第33話 団長の頼み
練習を終えて。
ティルナはアリアとレスターの二人を連れて、アルの部屋に向かっていた。
「そんなに急がなくてもアルは逃げないですよ」
「だって心配なんだもん。レスターくんだってそうでしょ?」
「そんなことないですけど……」
顔を背けて否定するレスター。
しかし、口では嫌がっていても身体はきちんと後ろを付いてくるのだから、彼自身も心配はしているのだろう。
「アリアちゃんは大丈夫? 早くない?」
レスターの反対側に顔を振り向かせれば、外套がふるふると横に揺れる。
「そっか、じゃあこのままアルくんの部屋にいこう!」
気を取り直して、前へ。
階段を上り目的の階にたどり着いたところで——
「あれ、団長?」
「ティルナか……」
ちょうど扉を閉めたところの団長と、ティルナの視線が重なった。
「団長もお見舞いですか?」
「そんなところだ。ティルナたちも見舞いに来たみたいだが、医者が言うには風邪のようだ。移るといけないから控えなさい」
「そうですか……」
一足遅かったようだ。
風邪なのだから、団長よりも早く来たところで顔を合わせるのは良くないのだろうけれど、彼の顔が見れないことに肩を落としてしまう。
「そう残念がらなくても、そこまで深刻じゃないから安心しなさい。公演には間に合うだろうと医者は言っていたよ」
団長はアルが寝ているはずの部屋を見て、そう告げる。
そこに待ったをかけたのはレスターだ。
「間に合うのは良いんですが、練習には参加できませんよね? それで公演は大丈夫なんでしょうか?」
眉を寄せているレスターの意見に、ティルナも同意する。
ただでさえ今日は思うように練習が進まなかった。翌日には多少改善されるとは思うが、それでも心配は心配なのである。
「まあ、心配なのは分かるが……心配ない」
「それは、何でですか?」
「レスターはあまりアルとは長くないから分からないだろうが、ティルナ……君なら分かるだろう?」
「アルくんは本番に強いですから」
無類の音楽好き……とは言えない。
けれど、音楽で誰かを笑顔にするのが好きなのが彼だ。
だからこそ、ティルナにはアルが本番で失敗する光景が想像できない。
「たぶん、アルくんは公演でも大丈夫だと思います」
「そういうことだ。納得は出来ないかもしれないが、理解はしてやってくれ」
「わ、かりました」
渋々ながらもレスターが頷いた。
「練習の音は聴こえていたが、すこし調子が良くなさそうだったな。そんな気分になれないかもしれないが、早めに休んで少し気分を入れ替えるといい」
そう言うと、団長はティルナたちの横を歩き去っていく。
そんな彼を軽い会釈で見送ると——
「ティルナ」
「なんですか?」
「すまないが、後で団長室に来て欲しい」
「わかりました」
……なんだろう?
胸に抱いた疑問はそのままに、ティルナは頷く。
「時間は君に任せる」
短く言い残して、団長の後姿はすぐに見えなくなった。
アリアを部屋に届けてから、すぐにティルナは団長室に向かった。
扉の前で深呼吸。
先程は頷いてみせた。しかしティルナ自身、一人で団長室に呼ばれたのは人生初だ。どうしたって緊張してしまう。
呼吸を整えて、ノックをする。
すると、返事はすぐに返ってきた。
「どうぞ」
「失礼します」
「早かったな」
室内に入ると、書類仕事をしていたのだろう。デスクの上の紙を睨みつけていた団長の顔が上がり、その目には眼鏡がかけられていた。
「出来るだけ早い方がいいのかと思いまして」
「いや、責めているわけではない。座ってくれ」
室内に設けられたソファに促され、腰を下ろす。
「コーヒーを入れるから少し待ってくれ」
書類を置き、席を立った団長が部屋の隅へと歩いていく。
ほどなくして香ばしい香りがティルナの鼻に届き、そのすぐ後には眼前に白い湯気を漂わせたコーヒーが差し出された。
きちんと隣には砂糖が添えられて。
「ありがとうございます」
「気にしないでくれ。それよりも、話なんだが……」
ティルナの正面に腰を下ろし、前で指を組む団長。
「君に頼みたいことがある」
「え?」
思わぬ言葉に、ティルナは目を瞬かせてしまう。
……頼みって?
いったい、何を頼むというのだろうか?
クイントン音楽団の大黒柱……支柱……真のトップというべき方の頼み。
決して断れるものではなく、それ故に聞く前から恐怖しか感じない。
しかし——
「アルの事だ」
「アルくんの?」
次の瞬間、ティルナの中での恐怖は霧散した。
「それって、風邪を引いたアルくんの看病ってことですか?」
「いや、さっきも言ったが君も奏者だ。ここで風邪を移すわけにはいかない。看病は他に頼んでいる」
「そうですか……」
どうやら看病は出来ないらしい。
「君たちは本当に仲がいいな。まあ、小さい頃から一緒なのだから当然か……」
フッと微笑んだ団長の眼差しが窓の外へと向けられた。
その横顔は、どこか悲しそうで。
「団長?」
「いや、なんでもない。それで、頼みなんだが……アルを支えてやって欲しい」
「支えてって……どういうことですか?」
本来であれば、喜ぶべきなのだろう。言葉によっては、アルと一緒になれと言われているようにも聞こえるのだから。
しかし、団長の表情がそれを許さない。
それほどまでに彼の表情は真剣さに満ちていた。
「アルの出身がこの街だということは知ってるな?」
「はい、アルくんに直接聞きましたから」
「この先、アルは必ず傷つく……立ち直れないほどに…………その時にアルを支えてやって欲しいんだ」
顔を俯かせ、絞り出された言葉。
対照的に、ティルナの頭は疑問符で塗りつぶされていた。
「それは当たり前ですけど……?」
アルが、この街をあまり良く思ってないことは知っている。
そのせいで練習も上手くいっていなかったし、この街の事を話す時の彼はどこか憎しみを抱いているようにも感じられた。
しかし、ティルナにはどうしても彼が立ち直れないほどに傷ついている姿が想像できないのだ。
傷つくことはあるだろう。
挫折することもあるだろう。
だけど、音楽で人々を笑顔にしたいと望む彼が、ここで立ち止まってしまうとは思えない。
けれど団長には、その未来が見えているようで。
「ティルナ……君が思っている以上にアルとこの街の確執は深い。アルにとってこの街は故郷であると同時に呪いでもある。私は、出来る限りアルにはこの街に縛られてほしくないんだ」
意味は分からない。分からないが、団長が真剣にアルの事を想っていることはティルナにも分かる。
だからこそ聞きたいことがあった。
「アルくんがこの街を嫌ってる理由って何なんですか? アルくんはあまり昔の事を話したがらないから……」
ティルナほどではないが、これはレスターも感じているだろう。
あまりにも、アルは昔の事を話したがらない。この街の悲劇に関係していることは察することが出来るが、それ以上は全く分からないのだ。
「この街で何があったんですか? アルくんがそんなに傷つく事って——」
「悪いがアルが話していない以上、私も話すことが出来ない」
「そんなの……!?」
自分勝手ではないか。
勝手に頼みを告げて……それでいて肝心の話は教えてくれない。
上司である団長を睨みつけてしまっていることを自覚しても、ティルナはそれを止めることが出来なかった。
そしてそれは団長も分かっているのだろう。その瞳に愁いを宿しながらも、首を横に振って。
「これに関しては、私もただの部外者でしかないんだ。手を貸すことは出来ても、解決は出来ないんだよ。気に入らないかもしれないが、受け入れてくれ……」
「——っ」
荒ぶる感情の行き場が無く、ティルナは目をぎゅっと瞑って息を吐き出した。
そして、無意識に握り締めていた拳に気付き、力を緩めて。
「すいません。部屋に戻ります」
ティルナは力なく立ち上がると、小さく頭を下げた。
そこに、団長の声が降ってくる。
「君には辛いことかもしれないが、よろしく頼む。それと——」
顔をあげたティルナに、鋭い眼差しが突き刺さって。
「アリア嬢を、あまりアルには近づけないでくれ」
「失礼しました」
耐え切れず、ティルナは答えることなく部屋を出た。
そして、閉まった扉に背をもたれさせて。
「コーヒー……飲まないで出てきちゃったなぁ」
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