん、というか、船に乗り込もうとした時、最初にここに来てねって」

 それは、ドレスコード違反だからだろう。

 俺のようなノーネクタイの人は探せばまだ居るかもしれないが、乗り込むまでの間、全身エスニックはジェイミー以外に見ていない。

「見てこれ、オレに似合うと思わない?」

 ジェイミーは、光を反射させる素材を使用した派手なスーツを持ってご満悦だ。

 とりあえず、彼は目立つことが趣味だということだけは理解した。

「それを着てランウェイを歩くならいいんじゃないの」

 確かに、彼自身には似合うのだろうとは思う。この場の雰囲気を一切気にしなければ。

 別の候補として出てきたのは、真珠とフリルたっぷりの動きにくそうなドレス。

 引きずる形の装飾は、誰かに持たせる前提としか思えない長さだ。

 きっと、そのまま歩いたら廊下の雑巾がけが出来るだろう。

「サイズ、無いな……」

 ジェイミーは数着のタグを見てから、唇を尖らせた。

 心なしか、コンシエルジュが安堵しているように見える。

「これにする」

 スーツの波をしばらく掻き分けて、彼は着られる大きさのスーツを見つけたらしい。

 さて、自分はどうしようかと、服のサイズとしては選び放題の選択肢を眺めながら腕を組んだ。

 高そうな服が並んでいる。それ以上の情報をここから取得できない。

 ブランドもネクタイの柄の違いも、見分けるには余りにも些細なものだった。

 赤いネクタイと青いネクタイがある。それくらいは分かるが、それだけだ。

 これが楽譜なら、同じ作曲者の表紙が並んでいても収録曲の違いを見分けられるのに。

 ネクタイに太さの違いがあると気づいた辺りで、ジェイミーがスーツとネクタイをいくつか腕にかけたまま、俺の近くへやってきた。

 無造作に服を引っかけた様子は家事の最中と似ているのにも関わらず、彼の姿はやけに様になっていて、そのまま静止すれば誰かがその姿を撮るだろうと思えた。

 スーツが彼と比較して小さいのもあるだろう。彼が持っているのは、俺のサイズのスーツだ。

「ニコは肩幅が狭い方だよな。腰の位置は高いし足は細いからスーツも細身にした上で、アクセサリーで飾る方が俺の趣味。ニコはどっちが好き?」

 彼はスーツやネクタイを持ったままの手をせわしなく動かし、そんなことを楽しそうに話した。

 アクセサリーの類がそもそも好きなのだろう。

 趣味自体がいかにも金持ちの考え方だ。

 自宅付近の治安を考えると、貴重品を見せびらかして歩く奴の気が知れない。

「どっちでもいい」

「だったら、これとこれを着てみて」

 彼にとって、他人の服を選ぶというのはどうやら楽しいことらしかった。

 裏地の色、ポケットの形、シルエットなど、せわしなく手を動かし説明されたが、話の内容は半分も分からなかった。

「ジェイミー、こういうの、慣れてるんだな」

「モデルの仕事で、自分で選ぶこともあるから。まあ、こんなに種類があることは滅多にないよ」

 ジェイミーの先導で、フィッティングルームへの扉を開けた。

 宿泊する部屋ほど広くは無いが、十分生活出来る広さの部屋だ。

 例えジェイミーが寝ても足がはみ出なさそうなソファの前に、菓子の盛り合わせとメニューが置かれている。

 フィッティングルームだと分かる要素は、扉に貼り付けられていたプレートの文字しかない。

 さっきから、いちいち広すぎじゃないだろうか。

 柔らかな布地は薄く、破れないか不安になってしまいそうなほど軽い。

 貝殻を加工して作られた小さなボタンは外すのにもつけるのにも苦労した。

 着た状態でつけられない。

 元々脱ぎ着に時間がかかる服なのか、俺が慣れていないだけか。

 ソファの反対側で着替えていたはずのジェイミーはとっくに着終わり、貝の形をした焼き菓子を咀嚼している。また食べてる。

 待たせていることを俺に気遣わせないためなのか、単に腹が減っているのか分からない。何故まだ食べられるのかも分からない。

 焦りで余計に手が滑って、さっきよりゴールが遠ざかっている気もする。

「オレがやろうか?」

「ん、お願い」

 ジェイミーの指が背中に触れて、自分自身に向かって溜息を吐いた。


 龍を龍だと見抜く方法は、大きく分けて二種類。

 その龍が、ヒトはサングラスを使わないような場面でサングラスをかけている場合。

 背中にある鱗が見えた場合。

 龍は服を着てコンタクトを着けている限り、外見からヒトとの区別をつけることが出来ない。

 逆に、服を脱いだ背中を見せてしまえば、龍だと一目で分かるのだ。


「いいじゃん、青。目の色も青?」

 俺のボタンを留め終わった彼は、皮肉でも冗談でもなく、純粋に綺麗なものを見た時の表情をしているように思えた。

「いや、紫……」

 俺はいくつもの意味で驚いた。

 少なくとも他の龍の鱗を見たことがなければ、色について思うところなどないはずだ。俺の鱗は、確かにかなり青いらしい。

 鱗の上に塗って、鱗が目立たないよう隠すクリームを買ったことがあるのだが、それを塗っても俺の鱗の色はほとんど変わらなかった。

 コツなどを散々調べてからようやく分かったのは、他の龍の鱗は、少なくともクリームの効果があるような龍の鱗は、透き通るような色をしているらしいという事実だった。そして、俺の鱗のように大きくも無い。

 確かに、そもそも全体的に色素の薄い龍は多い。

 その上で。今のようなうっかりでもない限り、龍が自らヒトに鱗を見せることはほとんど無い。

 つまり彼の身近に龍が居るのだろう。

 華やかな世界、海辺とは隔絶された、高層ビルだけで日常が完結する空間で普段は過ごしているのだろう彼に。

 それは不思議な感覚だった。

「龍だって、驚かないんだ」

「あー……。ほら、カラコン」

 ああ、と頷いた。だから、目の色を尋ねられたのか。

 安物を付けた状態で同行していたから、カラコンが先にバレていたらしい。

 その上で、オシャレとしてカラコンをつけるようには見えないということなのだろう。

 実際、特に色にもこだわっていない。

 手持ちはオレンジ色のカラコンばかりだが、単にセール品をまとめ買いしたからだ。

 目を大きく見せる以外の理由で、派手な色のカラコンをつけるのは、龍くらいだ。

 鱗を見る前から察していたのなら、今驚いていないのには頷ける。

「ああ、これ。安くて。目立つか」

「似合っていて、良いと思う」

「モデルやってる人にそう評価されるのは嬉しいな」

 それがお世辞だとしても。

 ようやく着終わって鏡を見れば、鮮やかなオレンジ色の瞳と目があった。

 ストロベリーブロンドの地毛も僅かなピンクが混ざった暖色で、その間から見えるオレンジは、派手ではあるが確かに悪くはないような気がしてくる。

「まあな! センスには自信ある……腹減ったな、バーにでも行くか」

 彼は目の前の菓子を食べきってから、当たり前のように空腹への同意を求めてくる。俺は特に空腹を感じていないが。

「餓死しやすそうな体質だね」

 しまった。これは失礼だ。彼の顔を見上げたが、不快そうな表情は見せていない。

「まあな。この体質がなかったらモデルになってなかったと思う。食べることが大好きだから」

 彼はまた笑っていた。俺の話を冗談だとでも思ったのか、それは楽しそうに笑っている。

 これはただの本音だ。大量の食事が必要な体質なんて、富裕層で無ければ長生きしない。

「俺は何か飲もうかな」

 同行するのは構わないが、食べる気はあまりしない。

「それだったら、レストランのドリンクサーバーか、バーで飲み物を注文するかの二択だな。ドリンクサーバーはコーヒーがおすすめ。バーはジュースの種類が豊富で、森のアイスクリームもある」

 俺が来る前に船内マップでも見ていたのか、ジェイミーは場所の候補をスラスラと提案してくる。

「バーのやつ、何それ」

 この場にあるメニューに、森のアイスクリームという表記は無い。

 何のことなのかは分からないが、高級なものであることは分かる。

 なんたって、陸地でしか作ることが出来ないものというだけでも希少なのに、森の何かという名前なのだから。

「そういうフルーツ。ねっとりしていて、甘くて旨い」

 クッキーもあっという間に食べていたし、多分彼は甘党なのだと思う。

 確か、りんごジュースのコマーシャルでも彼を見たことがある。

「へえ……。ちょっと、食べてみたいな」

「それじゃあ、バーに行こうか」

「うん」

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