第7章 貴方に贈るアイの歌
第42話 その音色はただ一人の為に
月明りに照らされて、微かな風に煽られている白の長髪が銀に輝いている。
黒い草を踏みしめて、無表情ながらもしっかりとこちらを見つめている錆色がやけに鮮やかで。
黒と白、あるいは灰色のグラデーションになりかけている世界で、彼女だけが正しく色を持っていた。
「……どうしたんだ? ティルナが心配してるんじゃないか?」
白々しい問いかけだ。
しかし、今のアルベルトにはそれ以外の選択肢は無い。
用件など分かっていても、頷けるはずがないのだ。
勝手に行動を始めた挙句、最終的には大事な……この街にとって重要な位置付けとなる公演から逃げて、参加する資格など無いはずなのに勝手に横やりを入れた。
勝手、勝手……勝手だらけだ。
そんな自分が、どの面下げてみんなと会えばいいのか?
会えるわけがない。
「早く帰った方がいいぞ。俺はもう少しゆっくりしてから帰るから」
フッと、アルベルトは笑みを作る。
「アリアも公演で疲れただろ? あれって意外と体力使うんだよな。俺は歌は歌わないから分からないけどさ、演奏する時は全身で表現するし、集中もするから」
中身の無い会話は、虚しく風に溶けていった。
アリアからの反応は無い。ただ彼女は切り株に向かって歩いてくるだけだ。
一歩、また一歩と近づいてきて、彼女の綺麗な白髪も、錆色の中央にある黒の瞳孔すらもよく見えるようになっていく。
重なっていた瞳が逸れた。
すぐ後にはアルベルトの横で白が煌めき、背中に彼女が座る気配だけを感じる。
「…………」
今ほど、彼女が喋れないことを残念に思う瞬間は無かった。
……罵詈雑言でも、憎しみでも、何か言ってくれれば楽になるんだけどな。
思わず苦笑してしまう。
言いたくても言えないのか? それとも言う価値すら無いと思われているのか?
どちらにせよ彼女が被害者で、アルベルトが加害者であることは覆すことが出来ない事実で。
……いや、それを願ってる時点で俺は最悪だな。
なんで楽になろうとしているのだろうか。
何をしようと、起きてしまった事は覆らない。それならば、
命を捨てることが償いだとは思わないが、それが命を奪うという罪を犯した人間が想うことであり、義務なのだとアルベルトは考えていた。
「………………謝罪はしない。する資格が無いから……だから、アリアがしたいようにしてくれ」
ナイフの一本でも持っていればよかっただろうか?
そうすれば、非力な彼女でも自分に鉄槌を下せるはずだったのに。
「ディラニテ=ウェン=ハイゼングルド……レジーナ=ハイゼングルド……君のお母さんの命を奪った二人は俺の両親だ。もう捨てたと思ってたけど、アルベルト=ウェン=ハイゼングルドの名前は捨てられない。捨てちゃいけなかった」
王族の血が流れているから付けられる——ウェンという名前。
高貴な血筋であり、この国では最高の栄誉である名前は……今やただの呪いでしかない。
「……でも、捨てられなかったからこそ、俺の命を君に捧げることが出来る。抵抗はしないし、する気もない」
アルベルトは目を閉じて。
「首を絞めようと思えば、君のその細腕でも私の命は奪えるだろう? 森に落ちてる木で好きなだけ殴ったっていい。好きにするといいだろう」
真っ暗になったおかげで、最悪の景色は見えない。
しかし同時に、アルベルトは彼女の行動を目に収めることが出来なくなっている。
暗闇の恐怖の中で、断罪の時間を待つ。
それが自分で定めた罰であり、自分に課した贖罪だ。
でも——
「……………………なんで何もしないんだよ……」
アリアは何もしなかった。
無抵抗なアルベルトの首に触れるどころか、悩み、手を伸ばそうとする気配すら感じられない。
「ははは……そうか、そうだよな。それすらする価値が無いってことか」
ストンと、やけにすんなりと納得できた。
考えてみれば当たり前だ。
憎しみと労力は比例しない。憎いから復讐するという考えを持つものがいれば、復讐する価値もないと判断する者もいるはずだ。
アリアはきっと後者で、復讐されたいと思っていたのはアルベルトだけで、結局また自分は楽になりたかっただけなのだ。
……本当に救えない。
虚しさで、全身の力が抜けた。
その勢いで死んでしまいたくても、健康なこの体はそれを許容してくれない。
涙も出ない。
笑いすらも出ない。
ただただ言葉を失って、アルは真っ黒になった雑草を見続ける。
そして——
「そうだな。これで最後にしよう」
幸い、手元には楽器がある。
使ってくれる者を待っていた——そうフリント様は言っていた。彼の言葉はふいにしてしまうが、これで最後にしようと。
ゆっくりと腰を上げ、ケースから楽器を取り出す。
傷を負った状態で使ったからだろうか。受け取ってから手入れを欠かしていなかった楽器は、アルベルトの血で穢れていた。
言葉はいらない……彼女は言葉を使わないから。
言葉はいらない……もう、その段階を過ぎてしまったから。
姿勢を正し、弓を構える。
傷や土埃に汚れたアルベルトとは違い、森に吹く風は清らかだ。
最後の演奏……それだけは汚してはいけない気がして。
———————
弦に弓を触れさせて、弦に指を触れさせて。
響かせる音色はただ一人の為に。
これは
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