第41話 色を失くした世界で




 比喩でも誇張でもなく街中に響き渡っている拍手。

 音を街中に伝えるための機材の効果もあった。だが、一番効果的だったのは最後……あの白と黒の舞だ。


 空一面を染め上げたあの踊りは、人々の心を確かに救ってみせた。

 しかし、自惚れてはいけない。

 彼女の歌があったからこそ、ハイゼングルドの民は救われた。

 彼女がいたからこそ、この街では称賛の拍手が鳴り止まずにいる。


 では、自分は?

 人の心を救ったと自惚れて、結局は何も救えていなかった自分は?


 自己満足の果てに身動きが取れなくなって、最初に抱えていた願いさえも見えなくなって。

 ただ言われるがままに、求められるままに、心の伴わない行動だけをした自分は何なんだろうか?


 分からない……分からないのだ。

 自分が何なのかも。何がしたいのかも……。


 想いは幻想だった。

 願いは空虚だった。


 それに気が付いてしまってからは、やけに景色がくすんで見えるようになってしまった。


 あれだけ光り輝いていた色彩も。

 あれだけ心に響いていた歌声も。


 だから——




「——っ!!!」


「ティルナ待て!」


 背後から響くレディン先輩の叫びを、ティルナは無視して走り出す。


 公演は終わった。

 広場には大勢の人がいて、楽団への期待の目を向けている。

 でも、ティルナには関係がない。


「アルくん……」


 この後のことなんて知ったことか。

 演奏が終わった以上、この後の主役は団長やトップの三人だ。ティルナにもスポットライトは当たるかもしれないけれど、それよりも大切なことがある。


「アルくん……!」


 彼の音色が聞こえてきた方向を頼りに人混みの中へ。

 入り乱れる人の波を潜って、ティルナは一心不乱に目的地を目指す。


 時折、人の拳がぶつかろうとも気にしない。

 そんな痛みなんて、彼の感じている痛みと比べれば屁でもない。


 支えると約束したのだ。

 彼としたわけではないけれど、彼の父親から頼まれ、ティルナは了承した。

 でも、それだけではないのだ。


 小さい頃、助けてもらった。

 よく泣いていた頃、ずっと一緒にいてくれた。


 彼にとっては当たり前な、些細な事だったのかもしれない。

 それでも、ティルナには大切な宝物で。


「すいません、通してください……!」


 人混みをかき分けて、半ば無理やりに通り抜けて。

 ティルナはどうにか人混みを越えると——


「音の聴こえ方からして高い場所から……二階だよね。それでアルくんが入れる場所は?」


 お店が立ち並ぶ広場だ。彼が入ることが出来る建物は多い。


「お店になると演奏は難しいよね。広場からそんなに近くなくて、それでいて広場が見渡せる……あと、演奏が出来そうな場所は——?」


 条件の合う建物を見つけ、中に飛び込んだ。


「いらっしゃ——」


「少し前に男の子が入りませんでしたか!?」


「いきなりなんだい……? 来たけど……」


「ありがとうございます!」


 制止の声を振り切り、階段を駆け上がる。

 それから、広場が見渡せそうな位置にある部屋を見定めて。


「アルくん!」


 ティルナは部屋の扉を開け放った。

 同時に吹き込んできた風と喧騒の音に目を細め、部屋の住人を探す。けれど——


「アルくん、どこ行ったの……?」


 探していた想い人は、部屋のどこにもいなかった。




 灰色になりかけている道を進む。

 生命を感じる葉っぱの緑はくすんで、どす黒さを増していた。

 足で踏む土の茶色は変色して、ほとんど真っ黒になっていた。


 それでも、アルはひたすらに歩みを止めないでいる。


 止まってしまったら、もう動けなくなりそうだったから。

 止まってしまったら、また思い出してしまいそうだったから


 逃げるように歩いて、歩き続けて、たどり着いたのは始まりの場所だ。


「ははは……なんでこんなところに来ちゃったんだろうな」


 何も考えないようにして歩いていたら、ここにたどり着いてしまった。


「まあ、ゆっくり考えるのにはいい場所だろうけど」


 苦笑して、中央に埋まっている切り株に腰掛ける。

 円形に繰り抜かれた木々の奥に見える空は青いはずなのに濁っていて、わずかに覗く白い雲は怖いくらいに白いままだ。


「皮肉なもんだよな……アリアの歌に魅せられたのに、今じゃ俺が色を上手く見れないんだから」


 広場で見た光景ですら、もうそうなっていた。

 あれだけ心奪われたのに、夢見るまでに魅入られた光景が色褪せたものにしか見えなくなっていた。


「神様っているのはよく見てる……本当に気持ち悪い」


 色に焦がれた少年は、罰として色を奪われる……天罰だと思えば、そう悪くない結果だ。

 そう考えてしまっている自分が、嫌になるほど気持ち悪い……気持ち悪いから。


「ははは、はは……あはははは……!」


 一度笑いだせば、もう止まれなかった。

 頬に冷たさを感じながら、アルは一人で笑い続ける。


 ……それから、どのくらい笑い続けていたのだろう。


 笑みは枯れ、ただただ空を見つめていた——そんな時だ。

 カサリと、草を踏む音がアルの耳に届いた。


「誰だ……?」


 上げていた顔を落とし、音の方向へ向ける。

 真っ暗に染まった森の奥。微かに見えるその姿は、近づいてくる度に月の光を吸収し、白く輝いて。


「アリア……」


 黒い森に浮かぶ白髪。その奥から覗く錆色の瞳は、真っ直ぐにアルを見つめていた。

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