第35話 ルーチェ=リヴァ―ルの一生




「親父……」


「団長と呼べと言ってるだろう」


 体調が回復してから、アルは真っ直ぐに団長室に訪れていた。

 空が曇っているからだろうか。室内はランプが灯されているものの薄暗く、そのせいで養父の表情が読み取りづらい。


「体調は戻ったようだな。練習には参加しなくていいのか? 明日が公演だろう?」


「まだ始まってないだろ。話が終わったら行くよ」


 時間的には間もなく練習が始まる時間だ。

 だが、最終日である今日は調整がメインで、長時間の練習はおそらく無いだろう。そのため、多少話をしてから合流するくらいの余裕はあるはずだ。

 アルがソファへと向かうと、ガルズも諦めたのかため息交じりに席を立った。


「コーヒーはいいよ。そう長話をするつもりもないし」


「いや、私が飲みたいんだ。それに、一人で飲むのも味気ない」


 ガルズはそう告げると、手慣れた手つきでコーヒーを淹れ始める。

 アルがソファに座って待っていると、カップを二つ持った養父が正面に座った。


「砂糖は?」


「いらない」


「そうか」


 短い問答の後、カップが正面に置かれる。


「それで、話とはなんだ?」


 コーヒーをすすりながらの問い。

 それに答える前に、アルもコーヒーを一口飲んだ。


 口の中に広がる苦みが思考をクリアにしてくれ、いまだ纏まりきってなかった考えを整理する手助けをしてくれる。

 そして、カップを置いて。


「アリアの事だ」


 ガルズは目を閉じて聞いているだけで、返答はない。

 かまわずアルは続ける。


「たぶんだけど……調べてあるんだろ? じゃなきゃ、彼女が団に仮入団するってなった時に、後悔するなんて言えるわけないからな」


 アルが後悔するといったのであれば、それはこの街に関係のあることだ。

 アルが後悔するということは、彼女に関係しているということだ。

 そして、同時に思い出すのはアリアと彼女が被ったという事実。


 うやむやは許さないと、アルは育ての親を睨みつける。

 すると、彼はカップを置き、深い、深い息を吐き出して。


「昔話をしようか……」


 そう言って、ガルズは見えもしない空を見るように天を仰いだ。

 そうして告げられたのは、一人の少女の昔話だった——






 ルーチェ=リヴァ―ル……金糸の髪に焦げ茶の瞳を持つ少女は、歌が好きだった。

 なぜなら、歌を歌っていれば両親が笑ってくれたから。


 切っ掛けなんて、そんな些細な事で十分だった。

 それだけで歌が大好きになって、日に日にその感情は大きく膨れていく。


 両親から隣人へ。

 隣人から村の人へ。


 やがて少女は村の人だけではなく、村の外へと目を向けることになる。

 両親に相談し、歌を生業に旅をすることになった彼女は、酒場や道端で歌を披露し、路銀を集め、旅を続けていく。


 繊細で、力強く、そして心地よい。

 彼女の歌声は寄る街々で受け入れられ、街に定住することを各地で望まれながらも、彼女は断固としてそれには頷かず、頑なに旅を続けていく。


 歌っては旅をして。

 移動しては歌って。


 はるか昔であれば、女の一人旅……それも戦う術の無い一人の少女が旅をするなんて夢のまた夢だった。

 しかし、魔法がおとぎ話の産物となり、魔物という存在が物語の上だけとなった現在では、そう難しいことではなかった。


 人々の暮らしは豊かになった。

 そのおかげか、貧富の差はあれど、盗賊に身を堕とすほど追い込まれる人が皆無になったからだ。


 もう一つは、彼女自身が情報収集を大事にしていたということもある。

 人ではない存在との戦いは無くなった。

 しかし、人は人と争う。

 だからこそ、彼女は危険のある場所には決して近づかなかった。


 そうやって彼女は自身の身を守り、旅を続けてきたのだ。


 旅を続けて、歌い続けて、やがて彼女はある街にたどり着くことになる。

 そこで出会ったのは一人の青年。

 酒場で歌っている彼女の横に乱入し、楽器をかき鳴らしていった大バカ者だ。


 演奏などしたことが無かったのに、彼女の歌に聞き惚れて。

 当然客からは罵られたが、彼は毎日毎日彼女と演奏を続けていたそうだ。


 彼女は長い間この街にとどまった。

 初めて共に演奏する仲間が出来たのが嬉しかったのか、それとも違う感情からか。

 一回り近く歳が離れていた男と彼女は、街でよく一緒にいた。


 それでも、彼女は旅に戻ることになる。

 彼と別れを済ませ、旅支度をまとめて。


 当時から良い話の聞かなかった『ハイゼングルド』を避けて、越えた先に向かうと彼には告げて。

 商人に同行させてもらう形で、男の街から旅立っていった。


 当然、男は彼女の無事を願い、祈り続けた。

 本当は彼女と共に旅をしたかったが、男は自身の生まれた街を捨てられず、彼女の説得もあって街に留まった。

 彼女との「最後はこの街に戻ってくる」という約束を胸に秘め続けて……。






「——しかし、彼女は寄らないと言っていたハイゼングルドに立ち寄っていた。そして、あの悲劇に繋がったというわけだ」


「…………」


「これが光の歌姫……ルーチェ=リヴァ―ルの一生だ。そして、これこそがお前にアリア嬢を近づけたくなかった理由でもある」


 ガルズがコーヒーを啜る。


 アルは養父がこの話をした意図を図りきれずにいた。

 それもそうだろう。彼女の一生は分かった……しかし、それがどうアリアと繋がるというのだろうか?

 それは養父も察したのだろう。カップを置くと、再び口を開く。


「なぜ、彼女はこの街に立ち寄ったんだと思う? なぜ、この街に留まり続けていたんだと思う? ……それが答えだ」


 分からない。

 なぜ、彼女がこの街に立ち寄ることになったのか?


 元々予定になかった行動——それは、予定外の事があったことに他ならない。

 それに、彼女はハイゼングルドに定住していた。旅を続けており、これからも旅を続ける意思を見せ、最後は男のいる場所に帰ると告げていた。

 そして、彼女の定住にアリアが関係しているとするならば——


「……まさか」


「そうだ」


 脳裏によぎる可能性。

 否定したいそれを、ガルズは大きく頷いて否定させてくれない。


「アリア嬢……彼女の姓はリヴァ―ル。アリア=リヴァ―ルは……彼女はルーチェ=リヴァ―ルの実の娘だ」

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