第36話 罪が追いかけてきた




「ここが……」


 アルは小屋の前にいた。

 それはボロボロで、到底人が暮らしていたとは思えない。


 団長室を飛び出して。

 感情のままに走って、落ち着いてきた時にはスラムへと足を向けていた。

 半ば勘でしかなかったがどうやら正解だったらしく、人に訊ねながら向かった先にはこの小屋があった。


「鍵も無いのか……」


 押しただけで開いてしまう扉。

 壁は隙間風が入り放題なほど痛んでいて、家具なんてほとんどない。

 飲み水などを貯めるためだと予想できる桶にはすでに水は無く、ただただ生活感の無い廃墟のような光景が広がっている。


「こんなところに住んでいたのか……」


 涙が出てきた。

 アリアはここでどうやって暮らしていたのだろう?


 ここまで来るまでに出会った者は、総じて彼女に良い感情を持っていなかった。

 それは決して憎しみではなかったが、あの感情を向けられ続けるのはさぞ苦しかったことだろう。


 だが、彼らの気持ちも分かるのだ。

 亡き英雄の忘れ形見……それは、どうしても生前の彼女を思い出してしまう。


「はっ……」


 思わず自嘲してしまった。


 今になって実感する。


「俺はただ、見ないようにしてただけだ」


 髪の色が違うなんて言い訳だ。

 瓜二つの相貌。同じく心を魅了する歌声。彼女とアリアを繋げる根拠なんてたくさん転がっていた。


 記憶に蓋をして、心に蓋をして。

 ただただ彼女を救った気になって、自己満足に酔っていただけだった。


「バカだったのは俺だ……」


 白金の髪を唯一持つことを許されたハイゼングルド領主……彼に近い髪色のアリアはさぞ嫌われていただろう。

 悲劇の被害者が、悲劇の加害者を彷彿とさせる……なんて地獄だろうか。


「今更気付いたって遅いんだけど、な」


 彼女の魂は、ここに還ってきているだろうか?

 今は屋敷にいるはずの彼女の帰りを、じっと待ってはいないだろうか?


「ごめんなさい」


 気付けば、床に頭をこすりつけていた。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」


 謝って許されることではない。

 けれど、アルにはこうすることしか出来なかった。




「…………」


 アルが小屋を出た時には、もうすでに日が傾きかかっていた。

 涙で目が腫れ、嗚咽で治りかけの喉を再び傷めて。

 こんな姿をティルナにでも見られてしまったら心配されてしまう——そう思っても、どうすることも出来ない。


 ただただ帰るために。

 ただただ明日の演奏をするために。


 アルはふらつきながらも、ただただ屋敷に向かって歩き続ける。

 そんな時だった。


「あぶねぇ!」


 頭上からの衝撃。

 痛みはない。しかし、冷たさがあって。


 ————ドクン


 自分が濡れているという事実に、心臓が一際跳ねる。


「大丈夫か!?」


 おそらくは屋根の掃除でもしていたか。

 捨てた水がアルにかかってしまったために、慌てて屋根の上から降りようとしている男が見えた。


 ……来ないでくれ。


 そう願っても遅かった。


「すまねぇな。水を撒いてたらあんたに気が付かなく、て……」


 男が目を見開いた。

 その瞳に映るアルの姿に、心臓が脈を打った。


 ————ドクン


 心臓の音がうるさい。

 何度も何度も早鐘を打ち、外の音を遮断する。

 けれど、目の前の男の声だけがやけにクリアに聞こえて。


「あんた……」


 男の形相が怒りに変わったのが分かった。


 当たり前だ。

 しかし、ここまでくるといっそ笑えてしまう。


 雨には気を付けろと言われてきたはずなのに。

 水には気を付けてきたはずなのに。


 眼下を見れば、白いシャツが水に濡れて茶色に染まっている。


 ————ドクン


 うるさい。けど、心地いい。

 隠していたものがさらけ出され、こうして憎しみを向けられているのが心地よい。


「アルベルト=ウェン=ハイゼングルドか……!!!!」


 ……罪が追いかけてきた。

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