第45話 心を映す色彩の歌




『私の世界はあの小屋だけだった』

『それだけで満足してた』

『あの子たちには気味悪がられた』

『だから、また小さな世界に戻ってきた』


 文字が浮かんでは消えていく。


『毎日、ただ生きていた』

『森で歌っていたのは、何か思い出せそうだったから』

『彼らだけはちゃんと色が見えた』

『それがとても苦しかった』


 森を背景に、様々な色が浮かぶ。

 素晴らしい景色であるはずなのに、アルベルトは彼女の事を想うと素直に喜べなかった。

 それでも、浮かんでくる言葉は止まらない。


『苦しいのに、やめられなかった』

『嫌なのに』

『歌いたくなんてなかったのに、歌っちゃう』

『そんな毎日を過ごしていたら、貴方があらわれた』

『貴方だけは色があった』

『なんでか分からないけど、気になった』


 合点がいった。

 あの、諦めの色で埋め尽くされていた瞳——その中に感じた興味の色はこれの事なのだろう。


 ……でも、なんで俺だけ色が見えたんだ?


 分からないことだらけだ。


『気が付いたら、あの森で歌ってた』

『歌うのは苦しいはずなのに』

『毎日は行けなかったけど』

『あの子たちとは会わなくなってた』

『なんで気味悪がるの』

『痛い』

『寒い』

『怖い』

『痛い』

『怖い』

『怖い』

『寒い』

『……あの人だけは怖く感じなかった』


 埋め尽くされる負の言葉。

 アルベルトはその中に一節だけ、違う言葉を見つけた。

 それからだ。

 徐々に、本当に少しずつであるが、負の言葉の大群から違う言葉が増えだしたのは。


『寒い』

『痛い』

『どうでもいい』

『なんであの人は怖くないんだろう』

『誰?』

『なんで森に来たの』

『楽しいの?』

『喜んでくれたの?』

『逃げちゃったけど、大丈夫かな?』


 少しずつ増えてきた興味という感情。


『今日は来なかった』

『寒い』

『今日は来ないのかな?』

『今日は一人』

『どうでもいい』

『あと二人は誰?』

『また逃げちゃった』

『明日は逃げないようにできるかな?』


 対照的に、無関心や負の感情が少なくなっていく。

 同時に、歪みが目立っていた文字が徐々に整っていって。


『痛い』

『石?』

『なんで?』

『子供?』

『やめて』

『痛いよ』


 再び文字が歪んだ。

 おそらく、子供に石を投げられていた時のことだろう。


 再び歪んだということは、彼女の心が傷ついていたということに違いない。

 アルベルトは当時を思い出し、歯噛みした。

 けれど、すぐに変化は訪れて——


『誰?』

『見覚えがある?』

『ああ……よかった』


 文字が整っていく。

 一文が現れるごとに文字が整っていき、最終的には歪みは殆ど分からない程度まで落ち着いた。


『女の子?』

『見覚えがある』

『あの人と一緒にいた』

『話せないの』

『出てっちゃった』

『戻ってきた』

『あの人も一緒だ』


 次々と現れては消えていく文字の奔流。

 見てはいけないはずなのに、目が離せない。

 そんなアルベルトの葛藤とは裏腹に、彼女の記憶の追体験は止まらなかった。


『おいしい』

『すごくおいしい』

『とってもおいしい』

『彼……アルっていうんだ』

『なんだろう?』

『すごく歌いたい』



『暗い』

『でも大丈夫』

『着いた』

『歌……』

『やっぱり色が分かる』

『どうでもいい』

『彼が来た』

『なんで?』

『楽器?』

『演奏するの?』

『続けるの?』

『……よく分からないけど』

『わかった』



『誰か走ってきた』

『あの子……ティルナだっけ?』

『心配してくれた?』

『嘘?』

『嘘じゃない?』

『本当みたい』

『笑ってくれてる』

『よかった』



 アリアがいなくなって、森で初めて森で演奏した時の記憶だ。


『人がいっぱい』

『ご飯……』

『おいしい』

『誰?』

『先輩?』

『目が怖い』

『やだ』


 

『行っちゃった』

『ティルナって人と二人』

『どんな人なんだろう?』

『なんだろう?』

『落ち着かない』



『演奏が聞こえる』

『微かだけど聞こえる』

『お風呂』

『小っちゃい』

『お風呂は大きい』

『暖かいけど……寒い』



『アルがいた』

『空見てる』

『悩んでる?』

『歌おう』

『喜んでくれるかな?』

『元気づけられる?』

『私の名前』

『呼んでくれた』

『うん』

『お願い?』

『わかった』


『人がいっぱいだけど歌う』

『怖いけど歌おう』

『アルが来た』

『喜んでくれる?』

『驚いてる』

『喜んでくれたみたい』

『そっか……よかった』


 これは、練習でアルベルトがミスを連発した後の記憶だろう。

 森で彼女の名前を知って、お願いして。

 食堂で彼女が歌い出したのは驚いたが、今となっては良い思い出だ。


『誰だろう?』

『少し気になる』

『うまくいったみたい』

『みんな見てる』

『ちょっと怖い』

『終わり?』

『部屋で一人……』

『戻ってこないかな?』



『ずっと食べてる』

『でもおいしい』

『くるしい』

『お腹いっぱい』

『まだ食べてる』

『酒場?』

『ああ……また同じ』

『怒ってくれてる?』

『落ち着いた?』

『やっぱり……』

『どうでもいい』

『この人たちは違うかも』

『……まだ、食べるの?』



『また来たね』

『演奏するの?』

『いいよ』

『初めて聴いた曲……』

『でも、なんか心地いい』

『今日は苦しくないや』

『歌ってたい』

『一緒に帰る』


 フリント様の来訪と休日。

 そして、森での演奏の記憶だ。


『アル……体調悪いみたい』

『心配』

『でもおいしい』

『やっぱり心配』

『いつもと違う』

『アルがいないから?』

『ティルナも元気ない』

『レスターも』

『みんな元気ない』

『私も元気ない?』



『黙って来ちゃった』

『なんで来ちゃったんだろう?』

『寝てる』

『起きた』

『驚いてる』

『なんで?』

『お母さんはこうしてくれた』

『なに?』

『なんでもないの?』

『おやすみ』


 これはアルベルトが風邪をひいた時の記憶

 そして——


『アルがいなくなった』

『みんな心配してる』

『私も……』

『ハイゼングルド……』

『そうなんだ……』


 アルベルトが飛び出した後——公演当日の歌だろう。

 歪んだ言葉に、アルベルトは眉を寄せる。

 

 その名前が現れた瞬間に歪んだ事実で、彼女の感情はよく分かってしまう。

 魅入られて、憧れて。

 アリアと知り合い、中を深めてきた——その最終地点は拒絶なのだろう。


 ……分かりきってたことだけど、なんだかな。


 笑えない。笑えるわけがなかった。

 どんな悲劇だ。

 見惚れた歌声に、その相手に……自分は最悪の地獄を押しつけていた。

 彼女が苦しんでいる間に、のうのうと音楽に染まって生きてきてしまった。


 笑えるわけがないだろう。

 泣くわけにはいかないだろう。


 だから、彼女とは離別するのだ。

 これ以上、彼女を苦しめないために。


 ズキリを痛みの走った胸を無視して、アルベルトは後退った。

 変化が生まれたのはその直後だ。


 歌姫アリアの歌が、更なる色彩を増した。

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