第46話 帰ろう




 それは、予想だにしない現象だった。


『アルが戻ってこなかった』

『心配』

『でも、心配じゃない』


 歪み、拒絶していたはずの言葉たちが整っていた。

 それどころか、彼女はアルベルトの心配すらしていた。


「なんで……?」


 彼女からの返事はない。

 しかし、その歌声が返答となって空へと映し出される。


『演奏が始まった』

『やっぱりいつもと違う』

『心配なのかな?』

『大丈夫だよ』

『きっと戻ってくるから』


「……俺が戻ってくるって思ってくれてたのか」


『だって、いつも私を助けてくれたから』

『引っ張ってくれたから』

『だから大丈夫』

『戻ってくるよ』

『心配しないで』


 拒絶するどころか、信頼すらしてくれていた。


『ほら』

『アルの演奏だ』


 彼女は待っていてくれたのだ。

 あれだけの人々の前で、アルを待つために沈黙を貫いていた。


 怖かったはずだ。

 心細かったはずだ。


 それなのに……。


「なんでなんだ……?」


『一緒に歌うのは心地いい』

『楽しい』

『楽しんでくれてるかな?』

『喜んでくれてるかな?』


「なんで俺を……」


 ——そんなに信用してくれてるんだ?


 母親の敵なのに。

 悲劇の元凶であるのに。


 アルベルトは歌うアリアを見る。

 けれど、彼女は答えてはくれない。

 その問い答えてくれたのは、やっぱり歌声だった。


『何も考えないで生きてきた』

『考えると苦しいから』

『苦しいなら、何も考えない方がいい』

『アルが私を引っ張ってくれた』

『うずくまってた私を連れ出してくれた』


「それは、ただ自己満足で……」


『そんなの関係ない』

『私はとても嬉しかった』

『一人じゃなくなったって思えたから』

『お母さんのことも思い出せた』

『それは辛かったけど』

『アルもお母さんを想ってくれてるって知って』

『やっぱり安心した』

『だからね』


 彼女の雰囲気が変わる。

 胸の前で手を組み、目を閉じて。

 それはまるで祈っているようで。


『私は貴方と一緒に歌っていたい』

『もう、一人で歌いたくないの』

『悲しくても』

『貴方を一緒に歌えたら進める気がするから』


「ぁ————」


 喉が震えた。


 アリアは初めから拒絶などしていなかった。

 それどころか、アルという存在が彼女の中で大きくなっていた。


 許される、許されないではない。

 最初から、彼女にとって——


『一緒に歌おう』

『今はティルナとレスターがいないけど』

『彼らしかいないけど』

『アルと一緒に歌うのは心地いいから』

『歌いたい』

『歌ってるけど』

『一緒に』


「ははは……」


 別れるために渾身の演奏をしたというのに……。


「……勝手だなぁ…………本当に勝手だよな」


 人の気も知らないで。

 でも、その強引さがたまらなく嬉しくて。


 喉に熱を帯びていた。

 同様に、胸にも。

 腕に力が入り、足に力が入る。


 歌う彼女と背を合わせで、構えた。

 力を抜き、息を吐いて。


「スゥ……ハァ…………」


 自然と力が抜けていく。

 けれど、籠った熱はそのままだ。

 目を閉じれば、熱さが頬を伝って落ちていく。

 そして——


「————————」


 森に二人の演奏が響き渡った。


『一緒に歌おう』


「ああ」


『楽しいね』


「そうだな」


『彼らも喜んでる』


「それはよかった」


『私も嬉しい』


「俺もだ」


『もう一人は嫌だよ?』


「それは答えられないな」


『ずるい……』


「ははは……」


『悲しいの?』


「いや、違うよ」


『よかった』


 言葉だけじゃない。


 赤いトカゲが地を這い。

 青い人魚が空を泳ぎ。

 黄色い小人が騒ぎ。

 緑の妖精が宙を舞う。


 視覚でしか捉えられない歌声が、奏でられた音に乗って踊っていた。


『綺麗だね』


「ああ、綺麗だな」


『喜んでくれたら嬉しいな』


「喜んでるよ」


『なら良かった』


 赤は炎を灯して。

 青は水に濡れて。

 黄は土を揺らして。

 緑は風を吹かせた。


 それだけじゃない。


 赤い男が。

 青い少女が

 黄色い猫が。

 緑の女性が


 像を結び、実体が生まれ、音楽と共に舞い踊る。


 炎を纏って踊る男は、情熱的なダンスを。

 水に濡れて踊る少女は、静謐な踊りを。

 植物と触れ合う女性は、活性の舞を。

 唯一、猫だけは地べたに寝転んで。


 彼ら、彼女らに色彩が戯れていく。


 緑の女性が赤いトカゲを手に乗せて。

 青い人魚黄色い猫を撫でていて。

 黄色い小人が青い少女の足元で騒いで。

 赤い男が緑の妖精と話している。


 いつ見ても色褪せない——幻想的な光景だ。


「綺麗だな」


『うん』


「楽しいか?」


『うん』


「いいのか? 一緒にいても」


『うん』


「本当に?」


『うん』


 現れる言葉は肯定ばかり。

 そこに微塵も否定の言葉は見つけられなかった。


「帰ってもいいのか?」


『みんな待ってるよ』


「ああ」


『ティルナもレスターも』


「……ああ」


『だから一緒に帰ろう』


「………………ああ」


 色が入り乱れる。

 白と黒が現れて、共に歌う。


 綺麗で、綺麗すぎて。

 滲む色彩はどこまでも綺麗で、無限に広がっていた。


『なんでだろうね?』


「どうした?」


『色が……見えるよ』


「ああ、本当だ」


 白と黒、灰色に染まっていた景色が、その色を取り戻していた。

 熱が止まらない。

 普段普通に見えていた景色が、なんでこれほどまでに綺麗なのだろう?


 無くしてしまったから、その価値に気が付いたのか?

 分からない。

 分からないけれど——


「綺麗だな」


『そうだね』


 結局出てくるのは安直な感想で、アルはアリアと共に笑みをこぼした。






 ——演奏を終えて。

 アルが楽器をケースにしまっていると、突然間に手が差し込まれた。


「どうした?」


 当然、彼女からの返事はない。

 もう一度視線を落とすが、彼女の手は僅かに揺れているだけで動きそうになかった。


「ちょっと待ってくれ」


 急いで楽器をしまう。

 その間も手は動かず、アルへ思わずクスリとこぼしてしまう。

 そして——


「待たせたな」


 差し伸べられていた手を取ると、クッと手を引かれる。

 少女らしい、軽い力だ。

 でも、アルはその力には逆らわずに。


「よし、帰ろう」


 引かれるままに、一歩目を踏み出した。

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