第28話 拒絶




「なんで……!」


「ティルナ」


 前に出ようとするティルナを抑える。

 仲間想いの彼女には到底納得がいかないのだろう。普段の可愛らしい笑みは鳴りを潜め、不機嫌そうな表情を隠そうともしていない。

 それは、アルも同様だ。ただ、先にティルナが怒ってしまったせいで冷静になっただけで。


「……俺たちは一応客のつもりで来たんだけど、なんで帰らないといけないんだ?」


 この国ではアルたちは酒を飲める歳ではあるが、誰も飲まない。

 唯一分からないのがアリアではあるが、彼女を保護した状態を見るに酒を嗜んでいるとは到底思えない。


 そのため、この店に迷惑をかけたという事実は無いはずなのだが……。


「どこかで見た顔だとは思ってたが、あんた達はこの前街に来た楽団の人間か。なら知らないのも無理ないか」


 店主はアルとティルナ、最後にレスターを見渡して息を吐き出す。

 同時に、数少ない客もこちらの様子を窺いだして、外套を被っているはずのアリアを見ては何かを囁き出していた。


「よりにもよって酒場に連れてくるとはな……あんた達と嬢ちゃんの関係性は分からないし、あんた達には悪いとは思ってる。だが、こっちにも事情があるんだ」


 アリアを一瞥する店主。

 しかし、出来る限り視界に収めたくないと言わんばかりにすぐに視線を外す。


「事情って言ってもな。理由の説明も無しに帰れって言っても納得なんて出来ないだろ。せめて納得できる説明をして欲しいんだけどな?」


 こちらはただ休みたくて入っただけなのだ。

 本来の店の用途とは違うかもしれないが、飲食をする店に入る以上は注文もするつもりではあったし、迷惑をかけるつもりもない。

 それなのに人の顔を見た瞬間帰れというのは、いくら店主といってもまかり通らないだろう。


「悪いな。俺たちはもう思い出したくないんだ……せめてコーヒーくらいは持って帰れるように出してやる。だからそれで帰ってくれ」


「それじゃあ説明に——」


 背を向けて店の奥に引っ込もうとする店主にアルが一歩踏み出すと、不意に右腕が軽く引かれる。

 振り向くと、アリアが首を横に振っていて。


「いいのか?」


 先程まで店主のいた場所を一瞥してアリアへ問いかければ、彼女は静かに頷いた。

 アルの気持ちはまだ落ち着いてなどいないが、当の本人が良いというのならばこれ以上騒ぐことも出来ない。


「分かった。じゃあ、みんな出ていてくれ。俺はコーヒーを受け取っておくから」


「……分かった」


「いや、僕も残ろう」


 不満そうに頷くティルナに対し、少しだけ調子が戻った様子のレスターが告げる。


「少し楽になったからな。四人分なら僕もいた方がいいだろう」


「分かった。じゃあティルナとアリアは外で待っていてくれ」


 ティルナがアリアを連れて店の外に出ていく。

 それを見届けてから。


「大丈夫なのか?」


「なにが?」


「だいぶ激昂していただろう? 僕は君がいきなり掴みかかるんじゃないかと思ったくらいだ」


「ああ、それか」


 あの時、アルは本気で頭にきていた。ただ、彼女の前で怒れなかったから抑えただけだ。

 経験年数が少ないながらも楽団で上位の実力まで上り詰めているレスターだからこそ……そして、あの場所で冷静だったからこそ気が付いたのだろう。


「まあ、店の中でそんなに怒れないだろ? ティルナが先に怒っちゃったしな」


「それもあるかもしれないが、僕にはそれ以外の理由もあるように見てたな」


 図星の突くレスターにアルは内心舌を巻いた。

 ただ、これはただ自分アルが気に入らないだけの話で、自分の中で消化できていない話なだけだ。

 だからこそ。


「そんなことないよ。まあ、話の仕方がアリアの入団を断っていた時の団長に似ていただけだ」


「そうかな? 僕にはそう見えなかったが……まあでも、君は話してくれないんだろうな。ただ——」


 レスターの薄い青の目がアルを射抜いて。


「先日までのミスの件もある。あまり気に留めない方がいい」


「……慰めてくれるのか?」


「ち、違う! 僕はただ、ライバルがあんな体たらくでは張り合いが無いと言ってるんだ! 僕はいずれ君を越え、フェルド先輩も越える。それまでは上に居続けてもらわないといけないだろ!」


 そっぽを向き、鼻を鳴らすレスター。


「ほら、店主も来たことだし、早く受け取るぞ!」


 レスターは店の奥から出てきた店主の方へズカズカと歩いていってしまう。

 アルはその姿に笑みをこぼすと、彼の後を追った。




「お待たせしました」

「待たせたな」


 手早くコーヒーを受け取り、店外にいる二人と合流する。

 ティルナの機嫌ももう良くなっていたようで、声をかけるとすぐに軽い笑みが返ってきた。


「ううん、大丈夫。ありがとね」


「それじゃあ移動するか」


 いくら店の外とはいえ、帰れと言われた店の前に居続けるのは良くないだろう。

 そう提案すると、ティルナが眉をハの字に変えた。


「そうだね。ごめんね、せっかく休もうって話になってたのに」


「いえ、大丈夫です」


 レスターとアリアの二人は首を横に振る。

 それから二人にコーヒーを手渡し、再び街へ。


「——でも本当にこのカップ、返さなくていいの? 陶器製だからそれなりの金額するよね」


「ああ、良ければそのまま使ってくれってさ。まあ、あの店主も自分が間違ってることを言ってるって分かってたんだろうな」


 コーヒーの代金も受け取らなかったし、それで手打ちにしてくれってことなのだろう。

 でも、それでもアリアを拒絶したというのは、それだけの理由があるからか。


「でも、あの店主はなんであんなに頑なだったんだろう? ティルナ先輩を見て断るのならともかく——」


「どういう意味?」


「いや、変な意味ではなくて……ティルナ先輩は背が低いからお酒を飲める歳に見えないだけです」


 内臓を抉る拳を警戒してビクリと肩を揺らすレスター。

 ティルナの方もコンプレックスを刺激されて若干複雑そうな表情を浮かべながらも、どうにか握りこぶしを引っ込めた。

 すると、レスターが安堵の息を吐き出して。


「あの店主は明らかにアリア嬢を忌避していた。それがどんな理由かは分からないけれど……」


 青の眼差しがアリアへと向く。

 同様にティルナも彼の視線を追いかけ、アルも同じように追いかけてて——そして気付いた。

 外套の奥……錆色の瞳は下を向き、唇が引き結ばれているのを。


 その表情は、出会った直後の彼女に似ていて——少し違った。


 後悔、恐怖……そして諦念。

 本当に僅かだったかもしれないけれど、確かに動き出していた心を止めようとしているような。

 そんな予感に駆られ、アルは自身の失態を悟る。


 ……失敗した。


 誰が人に拒絶されたことを掘り下げて欲しいものか。

 意識がぐらつきそうになるほどの後悔にアルは奥歯を鳴らす。


 しかし、どうやって声をかける?


 いまさら慰めても、ただ心を抉るだけだ。

 かといって、そのままにはしておけない。


 そんな時だ。ふっとティルナがアリアと向かい合って、その手を優しく握ったのは。


「ごめん、アリアちゃんからしたら面白くない話だったよね」


 ティルナの手が振りほどかれることは無かった。

 それどころか、外套の奥に見える彼女の瞳の色が変わった気がして、アルは無意識に息を吐き出していた。

 その直後、アリアがふるふると首を横に振って。


「それじゃあ、今日は嫌な思いをした分楽しまなきゃね!」


 ティルナの活発な声が、アルの耳にやけに残った。

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