第26話 再びの歓談
「失礼します」
ノックの音を響かせて、室内に入る。
応接室として使われている部屋でも上位の相手にしか使われないこの部屋は、団長であるガルズしか入ることがない。
それは、義理の息子であるアルとて例外ではなく、それ故にアルは初めて入ったこの部屋に息を呑んでしまった。
「うわ、凄いな……」
全面革張りのソファは金色の糸で編まれており、木製のテーブルの上には見事に編み込まれたレースが敷かれ、さらにその上にはガラスの天板が。
それ以外にも、床は鏡と錯覚するほどに磨かれ、窓枠は職人芸の光る一点もの。
見惚れするを通り越して、引いてしまう光景が目の前には広がっていた。
「ふふふ、驚いたかい?」
「そう、ですね」
悪戯が成功したように微笑むフリント様に、アルは強張った笑みしか返せない。
「立ち話もなんだ。座ってくれたまえ」
「し、失礼します……」
庶民には手が届くはずもない高級ソファに促され、恐る恐る腰を下ろす。
対して、フリント様は慣れているのだろう。気品は感じられるものの、若干無造作に背を預けていた。
「先程の演奏、素晴らしかったよ。最近スランプ気味だと聞いていたけれど、立ち直ったみたいだね」
「ありがとうございます」
「理由を聞いても?」
理由……それを問われて、アルはわずかに逡巡した。
それは、単純に気恥ずかしかったからと、アルの出身の話が関わってくるからだ。
「それは……」
「ああ、君のスランプについてはガルズ殿から聞いてるから必要ないよ。聞きたかったのはその脱した方法だ。正直、この街の復興に手詰まりを感じていてね、少し参考にしたい」
「そういうことですか」
納得は出来てはいないが、理解はできる。
表向きには復興が進んでいるこの街も、一度裏通りに入ってしまえば過去の街並みが顔を見せる。
復興にかなりの力を入れているフリント様の事だ。そのことを気にしているのだろう。
「……あまり参考にならないかもしれませんよ?」
「構わない。お願いするよ」
「分かりました」
ふぅ……と息を吐いて。
「俺……私の場合はある人と演奏したことです。どうしても演奏をしているとあの時を思い出してしまって、その時の感情を表に出さないように演奏をしてました」
偽って、見ないふりをして。
それが逆に、おかしくなる原因になっていた。
「けど、それだと上手くいかなくて……でも、気付かされたんです。ありのままの感情を乗せてこその音楽だって。それに気付いたら、この街に来てからずっと感じていた苛立ちがいつの間にか消えていました」
ぐちゃぐちゃとしていたものが、いつの間にかスッキリとしていた。
答えなんて最初から自分の中に在って、ただただ見えていなかったのだと後で笑ってしまったくらいだ。
「私はそんな感じです。参考になればいいのですが……」
「十分だよ」
フリント様はふわりと柔らかい笑みを浮かべた。
「そうか……つまり、それがアリア嬢だったというわけだね」
「なんでそれを?」
それは誰も……ティルナやレスターさえも知らないことなのに。
「なんとなくは分かるよ。あの子が屋敷に来てから君のスランプが良くなったのだからね。関係が無いと考える方が不自然だ」
「そうですか……」
「まあ、あの子から影響を受けたんだろうとは思っていたけど、一緒に演奏をしたのは分からなかったからそこまで肩を落とす必要は無いと思うよ」
慰めてくれているのだろうが、あまり効果は無い。
アルが頭を抱えると、不意にソファが軋む音が響いて。
「……アリアか…………確か、他国の言葉で独唱のことだったかな? 音楽に関する名前だなんて良い名前だ。まあ、少し皮肉が効いているような気もしなくもないが」
「申し訳ありません。彼女の名前をお伝え出来ていませんでした」
「いや、元々私の方から訪ねるという話だったんだ。気にしなくていい」
そういえば名前を気にしていたと思い出し、紹介できなかったことを詫びると、フリント様は笑みを浮かべて首を横に振る。
「彼女の滞在の話だけど、もちろん許可するよ。仮ではあるらしいけど、彼女もクイントン音楽団のメンバーになったのだから同じ場所に住むのが道理だ」
「ありがとうございます……フリント様、一つ訂正したいことが」
目だけで礼を返し、すぐに彼を見据える。
先程の彼の言葉で、一つだけどうしても納得できない言葉があった。
「なんだい?」
「独唱とは孤独を意味する言葉ではありません。一つの演奏を全員で終えるために必要な大切な役割です。それだけは誤解しないでいただきたい」
「…………」
目を丸くするフリント様。
数回の瞬きを挟み、その表情が柔らかく緩んでいき。
「そうか……それは良かった」
安心したように、それでいて救われたように。
噛みしめるような言葉と共に、彼は微笑んでいた。
「フリント様?」
「あ、ああ……気にしないでくれ。それよりも、練習を終えたばかりだったのに結構な時間を取らせてしまったね。私もまだ仕事が残っているし、ここまでにしよう」
そう言うと、フリント様は立ち上がってアルに背を向ける。
話はここまでだという表れだろう。アルも席を立った。
「分かりました。それでは失礼します」
一礼し、部屋を後にする。
フリント様が屋敷を出たとアルの耳に届いたのは、それからかなりの時間が経ってからだった。
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