第10話更衣室

 ある日のことだった。体育の授業のあとに片付けを手伝っていた私は他の人達よりも着替えが遅くなっていた。

 誰もいない更衣室で一人制服へと着替える。幸いにも今日の授業はもう終わり。多少遅れてもHRまでは時間がある。



ダダダ…



 …?廊下が騒がしい。何か事件でもあったのだろうか?耳をすますと二人の人間が走っているのが分かった。しかし音的に距離は離れている。おいかけっこ…?

 まだ下着姿の私は扉に耳を当てることでしか外の状況を判断できない。早くに着替えてしまったほうが良いのだろうけど、それ以上に外の様子が気になる。…ちょっとだけなら、いいよね。



 私は扉を少しだけ開けて外の様子を覗こうとドアノブに手をかける。ゆっくりと回し、慎重に開けようとしたその時。私の手は予想外のちからで引っ張られた。



ガチャッ



「きゃっ!?」



「うわっ!?ま、真奈さん!?」



「え…!?」



 いきなり開かれた扉から更衣室に飛び込んできたのはいつもの彼だった。彼は勢いのあまり私に激突し、覆いかぶさったような状態になっている。

 彼は私を見てかなり驚いた様子で目を白黒させている。押し倒しておいてその反応はどうなのだろうか…



「な…ち、痴漢…!」



「いやっ、違う違う!こんな時間に誰かいるなんて…」



「おいッ!どこだ雨宮!」



「せ、せんs」



「やっべ!?し、静かにッ!」



「むぐっ!?」



 起き上がろうとする私を再び押し倒した彼は私の口をその片手で塞いだ。彼の塞いだ手は声が出せないほど拘束力のあるものではなかったが、私は重なる驚きのあまり声が出なかった。

 数秒の静寂の後に彼の手は離された。



「…行ったか?」



「ぷはっ…な、何…?」



「いや、体育の山田に追いかけられてて…ていうか、なんでこんな時間にここにいるんですか?」



「別に片付け手伝ってたから遅れただけ…急に入ってきたのはそっちでしょ!とりあえず離れて!」



「あ…すんません…」



 彼は申し訳無さそうに私の上から離れる。まったく、いきなりなんなのだ望んでもいない相手に下着姿を見られるなんて最悪だ…

 私はそそくさと制服へと着替える。その間、彼は入り口付近で正座をしている。



「…なんでまだいるの?」



「…このまま出るとただ更衣室に入った変態になってしまうのでせめてもの弁解をしようかなと」



「…どうしていきなりここに入ってきたの」



「いや〜、体育の授業ちょっとばかし手が滑りまして。俺のハイキックが山田の後頭部に直撃したんですよね」



 どうやらさっきの騒ぎの主犯は彼だったらしい。あの皆に恐れられる体育の教師である山田先生にハイキックを食らわせるとは、不運というべきか愚かというべきか。

 というか手が滑ったなら出るのは手だろう。なぜにハイキック…



「えぇ…」



「紅蓮を狙ったつもりだったんだけどな〜まさか運悪く山田に直撃するとは」



「…それでなんで女子更衣室に?」



「それはこの時間帯なら人はいないだろうし、山田でも迂闊に更衣室の中は見れないだろうなって思ったんですよ。そんな目で見ないでください」



「変態…」



「…あ、やばい戻ってくる」



 彼に蔑む視線を向けていると足音が戻ってきているのが分かった。彼の逃走本能もそれを察知したらしい。



「…まずいな。山田のやつここ見るつもりですよ」



「なんでそんなこと…」



「男の勘ってやつですよ。早くしないとこのままじゃ真奈さんも共犯になっちゃいますよ」



「な、そんな…ここ隠れる場所ないよ!?」



「どこか死角とか無いですか?早くしないと…!」



「急にそんなこと言われても…あ!あそこ!」






ガラガラガラ



「…お、斑鳩か?」



「せ、先生」



「すまん、まだ残ってるとは思ってなかったんだ…雨宮を見なかったか?」



「あ、雨宮くんですか?み、見てない、です…ふふっ…けど…ッ…くふっ…」



「…?そ、そうか。すまん。見たら俺のところに来るように伝えておいてくれ」



「分かりました。伝えておきます。…っふふ」



「それじゃ、HRには遅れないようにな」



「はい。…行ったよ」



「よっと…何笑ってるんすか」



 山田先生が去ったのを確認すると、彼が壁から降り立つ。この更衣室の唯一の死角である扉の上の壁。彼はそこに張り付いて監視の目をくぐり抜けた。その絵面が私にはどうしてもおかしい光景だった。



「いや…だって…ふっ…あははっ」



「いやしょうがないじゃないっすか…死角あそこしかないんですから。そんな笑わないでくださいよなんか俺が恥ずかしいことしたみたいじゃないですか」



「いや…ふふっ…恥ずかしいことしてたんだよ…」







「…ふふっ」



「どうしたんですか?そんな微笑んじゃって」



「いや、傑くんとの思い出を思い出しててさ。ほら、山田先生から逃げてたときのやつ」



「あー、俺が壁に張り付いてなんとかしのいだやつですか。懐かしいですね」



「あの時はまだ傑くんと出会ったばかりの頃だったから襲わなかったけど、今だったら襲っちゃうかもね」



「そうですか。気をつけないとですね」








「…なぁ」



「何?」



「…ここ男子更衣室だよな?」



「そうだな」



「…もう俺帰っていい?」



「やめとけ。虚しくなるだけだぞ」

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