第39話 叱責は微かに熱を再燃させて
「くっそ……」
人の通らない路地裏で。
アルベルトはひび割れた壁に背をもたれさせ、荒い息を吐いていた。
「始まった、か……」
音色が鼓膜を揺らしている。
しかし、それ以上にこめかみから発せられるズキズキとした痛みが、心地よいはずの音色を上書きしてしまう。
アルベルトはボロボロだった。
スラムの住人から投げつけられた石がいくつも命中し、シャツは破れ、ところどころ流血してシャツを赤く染めている。
それでも、ここまでどうにか来ることが出来たのだから幸運だったのだろう。
それほどまでにスラムの住人は怒り狂い、アルベルトへと攻撃を加えてきたのだから。
「はは……でも笑えるな。こんな状態でも演奏に合流しようとしてるんだから」
失意のどん底に落ち、それでもここまで来た。
それは、途中で投げ出したくないという義務感でしかない。
だが、それも終わりだ。
体中が痛み、呼吸は乱れている。
姿はボロボロで、とても人前に出れる状態ではない。
「髪も拾った布で隠してるけど、それもいつまで持つか……」
見た目はもはや、襲われて捨てられたような状態だ。
何人か前を通ったが、関わりたくないと見て見ぬふりをして去っていった。
「まあ、髪を見られたくないから良かったけどな……」
人々のハイゼングルドへの憎しみは、スラムの人間ほどではないが深い。
あの悲劇が切っ掛けで身を堕としたスラムの人々は、本気でアルベルトの命を狙ってきた。
そんな状態でどうにか逃げてきたわけだが……かといって、この付近の住人が助けてくれる可能性はほぼ皆無である。
「むしろ、とどめを刺されたりしてな」
思わず笑ってしまう。
……悲劇の元凶としては、相応しい姿だな。
街を瓦礫の山に変え、炎に濡らした原因の一人がここで終わる。
どうせそれで終わるのならば、最後にこの演奏に耳を傾けるのも悪くない。
これが天罰だと、アルベルトは俯いたまま目を閉じて——
「ここにいたか」
聞こえてはいけないはずの声が聞こえた。
「どうして……?」
「君が消えたと聞いたからだよ。アル君」
この街の最重要人物。
本来であれば貴賓席で演奏を楽しんでいるはずの人物。
貴族の礼服を着こみ、煌めく金の髪を携えて。
フリント様が、アルベルトを見下ろしていた。
「いや、アルベルト君といったの方がいいのかな?」
彼は頭に乗っていた布を取り払った。
そして、露わになった白金の髪を見下ろして笑う。
「まさか、ハイゼングルドの跡取りが君だったなんてね。はははっ、ガルズ殿にしてやられたよ」
「……俺を捕えますか?」
「それもいいんだけどね。その前にやって貰わないといけないことがある」
そう言うと、投げ出されたアルベルトの太腿の上に何かが置かれた。
見間違えもしない。彼から託されたアルの分身だ。
「楽団の全員が君を待っているよ。もちろん、アリア嬢も」
優し気な声音が降ってきて、アルベルトは手を伸ばしていく。
しかし、その手が触れる前に止めて。
「……出来ません」
「それは何故だい?」
「俺はこの街の罪の象徴です……そんな俺が演奏したところで、この街の人たちに笑顔を取り戻させるわけがない」
やらかしたことが消えることはない。
時間が解決することなど……ありえない。
「加害者である俺が、被害者を助けられるなんてお門違いだったんですよ。加害者は加害者しく、罪を抱えたまま消えた方がいいんです」
目を逸らして。
見ないままにして。
そのまま進もうなんて、そんな虫のよい話はないだろう。
「フリント様には申し訳ないですけど、それはお返しします。俺が持っていていいものじゃない」
芸術を愛し、人脈も広い彼のことだ。
自分よりもふさわしい人間などいくらでも見つかるだろう。それならば、その人に使ってもらった方が楽器のためだ。
アルベルトは伸ばしかけていた腕を降ろし、楽器だけを見つめる。
やがて、フリント様が腰を下ろして、置かれた楽器を掴んで。
「私はそうは思わない」
彼はアルの分身だったそれを、アルベルトの胸へと押し付けた。
「君がしようとしているのはただの逃げだよ。逃げて、逃げ続けて、目を背け続けた先に何が残るというんだい?」
「それは……」
「それが罪人にふさわしいなんて言わないでおくれよ。誰だって大小はあれど恨みは買うものだ。それを罪というならば、この世に罪の無い人間はいない」
「そんなの……」
詭弁だ。
たった一言が続かない。
それほどまでに、フリント様は有無を言わせぬ物言いで、表情には怒気が浮かんでいた。
「私もね、怒っているんだ。君の罪についてじゃない……君のその性根にだよ。なにが罪人だ。何が贖罪だ! やれることがあるはずなのに、状況に流されるばかりで前を、見なくてはいけないものを見ない……それが男のやることか!」
肩を揺さぶられる。
「願ったんだろう? 行動していたんだろう? なら、途中で投げ出すんじゃない! やりきって死んで見せろ! やりもせずに蹲って、もうダメだと動けないでいる……それが一番カッコ悪い!」
フリント様の言葉は、痛む頭を打ち抜いた。
容赦なく、慈悲もなく。
けれど、それが良かったのかもしれない。
……そう、かもな。
腕に力が戻る。
別に後悔が無くなったわけじゃない。気分が楽になった訳じゃない。
だが、やるべきことがあるならば、やらないといけないと教えられただけだ。
それなら、どうにか動ける。
「……演奏に合流します。この姿じゃ普通に合流は出来ないけど、やれることはあるはずだから」
分身を受け取って、立ち上がる。
痛みにふらついてしまうが、どうにか足に力を入れて。
「フリント様……ありがとうございました」
「どういたしまして」
フリント様が貴族の礼を取ってみせる。
そして、少し悲し気に微笑んで。
「あの娘を頼んだよ」
「分かりました」
その言葉だけで十分だ。
アルベルトは握る力を強めると、足を引きずりながらも先を急いだ。
広場近く。
宿の一室を借りて様子を見る。
「アリアのパートか……でも、なんで歌ってないんだ?」
広場はガヤガヤと騒がしくなっていた。
本来であれば演奏中であり、
それなのに、この状態ということは。
「何かあったのか?」
彼女の歌声である色彩が見られない。
アクシデントなのか?
それとも、彼女の意思なのか?
分からない。だが——
「関係ないな」
笑って見せた。
不思議と気分は落ち着いていて、今この瞬間が自分のステージだと実感できる。
彼女を導けるのは自分だけだ。
連れていけるのは自分だけだと。
緊張はない。逸りもない。ただただ——
「スゥ——」
構える。
そして……。
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